never let me go40 | ナノ





never let me go40

 フェデリコはブルベリージャムのしみを笑い、コーヒーへ口をつけた。ディノ自身も冷めてしまったコーヒーを飲んだ。
「不足はないか?」
「あぁ」
 買い物のために外へ出る必要はない。インターネットで購入したものは、ピネッリ家の人間がすべて確認した後、こちらへ運んでくれる。リンゴを食べ終わったマリウスは、ソファから滑るように下りて、車のおもちゃへ手を伸ばした。あらかじめ広げていた道路に見立てたシートの上へおもちゃを置き、手で車を押していく。
 マリウスの知能は三歳くらいだろうと思われた。彼は一日中、飽くことなく、おもちゃで遊ぶ。お気に入りはいくつかしかないが、実際、ここには子供がいる平均的な家の何倍ものおもちゃが置いてある。
「たまにはこっちで食ったらどうだ?」
 フェデリコの提案に、「あぁ」とこたえる。
「マリウスじゃない」
 マリウスを見つめていたディノに、フェデリコは苦笑する。
「おまえ、少し休めよ」
 ピネッリ家の本館へは、マリウスを連れて何度か訪れている。彼の警戒心も少しは薄れているはずだと考えていたら、まるで監視カメラでも設置して、こちらの様子を把握しているように言われた。
「おまえ自身が安定しないと」
 フェデリコの視線が動く。彼はマリウスのうなじあたりを見た。そこには内出血の痕がある。薄くなっているが、まだ青い。ディノは冷たいコーヒーを飲もうとしてやめた。底に残る液体は、ダークブラウンに血の赤を足したような色に見えた。
 意識のない間のことだから、と口にしても、シャツに下に隠れているマリウスの体のアザは、すぐに消えるわけではない。同様に、ディノの苦しみも簡単に消えたりはしなかった。
 マリウスは泣くだけだ。赤ん坊みたいに泣いて、ディノの意識を戻してくれる。その時、ディノはいつも確認した。マリウスが赤い血を流していないことを確認していた。だから、彼と彼女はちがうと理解できた。
「大丈夫なのか?」
 何が、と聞き返そうとして、やめる。ディノ自身、自分に起きていることがよく分からない。
「……本当にまずい時はちゃんと知らせる」
 フェデリコは満足げに頷き、コーヒーを飲みきってから、帰った。服を着替えるか迷っていると、マリウスがテーブルへ手を伸ばし、カップをつかんだ。
「何か飲むか?」
 頷くマリウスの髪をなで、ディノはキッチンへ向かった。

 首に息を感じた。鼻の下あたりがくすぐられる。目を開けると、マリウスの髪が見えた。左腕と体全体に感じる重みは、彼の体だ。いつ眠ったのか、覚えていない。背中に痛みがある。おそらくおもちゃの車だ。
 ディノは動くことが怖かった。繰り返している彼の呼吸をとめてしまいそうで怖かった。首筋にあたる呼吸はまるで、寄せては返す波のようだった。
「っ……」
 ディノは自分の目尻からまっすぐにこぼれた涙に驚いた。同時に、ずっとこうしていたいという心地良さに沈んだ。右手でマリウスの髪へ触れる。声を殺して泣いていたら、マリウスが動いた。彼は右手をついて、ライトブラウンの瞳でこちらをのぞき込むように見つめてくる。
「マリウス」
 首筋に残る内出血は、ディノの右手をそえれば一致する。彼の腕に残るアザも同じだ。
「朝から酒を飲む男が父親だった。機嫌が良くても悪くても、俺を殴るんだ。一年中、一日も欠かさずとは言えないけどな、暴力がない日なんてなかったって思ってる。もし、殴られなくても、前日の痛みが消えるわけもないし、寒さや空腹を思うと、やっぱり良い一日なんてなかった気がする」
 窓から射した光が、マリウスの髪を照らす。レッドブラウンの髪が輝き、ディノは指先で触れた。
 妹の名と顔をすっかり忘れてしまったのは、罰なのかもしれない、とディノはマリウスへ語りかけた。声には出さず、ただ彼の瞳を見て、心の中でそう考えた。だが、何に対する罰なのか、考えるだけばからしいと、すぐに思考を変える。
「おまえの作るラビオリが食べたいな」
 マリウスは頷いたが、今夜、彼がラビオリを作ってくれるとは思えない。ディノは彼の腰を支え、上半身を起こす。
「ありがとう」
 それでも、礼を言い、彼の額へ軽く口づけた。


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