vanish28 | ナノ





vanish28

 慎也はバスルームで泣いてた。扉を閉めて、鍵をかけた葵が喜びを隠すことなく笑っていたが、泣いている慎也には見えなかった。居場所がない。慎也はただ悲しくて、辛くて、絶望していた。
 義理の母親はこれからも変わらないだろう。父親が期待しているのは自分ではなく葵だ。その葵も今までと同じで、二人の前では完璧な義兄を演じている。
 自分が何のためにここにいるのか分からなくなる。だが、慎也には家を出るという選択肢はまだない。家を出るなら、まずはアルバイトをして貯金から始めなければならない。
「慎也には、俺だけだ」
 葵が諭すように声をかけてくる。顔を上げると、彼の手が慎也のくちびるに触れた。殴られた時に切ったくちびるの端が腫れている。慎也は痛みに顔を歪めた。
「俺だけを愛したらいいんだ」
 葵の言葉は今の慎也には危険なものだった。葵を愛すれば、葵だけのために存在すれば、居場所があると思った。
 それを投げ出して、一人で生きていくだけの一歩を踏み出せるほど、慎也は強くない。精神状態が不安定な今、慎也は葵の言葉にすがろうとしていた。
「ほら、いつものようにやるんだ」
 葵はズボンのチャックを下ろして、下着の中からペニスを取り出した。ぶるぶると体が震え出す。いつものようにひざをついて、彼のペニスをしゃぶり、精液を飲み込む。それから、「葵だけを愛している」と言うだけだ。そうすれば、ここにいることができる。
 慎也はひざをついた。震える指先で葵のペニスに触れ、口を開く。くちびるの端が痛んだ。だが、痛むのはそこだけじゃない。殴られた顔面も腹部も下肢もアナルも性器も左腕も、ぜんぶ痛い。
 フェラをして、傷ついたアナルへ突っ込んで、葵が満足したら、手当てをしてもらえるんだろう。時おり、セックスの後に金や食べ物を置いていったように、行為と引き換えだ。だから、葵の愛を受け入れることはできなかった。本当の愛は何かと引き換えにできるものじゃないと思っていたからだ。
 そして、慎也は、それを理解していながら、こうしてひざを折る自分を嫌悪した。
 消えたらいい。
 なくなってしまえばいい。
 葵のペニスを口の中で愛撫しながら、慎也は右手で左腕を強く握った。
 
 卒業式にも出なかった慎也は、少しずつ暖かくなっていく外の気温すら感じることなく、いつもカーテンを閉めたままの部屋で過ごした。
 葵が携帯電話を解約する手続きを取り、慎也は外の世界との連絡も断たれたまま春を迎えた。食事はすべて葵が用意してくれた。
 義理の母親は受験に失敗した慎也を異常だと言い、実際にそういうふうに扱った。確かに慎也はあの日から一歩も外に出ず、葵以外と話さなかった。
 父親は何も言わない。彼は慎也が存在していないように振るまっていた。
 ベッドに寝転んで、前腕をカッターナイフで傷つけた後、慎也は下に落ちていた包帯を拾い上げた。血の変色した薄汚れた包帯を巻き直して、白い壁に手を当てる。
 要司の家はきっともう完成しているだろう。居間の壁は何色になっただろう。
 慎也は薄暗い電気の下でそんなことを考えた。約束したのに、そう思いながら、指先で壁をなでる。
 要司の名刺はない。葵が財布をどこかに持っていってしまったからだ。一時は錯乱していた慎也も、一ヶ月も経てば落ち着いて、自分の今後を考える余裕ができた。進学は諦めて、家を出るためにアルバイトをしようと計画していた。
 だが、葵がそれを許さなかった。アルバイト情報誌を見に行こうとした慎也を、一歩も家から出さないように仕向けたのは葵だった。

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