just the way you are 番外編5 | ナノ





just the way you are 番外編5

 鍵を開けて、部屋の中へ入った瞬間に冷たい空気を感じた。朝、きちんと引いていたカーテンが閉じられていて、薄暗い。狭い玄関に置いてある靴を見て、おかしいと確信する。駐輪場に夏輝の自転車はなかった。まだ十七時を過ぎたところで、彼が帰宅しているはずはない。
 直太は靴を脱いで、奥まで足早に歩いた。夏輝はベッドに背を向けて、座り込んでいた。
「夏輝先輩」
 細い肩がむき出しだった。バスタオルで体を覆うようにして、夏輝はうつむいていた。何があったのか、理解できた。理解はしたが、受け入れることはできない。また、助けられなかったという言葉だけが繰り返し、直太の心を突き刺す。
「先輩」
 右手で夏輝の左肩へ触れてから、彼が震えていることに気づいた。
「なお……」
 バスタオルの端をぎゅっと握っている右手も震えている。
「お、おれたち、わかれないと」
 場違いな明るい声だった。何かを吹っ切ったような清々しい声にも聞こえる。
「おれといたら、しゅうしょく、できない」
「夏輝先輩、顔、見せてください」
 声は明るいが、途切れがちで舌足らずな言葉だ。くちびるの端か口内を切っているのかもしれない。
「こっち見てください」
 直太は夏輝の前に移動して、バスタオルを握っている腕にそっと触れようとした。手をとめたのは、うつむいていても見えたからだ。夏輝は顔を殴られている。数回程度ではなない。
 もう一枚置いてあるバスタオルには血がついていた。夏輝が顔をうつむけたまま、口の端を手の甲で拭う。外の夕陽よりも赤い血が手の甲につき、飲み込めなかった赤い唾液がバスタオルを汚した。
 視界がにじんで、すぐに目を擦った。だが、涙はとまらず、直太は嗚咽をかみ殺す。目の前の出来事を信じることができない。積み上げ、築いてきたものを壊された気がした。
「俺以外、何もいらないくらい、好きって言ったじゃないですか」
 両膝をついて、夏輝の肩をつかんだ。別れるつもりはない、と言葉に込めた思いに、夏輝はようやく顔を上げて、苦しそうにほほ笑んだ。腫れて、ほとんど閉じている左目の目尻から涙が流れていく。
「だから、だよ。なおいがい、いらない。おれじしん、も、いらないから」
 夏輝が自分自身のことを、ちびた鉛筆だと例えたことがある。直太はあの時、怖くなった。ちびた鉛筆はまるでロウソクの芯みたいに、いずれ燃えつきてロウソクごと消えてしまう。
 夏輝はまだ何か言いたそうに口を動かそうとしたが、前のめりになり、直太へ体をあずけてくる。直太は慌てて体を支え、顔以外の胸や腹にある内出血を確認した。左の脇腹にある傷痕付近は特にひどい。
「先輩?」
 軽く頬へ触れても目を開けない夏輝を見て、直太は急いで救急車を呼ぶ。また同じことを繰り返している。あの時から少しも進んでいないのか、と悔しさを飲み込み、直太は彼の体をきれいなバスタオルで包んだ。
 少し荒れた夏輝の手を握り、彼の指先の切り傷や腕にある軽いやけどの痕を見つめた。自分が勉強している間、彼は懸命に働いてきた。いらないと言ったのに、彼は埼玉からここまでの交通費を直太の財布へ入れてくれた。一緒に暮らし始めても、必要な物以外、何も買わない。それなのに、直太が欲しいと思った物は必ず用意されていた。
 涙を擦った直太は、スマートフォンを取り出す。起きてしまったことは消せない。だが、今からどうするかは決められる。今度は立ち向かう。遠くからサイレンの音が聞こえてきた。あの時は怖かったが、今はちがう。どうしたら、夏輝を守ることができるか、直太は冷静に考えをめぐらせた。


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