never let me go18
底まで沈んだ体が浮いたように感じた。マリウスは暗闇に手を伸ばした。何もないように見えたそこに、扉があった。中へ入ると、ニケが男に襲われていた。マリウスは必死に走り、彼を犯す男の体へ体当たりした。
ニケがこちらを指差した。男はマリウスだった。マリウスはちがう、と叫んだが、ニケのうしろには銃を構えた警官や施設の職員達が白眼視していた。ちがう、とマリウスは繰り返しながら、暗闇の中を走った。
二つ目の扉を開くと、複数の男達に犯されている自分がいた。おかしいと思った時には囲まれて、一人分の支払いでまわされたことがあった。
終わった後も転がったまま、稼いだ金を握り締めて泣いている自分を見た。みじめであわれでいやしい自分を見て、マリウスは扉を閉めた。
次の扉を開き、マリウスはすぐに閉めた。施設の用具倉庫だった。何度も自分の存在を否定された場所だった。安心して眠ることができなかった。呼び出された時はいつも、気分が悪くなり、嘔吐することもあった。
もう一度、扉を開けた。マットレスの上で自分を犯している職員が声を荒げていた。逃げ出そうとした夜のことだ。失敗した後、マリウスは彼に引きずられて用具倉庫で折檻を受けた。おまえの担任は、おまえのことを気味悪いと言っていた。おまえのクラスメートも気持ち悪いと言っていた。彼はそう言って笑った。
マリウスは皆に自分という者を知られたと思った。ずっと変わっていなかった。みじめであわれでいやしい人間だった。
淡い黄色の扉を前に、マリウスは泣いていた。中から声が聞こえていた。のぞき見するようにそっと扉を開けた。
ディノにコーヒーを渡すと、彼は、ありがとうと言った。眉間にしわを寄せて本を読む彼に一度だけ、仕事は大変か、と聞いたことがあった。彼は、少しだけ考えてから、もう必要のない者に必要がなくなった、と通知するだけだと言った。それは辛い仕事だ、とマリウスは思った。
差し出された手のひらには可愛い包みに入ったアメがあった。その扉を開けよう、とディノが言った。おまえの子供時代が見たい、と続けて言われた。マリウスは慌てて、背中の向こうにある扉を隠した。だが、扉はあちらから開いた。
マリウス、早くベッドへ行きなさい、と直接響いた声に、マリウスは目を閉じた。体が扉の向こうへ吸い込まれていく感覚だった。ベッドの上で喜びの声を上げている自分を見た。隣に立ったディノが、あれがマリウスだ、と言った。マリウスは泣きながら、ちがうと叫んだ。見ないでくれ、と懇願した。
開いたままの扉からマリウスの人生に関わった人間が入ってきた。皆、マリウスを指差して、あれがマリウスだと教えた。マリウスは見ないでくれ、出て行ってくれ、と叫びながら、這うようにしてその場を逃げ出した。
最後の扉はとても小さかった。立って歩いていたら、見落としてしまうほど低く、小さな扉だった。マリウスは幼い子供のような嗚咽を上げながら、扉を押した。中に転がりこむと、おもちゃで遊んでいる自分がいた。まだ立つことができない様子で、座ったまま車のおもちゃを握って遊んでいた。
マリウスはおもちゃの入った箱から、クマのぬいぐるみを取り出した。それを抱き締めて、遊んでいる自分のそばで横になった。ようやく眠れると思った。
「ねむりたいの?」
自分の声に目を開けた。車のおもちゃをマリウスの額に乗せた自分が、小さな手で髪をなでてきた。マリウスは小さなしゃっくりを上げて、もういやだと答えた。小さな手はしだいに大きくなり、マリウスは自分が幼児に戻った気がした。
「やすんでいいよ」
マリウスは頷いて、温かい自分の胸元へ顔を寄せた。 |