never let me go5 | ナノ





never let me go5

 かすかに煙草のにおいが残っているマフラーを手にしたまま、マリウスはソファベッドへ横になった。次に会った時のために、車へ残しておくべきだと分かっていたのに、部屋にまで持ち込んでしまった。
 照明を完全に消すことはできず、マリウスは自然に閉じるまぶたを何度か瞬かせた。深い眠りに落ちたことは、覚えている限り一度もない。いつも浅い眠りで、ほんの小さな物音にも敏感になった。
 うとうとしては、はっと目を覚ます。その繰り返しでは、体に疲労が残るが、マリウスはすでに慣れてしまい、どうしても辛い時は休みの日に明るいうちから眠った。何度目かの瞬きの後、完全に目を閉じる。
 この街へ来る前、施設を飛び出して、自活するしか道がなかった頃、ラビオリの彼のように尋ねてきた男がいた。寒いのか、と聞かれて頷くと、彼はマリウスに体を要求した。街灯から離れた路地裏で、立ったまま彼を受け入れた。
 最初にマリウスを抱いた男は、その行為を愛だと教えた。保護された後は異常だと言われ、最後には金を稼ぐ手段になった。
 目覚まし時計が鳴る前に、ゆっくりと起き上がり、頬を濡らしている涙を拭う。厨房助手として働き、意義を見出している今、ニケのことは過剰に気にしないほうがいい。だが、彼のあの瞳を見るたび、うつむいて足元を見ている姿を目にするたび、施設から逃げて、体を売った過去の自分を重ねた。
 マリウスは、もっとも嫌悪している行為で金を稼ぐ言い訳を思い出して、くちびるを噛んだ。自分で選んでいる。そう言い聞かせてきた。いつやって来るか分からない相手ではなく、自らが選んでいる。その分、施設にいるよりましだと思った。
 運転免許を取得できたのも、今の仕事に就けたのも、すべて幸運だった。それに、とマリウスはソファベッドの上にあるマフラーをつかむ。
 誰かからの思いも寄らない親切に、救われる日もある。マリウスはニケにそのことを伝えたかった。

 ジャガイモの皮をむきながら、マリウスは向こう側の廊下を見た。ニケとカルロが連れ立って歩いている。
「マリウス、それが終わったら、ベシャメルソースが解凍できたか見てくれ」
「あ、はい」
 今晩の献立はジャガイモのグラタンだ。マリウスはベシャメルソースが解凍できていることを確かめた後、ジャガイモを薄くスライスする。料理長はマリウスが先ほどまで見ていた廊下へ視線をやり、声をかけた。
「おまえは優しいから気になるんだろうが、あいつらの心のケアは任せとけばいい。俺達はうまくて栄養満点の食事を作ってサポートしてるんだからな」
 スライスする手をとめず、マリウスは返事をする。
「はい。でも……ニケはあまり食事をとってないみたいで、心配なんです」
 椅子から立ち上がった料理長は、作業をしているマリウスのそばまで来ると、小声で続けた。
「あいつは特別、難しい子だ。ここだけの話だが、父親にレイ、おい、大丈夫か?」
 スライサーで指を切ったマリウスは、水をはったボウルの中へ落ちていく血を見つめた。
「マリウス? あぁ、だいぶ深くいったな。こっち来い」
 料理長が手際よく、血を拭い、傷口を洗ってくれる。
「さっきの話、誰にも言うなよ」
 マリウスは何とか頷いたが、水の中へ溶けていった血のように、不安が広がるのを感じた。


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