just the way you are 番外編6 | ナノ





just the way you are 番外編6

 目が覚めた時、夏輝は母親の姿を見て、思わず謝罪した。ごめん、と口を動かしたが、自分の耳には聞こえなかった。母親は少し動いて、手をこちらへ伸ばしかけてやめた。もう一度、謝る。
「おかあさん……ごめん」
 母親の輪郭は明瞭ではなく、夏輝は目を擦ろうとして、腕を上げた。点滴が見えて、病院にいるのだと知る。
「里村君」
 知らない女性の声だ。途端に視界がはっきりとした。付き添っていたのは母親ではない。だが、知らない女性ではなかった。彼女は困惑した表情を浮かべたまま、看護師に知らせてくると言った。それから、直太にも電話するから、とすぐに背を向ける。
「あ……」
 自分の母親と勘違いしたことを謝ろうと思ったが、彼女はカーテンを閉めて行ってしまった。右手で左のまぶたへ触れる。痛くて声が漏れた。奥のほうからは、テレビの音と誰かを見舞っている人の声が聞こえてくる。脇腹には包帯の感触があり、胸を押すと痛みがあった。
 小さく吐いた息は、溜息よりも重く、夏輝の心をかげらせる。どうして、友則の命令に従ったのか、自分でも分からなかった。ただ彼からは逃れられない気がして、彼の望むようにしなければ、直太の将来を壊されそうで怖かった。
 アルバイト先へ早退すると言った時、今まで遅刻も欠勤もしたことがなかったからか、すぐに帰してもらえた。友則が乗ってきた車に乗り込むと、何も言わなくても部屋の前までたどり着いた。通帳を渡して、暗証番号を告げた時、友則は突然怒り、夏輝をベッドへ突き飛ばした。
 その後のことは思い出したくない。あの夜の痛みを体が覚えていて、抵抗できなかった。同じ行為のはずなのに、片方は夏輝の心を温め、道しるべになる灯火になり、もう一方は苦痛しか感じられない。友則は夏輝に戻ってこいと言った。
 夏輝は薄い布団の端を握り締める。直太の母親がここにいるということは、直太自身が呼んだにちがいない。彼の家族に、また迷惑をかけている。ベッドから降りようとした時、ちょうど看護師が入ってきた。警察からの事情聴取があると聞き、夏輝は合意だと言いそうになった。言えなかったのは、直太の存在があったからだ。
 誰かが来る前に、ここを抜け出したほうがいいのかもしれない。友則のところへ行かなければ、と体を動かした。カーテンが開き、直太の母親がビニール袋を提げて帰ってくる。彼女は夏輝の前にゼリーを差し出した。
「オレンジとマスカット味があったわ。どっちから食べる?」
 ゼリーと彼女を見て、夏輝の目から涙があふれた。あまりにも自然な問いかけだった。夏輝がオレンジ、と答えると、彼女はフタを開けてくれる。スプーンですくい、口の中へ入れてもらった。自分で食べられるのに、甘えてしまう。涙がとまらず、彼女がハンカチで目尻をそっと押さえてきた。
「痛くないかしら? 涙、しみるでしょう?」
 すみません、と謝った。彼女は何も言わずに、オレンジ味のゼリーを口元へ運んでくれる。
「去年の年末、大げんかしたの。あなた、直太に嘘をついたでしょ。年末年始にあなたを一人にして、自分だけ帰省させるなんて、罰を与えてるつもりかって、爆発してね」
 ゼリーを乗せたスプーンを持ったまま、彼女は一度、視線を落とし、それから、こちらをまっすぐに見た。その瞳がうるんでいることに気づき、夏輝は少し驚いた。
「今年は最悪の年明けだった。帰り際にあの子、こう言ったの。好きな人が傷ついても無視するような、苦しんでるのに助けもしないような息子がいいなら、私たちの息子ではいられないって」
 スプーンをゼリーの中へ戻して、彼女は手で涙を拭った。夏輝はうつむき、言葉を探したが、何も見つからなかった。ただ、直太がいつもと変わらずにそばにいてくれたことへの感謝とその彼を裏切って友則を受け入れてしまったことへの後悔が、苦しい気持ちにさせる。おそるおそる視線を上げると、彼女はかすかに笑みを浮かべた。直太のことを誇りに思っているのだと分かった。
「直太から連絡があって、あなたのそばにいて欲しいって言われた時、事情も聞かずに来てしまったの。やっと会う口実ができたって。だから……ひどいことする人がいるのね。痛かったでしょう?」
 直太の母親は、もう一度、ハンカチで涙を押さえてくれた。彼女の指先がこめかみにあたり、その冷たさが心地良くて目を閉じる。涙をとめようと思うのに、夏輝はいつの間にか嗚咽を漏らしていた。


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