never let me go42 | ナノ





never let me go42

 車椅子をウッドデッキへ置いたディノは、シートの上にクッションを乗せた。ウッドデッキと掃き出し窓の間に段差はない。カーペットに座っているマリウスを抱え、ゆっくりと車椅子に座らせる。外に設置してある温度計は十度を示していた。ソファの背もたれへかけていたマフラーとストールを見て、大判のストールを持ち出す。
「寒くないか?」
 マリウスが頷きおわらないうちに、ディノは彼へストールをかけた。屋根つきのウッドデッキは七メートルほどあり、幅は十メートルの大きさだった。庭へ続く段差はスロープになっており、手押しハンドルとグリップを調整しながら、ディノは秋の紅葉を楽しむため、冷たく乾いた空気で肺を満たした。
 マリウスが家の中で乗りたがらないため、車椅子はもっぱら外での移動に使われる。庭は車椅子では多少、進みにくいところもあるが、空や紅葉に夢中のマリウスにはちょうど良い速度なのかもしれない。ディノはコートのポケットから腕時計を取り出し、時間を確認した。まだ昼過ぎだ。今日は少し遠出して、北東にある湖まで行こうかと思案する。
「あ」
 声を出したマリウスは、こちらを振り返った。
「あぁ、リスがいるな」
 ディノはかすかに笑い、落ち葉の動きを追う。
「……あ」
 おそらくマリウスにはリスの動きは見えないのだろう。あたりを見渡す彼の小さな頭を見て、ディノはリスが隠れた樹へ視線を移動させた。
「リスはおうちへ帰ったみたいだ」
 樹の一本一本に目を凝らした後、マリウスはまたこちらを見上げてほほ笑んだ。それから、ずっと握り締めていた手のひらを開いて、「あ、あ」と声を出す。彼の手のひらには、リスのフィギュアがあった。一つはドングリを抱えたデザインで、もう一つはリンゴを抱えている。
「お、おう、ち」
 ディノは前にまわり、少し屈んだ。マリウスはもう一度、「おうち」、と繰り返す。
「こいつらのおうちはおまえの手の中だな」
 マリウスは口元を緩めた。リスのフィギュアをひざにかけられたストールの上に置き、こちらを見てほほ笑む。ディノは彼の左頬へキスをしてから、車椅子を押した。屋敷の表側はイチョウが多いが、裏庭に当たる部分はブナが多い。湖のそばにはボダイジュが植えられており、細いブナよりもしっかりとした幹が落ち葉の間から見えた。
 ディノは湖から少し離れた場所へレジャーシートを敷き、小さいもののしっかりとしたクッションを置いてから、マリウスをそこへ座らせた。シートの上にリスのフィギュアを置いた彼は、さっそく落ち葉の中からドングリを見つけ出し、シートの上に並べていく。ディノは湖のそばまで歩き、ほんの少し湖面をのぞいた。何もいない、とフェデリコから聞いていたが、濁った湖水をのぞくと、何か泳いでいそうな気分になる。
「ディー」
 マリウスに呼ばれて振り返る。彼は首を横に振って、泣きそうになっていた。湖付近はぬかるんでいて、ディノの靴には泥がついた。
「落ちたりしないよ」
 優しく言ったが、マリウスはすでに頬を濡らしている。
「ディー、ノ、ディノ」
 ディノがレジャーシートへ転がると、マリウスが抱きつくように横になった。ディノは彼の体へ触れ、安心させるようになでてやる。高くに見える空の青と陽に照らされた彼のレッドブラウンの髪の対比は美しかった。だが、それ以上に、彼のライトブラウンの瞳がきれいで、ディノはしばらくの間、言葉もなくその瞳を見つめた。
 間抜け顔の自分が映っている瞳が輝き、「ディノ」、と呼ばれた。マリウスは嬉しそうに、人差指で鼻へ触れ、頬から顎へと滑らせていく。性的な意味合いは一切なく、ただ存在を形作る皮膚や肉体の感触を確認しているかのようだった。やがて彼は右耳をディノの左胸へ当てた。左手を握ると、彼はぱっと起き上がり、リスのフィギュアを握り合った手の間へ押し込んだ。それがまるで闇につながる傷口へ放り込んだみたいで、ディノは小さくつぶやいた。
「二人なら、寂しくないな」
 ディノはストールを引っ張り、マリウスの下半身を覆うようにかけてやる。彼はまた右耳をディノの心臓へ当てた。右手と左手はつながっていて、二人の手の間にはリスが隠れている。
「おうち」
「あぁ、おうちだな」
 二人なら、どんな場所も悪くない。ディノはその言葉は胸に留め、マリウスの髪をそっとなでた。


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