never let me go41 | ナノ





never let me go41

 マリウスは口づけられた額を手のひらで押さえて、口角を上げた。彼が笑っているのだと理解したディノは、彼のことをそっと抱き締める。
「ん」
 動く左腕の先には車のおもちゃがあり、今度はディノが笑う番だった。ディノは車のおもちゃをマリウスの手に乗せてやる。車を置いた彼は、片手で車を押して、遊び始めた。
 時間を確認してから、ディノはゲストルームにあるラップトップを持ってキッチンへ移動する。ここへ来た当初は薄型のテレビがあった。電源を入れる前に撤去したのは、アレッシオが光回線を使用して、ピネッリ家の屋敷内にあるテレビとパソコンにマリウスの映像を流したからだ。フェデリコはすぐに対策を打ってくれたが、ディノはリビングのテレビを移動させた。
 マリウスの姿を見ながら、ラップトップのキーボードを叩き、新たに彼の映像が出回っていないか確認する。裏サイトまで見つけて確認する技術はないため、ディノはせいぜいマリウスの名前を検索するだけだが、それでも、児童養護施設の調理師が犯した罪の名とそれを断罪する匿名の言葉はひどいものだった。
 依頼を受けて殺す。そして、報酬をもらう。ディノは依頼人の心中など考えたことはなく、標的が悪人であれ善人であれ、一度依頼を受けたら、すべて遂行してきた。自分が殺す相手がどんな人間か、それは重要ではなかった。
 自分の命以外、守るべきものをつくるな、という彼の言葉は正しい。ディノは匿名で書かれたコメントの一つ一つに怒りを覚え、それを書いた人間を消したいと思う。世界中の人間から愛される人間はいないと分かっていても、マリウスは特別だろうと考えてしまう。彼のことを知らないくせに、どうして彼を罵れるのか、とディスプレイを睨んだ。だが、それは自分にも当てはまることだ。標的を知りもしないで殺してきたのはディノ自身だ。
 息を吐き、ラップトップのカバーを閉じたディノは、カーペットの上に座り、おもちゃで遊んでいるマリウスの前にあぐらをかいた。
「マリウス」
 名前を呼ぶと、マリウスは手をとめて、こちらを見た。
「俺の好きな色はオレンジだ」
 彼は頷いたが、本当に理解しているかどうかは分からない。ディノはかまわずに続ける。
「だから、ベッドルームの照明はオレンジにした。いい色だろう? 読書には向かないかもしれない。でも、温かみのある色だから、よく眠れる気がする。妹はお姫様を夢見て、いつか部屋の照明をシャンデリアにしたいって言ってた。シャンデリアはさすがに無理だったけど、ある日、ちょっとした稼ぎがあって、俺は人形を買ったんだ。きっとおまえも知ってる。女の子なら皆、持ってるようなモデルみたいな人形だ。妹は大喜びで、俺は初めて自分の仕事が危険なことでも、その価値はあるんだって思えたよ。だけど、数日経った後、妹は大泣きしてた。父が人形を燃やしたんだ」
 ディノはこちらを見ているマリウスにほほ笑んだ。どうしてこの話をしているのか、一瞬考えて、考えが整理できないうちに、言葉がこぼれる。
「それで俺は……俺が妹を喜ばせたくてしたことが、結局、彼女をひどく悲しませてるって分かったんだ。直接、悲しませたのは俺じゃない。だけど、俺はそういうきっかけを作る悪い存在なんだと思った。彼女のそばにいたら、彼女を悲しませるって」
 行かないで、とすがる彼女の細い腕と小さな手を思い出す。顔を思い出せないのに、瞳だけが浮かんでくる。目の前にいるマリウスのように澄んだ瞳だった。
「おまえには気味が悪い話だろうけど、初めておまえを見た時、妹に見えたんだ。近づくべきじゃなかったのに、おまえをもっと見ていたかったし、話をしてみたかった。同じこと、繰り返してる。俺はただ、おまえの笑った顔を見ていたいだけなのに、俺のせいでおまえは、自分を壊さないといけないほどの苦しみを味わった」
 右手を伸ばして、マリウスの首をつかんだ。何をしているのだろう、と自問しながら、力を込めていく。
「同じこと、繰り返してる」
 ディノは自分の声を聞いた。以前にも同じことがあった気がした。マリウスの両手がディノの右手をつかむが、弱々しい力だ。早く泣いてくれ、と願っている。赤ん坊のように大声で泣いて、悪い夢から連れ出してくれ、と望んでいる。
 ディノはマリウスを押し倒して、彼の首を絞めていた。大きく開かれた口からにごった音が漏れていく。ぎゅっと閉じられた目尻からは、涙があふれていた。その彼の瞳が開き、涙をたたえたままディノを射抜いた時、ディノは完全に腕の力を抜いた。あの時と同じだ。苦しみから解放される恍惚感を宿した瞳は、同時にこの罪は許されると約束した優しい瞳でもあった。
 キッチンへ向かったディノはシンクへ頭を近づけて、水を流した。髪から水を滴らせたまま、せき込むマリウスの元へ戻る。彼は両手を広げた。小さく漏れた声は涙を飲み込む音だ。ディノは彼の信頼にこたえるべく、彼を抱えてソファへ座った。それから、彼の首筋へ、飲み込めなかった涙とともに口づけを繰り返した。


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