never let me go3
「ニケ」
声をかけると、ニケは眠いのか、涙を拭ったのか、何度か目を擦る仕草を見せた。
「夕飯、食べた?」
「……おなか、空いてなくて」
ぼそぼそと話すニケに近づき、マリウスはリンゴを一つ手渡す。彼が受け取ってから、片手でつかんでいたリュックサックを背負い、「おやすみ」と言った。ほの暗い茶褐色の瞳が、まるで何もかも見透かすようにこちらを見返してくる。だが、その瞳に宿っている感情は、すべてに見切りをつけた諦観だけだった。里親を見つけることが難しいとか、将来の不安だとか、そういう類の不安が原因ではない。
「ニケ?」
思わず、ニケを苦しめている何かを聞こうとした。
「ニケ、早く部屋に戻りなさい」
先ほど、ニケと一緒にレクリエーションルームへ入った職員カルロが声をかける。彼は視線だけで、どうかしたか、と問いかけてきた。マリウスは首を横に振り、あいさつをして駐車場へ向かう。
雪は降っていないが、零下に近い気温だ。震えながら、乗り込み、エンジンをかける。今日はいつもより、十五分ほど遅いが、スーパーはまだ開いている。マリウスはいつものように閉店間近の店へ駆け込んだ。
売れ残りのバゲットを見た時、マリウスの心をかき乱していたニケの姿は消えた。マリウスはカートを押しながら、彼はいないか、と周囲を見回す。何を期待しているのか、自分でもよく分からない。
袋に入ったパスタを見比べながら、マリウスはクマの形のショートパスタを手にする。ウサギの形をしたチョコレートや飛行機のイラストが描かれたヨーグルトもカートの中へ入れた。最後にバゲットを買い、エコバッグの中へ詰め込む。
窓ガラス越しに暗い外を見て、またニケのことを思い出した。あの何もかもに絶望している瞳を、マリウスはよく知っていた。
「先、越されたか……」
独り言のようにささやいた彼に驚き、マリウスは視線を上げる。
「あの、この間は、ありがとうございました」
マリウスはエコバッグから出ているバゲットをつかみ、前回、彼がしてくれたように紙袋ごとちぎろうとした。だが、彼のようにはうまくいかず、なかなかちぎれない。
「いい。さっきのは冗談だ」
彼はそう言い、一瞬、暗い外のほうへ視線を走らせた。だが、それは本当に一瞬のことで、マリウスはまだバゲットをひねり、ちぎろうとしていた。
「今日もラビオリですか?」
間が持たず、マリウスはダークブラウンの瞳を見ながら、尋ねる。彼は前回よりも柔和な雰囲気だった。
「あぁ。ホテルの食事に飽きたから、馴染みの味を」
ホテルと聞いて、会話を続けるために聞き返せばいいのか、それとも失礼になるのだろうか、と考えているうちに、彼の大きな手がマリウスの手に重なった。
「本当にいいんだ」
彼は野菜売場を抜けて保存食の置いてある棚のほうへ消える。マリウスはバゲットをエコバッグへ入れ、駐車場へ向かった。
エコバッグは助手席へ置き、バックミラーでスーパーの出入口を確認する。この辺りにはホテルはない。だが、彼はラビオリの缶詰を片手に持ち、道の向こう側へ歩いていく。また会えそうだと思いながら、マリウスはエンジンを入れた。 |