ひみつのひ29
智章から聞いていた通り、携帯電話には悠紀からの着信やメールが届いている。稔はリダイヤルで発信した。
「もしもし、悠紀?」
大きな声で悠紀が答えた後、一気に話しだす。
「すがっち? 今どこ? 今日、学校来てなかったよね? もう、あいつすごかったんだよ? ちょっと見直した。夕飯、食べた? まだ? 食堂で待ってるから」
「あ、悠紀?」
悠紀は話すだけ話して切ったらしい。稔は苦笑して、携帯電話を充電器に差し込み、財布を確認した。持ち合わせだけでは足りないから、外出届を出して銀行に行かなければならない。
普段の買い物は購買で足りるため、専用のカードで支払いすれば、自動的に口座から落ちていく。稔は通帳を確認した。両親はいつも十分な金額を稔の口座へ入れてくれる。稔は無駄遣いしないように心がけていた。
「菅谷、食堂、行く?」
秀崇が開けっ放しの扉からこちらを見ていた。
「うん」
食堂に行くと、いつもの席から悠紀が手を振っていた。心なしか、周囲からの視線を感じる。
「俺、一輝と食べてるから」
定食を持った秀崇に頷き、稔は悠紀の向かいに座った。
「風邪はもう大丈夫?」
「うん。もう全然平気。いただきます」
手を合わせてから、冷やしおろしそばの入った器に箸を伸ばす。
「あいつさ、昼休みにすがっちのクラス連中集めて、全員、蹴ったらしい」
稔はすすっていたそばを詰まらせそうになり、むせる。
「菅谷稔に手を出すなって言ったらしくて」
悠紀はきょろきょろと視線を動かした。
「おまえ、すっごく注目されてる。でさ、あいつ、かなりキレてたらしくて、遠峰達がとめに入ったんだって」
「あいつ、あいつって、藤のことだよね?」
コップの水を飲んで息を整えた稔は、眼鏡を外して涙を拭いた。悠紀が頷く。
「ってか、すがっちは知らないかもしれないけど、あいつは『藤』って呼ばれるの、嫌なんだって」
「え? そうなの?」
初耳だった。だが、言われてみれば、皆、智章と呼んでいる気がする。
「直接はもちろん聞いてないけど、藤グループの長男だから、色々あるみたい」
稔はそばを口に運びながら、藤グループ長男としての色々、について考えた。稔も長男で、その上、一人っ子だが、継ぐべき会社はない。両親はともにおっとりした性格で、稔の成績の悪さにも言及せず、逆に稔のほうが不安になるくらいだ。
何も知らないとはいえ、『藤』と、かなり連呼していた、と稔は頭を垂れる。
「手を出すなって、やっぱアレだよね?」
間近に迫った悠紀の顔に驚くと、彼はにやっと笑った。
「愛の告白だよね」
「え、な? 何で?」
からかわれている。稔はむっとしながら、否定した。
「もうっ、すがっちは鈍いね。手を出すなっていうのはつまり、自分のものってこと。さっきは遠峰と来るし、もしかして、モテ期が来た? 初恋の遠峰か、わがまま王子の藤か?」
悠紀は自分で言っておいて、自分でうけて笑っている。
「悠紀!」
「ごめん、ごめん。でも、どう考えても初恋のほう、取るね」
稔はその言葉を聞いて、小さくささやく。
「あの手、藤だった」
手を思い出した瞬間、絡んだ自分の指先と行為が鮮明によみがえる。稔はそっと前を押さえた。 |