never let me go4 | ナノ





never let me go4

 また会えそうという予感は外れた、とマリウスは思った。カートを押しながら、一つだけ残っているバゲットを見つめる。暦は変わり、ひと月ほど経ったが、あれからラビオリの彼に会うことはなかった。
 ホテルにいたのなら、仕事でこちらへ来ていただけなのかもしれない。それならもう、二度と会うこともないだろう。マリウスは最後のバゲットを手にした。
 助手席へエコバッグを置こうとして、一週間ほど放置していた二冊の本をつかむ。料理長から栄養士の勉強を始めたらどうか、とすすめられたものの、書店で立ち読みした教本や試験問題集を見て、くらくらした。
 調理師免許の試験には三回も落ちてしまった。皆が自分をバカだと言っていることは知っている。だが、料理長だけは若いうちに資格を取っておけば職にあぶれることはないと、マリウスを心配してくれた。
 それでよく車の免許を取れたな、とからかわれたこともある。買収でもしたのか、と聞かれて、マリウスは苦笑するしかなかった。試験官に百ユーロほど払えば筆記試験に合格させてやる、と言われて、実際に金を払ったからだ。
 ハンドルを握り締め、どうやってその金を工面し、自分の過去を捨てるように南から北へ移動したのかを思い返し、マリウスは大きく息を吐いた。学校できちんと勉強できる環境ではなかった。基礎力を持たないまま、資格を取るのは大変なことだった。
 学校での成績があまり良くないニケが、宿題をしている姿を何度か見た。大広間のテーブルで、職員に聞けばある程度は助けてくれるが、彼は何を聞けばいいのかも分からないような、途方に暮れた状態だった。
 子供達にとって、施設は自分を取り戻せる場所のはずだ。家庭環境や複雑な事情から離れたのに、ニケは何年経っても変わらない。変わることができない原因がある気がして、マリウスは軽く首を横に振った。自分が経験した出来事の中で、二番目に辛かったことが、彼にも起きているとは考えられない。
 だが、職員のカルロがニケを呼び出す回数は異常だ、とマリウスは思っていた。厨房助手の自分がそのことを口にしても、職員達から睨まれて終わりだろう。推測だけでは、言葉にすることももちろんできない。

 二度と会うことはない、と思っていたラビオリの彼が、保存食の棚を物色している姿を見て、マリウスはほほ笑んだ。三度目にして、マリウスは彼を観察するだけの余裕が持てた。レジの店員が言っていたように、彼は裕福そうだ。
 やわらかそうなオーカー系の色合いのマフラーが肩から落ちそうになり、彼は優雅な仕草でそれを直した。その手がまたラビオリの缶詰に伸びて、マリウスは控えめに声を立てて笑う。
「ホテルの食事には飽きるのに、それには飽きないんですか?」
 ラビオリの彼はマリウスを認めると、すぐに、「あぁ」と返事をした。気安く話しかけてみたものの、マリウスは本来、社交性がない。この後は何を言おうか、と悩んでいると、彼がこちらを凝視していることに気づいた。顔に何かついているのだろうか。マリウスは両手で両頬を擦った。
「寒いのか?」
「え……あ、はい、寒いですね」
 外は冷たい雨が降っている。ラビオリの彼はマフラーを外し、マリウスの前で立ちどまった。やわらかく、そして温かいマフラーが首にかけられ、くるくると二回りする。彼の行動に驚いて、彼を見上げると、彼も彼自身の行動に驚いた様子で、何も言わずに踵を返し、レジへ進んでいく。
 自分の視界がにじんでいると知り、マリウスは息を飲み込んだ。こういう親切を受けたのは初めてだった。何の見返りも要求されない、まっすぐな思いやりだ。それを受けるだけの価値が自分にまだあるなんて、とマリウスはそっとマフラーを握った。


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