エウロパのうみ9 | ナノ





エウロパのうみ9

「母と美瑛に行きました」
 善が廉に頼んだナッツ類の盛り合わせを二人でつまみながら、時和は三泊四日の旅行の話や高校時代の友人に会った話をする。話し終えると、今度は善が、夏休みを取って部屋探しをした話を聞かせてくれる。
 今、住んでいる部屋が狭いと感じ、もう少し広い場所へ引っ越したと言う善の言葉に、時和は素直に羨ましいと思った。物心ついた時からあの団地に住んでいて、引っ越しを考えたことはない。だが、狭い台所に立つ母親の背中を見る時、時和は彼女に楽をさせたいと考える。孫の顔は見せられないだろうから、その分、いい暮らしをさせなくてはいけない気がした。
 旅行をしたり、誕生日に外食したりするのは、母親を喜ばせたいという純粋な気持ちと、不甲斐ない自分を自ら肯定するためだ。三杯目のタリスカーを飲みながら、時和はとつとつと善に打ち明けた。酔っているから、話すのはやめたほうがいいと分かっているのに、彼の瞳を見つめながら、情けない自分をさらけ出した。
「時和君はお母さん思いなんだね」
 褒められたことに対して、頬が緩む。
「善さんはきれいですね」
 親孝行を褒められた返し言葉には不適切だが、時和は気分がよく、ただ思ったことをそのまま口にしただけだった。善は小さく笑い、「君に言われると嬉しいな」と財布を取り出す。
「帰るんですか?」
 空になっている善のショットグラスを見て、時和はタグのついたボトルを手に取る。注ごうとしたが、彼は首を横に振った。
「別のところで飲み直そう。立てる?」
 優しい物言いで、善が手を貸してくれる。
「すみません」
「大丈夫」
 廉に見送られながら、外へ出て、大通りまでの道をゆっくり歩いた。最初からタリスカーをストレートで飲んだせいか、いつもより酔いが回っている。時和は善がほんの少し距離を置いて歩いてくれることに好感を持った。こんな場所で肩や腰に手を回されたら、互いに一夜限りの相手を求めているのだと噂されてしまうからだ。
「終電、間に合わなくてもいいかな?」
 タクシーを停めた善が、そう言ってほほ笑んだ。朝帰りでも母親は容認してくれるが、今、聞かれているのは朝帰りでいいかということではない。時和は冷静に考えようとして、タクシーのハザードランプを見つめた。
「時和君」
 名前を呼ばれて、善を見た。
「遊びで誘ってるんじゃない」
 軽い気持ちではないなら、何だろう。時和は善に促されて、タクシーへ乗り込んだ。十分ほど経ったところで、タクシーが停まる。善が料金を払い、先に降りる。時和は庇を見上げて、ホテルだと思い込んでいたが、実際にはホテルではなくマンションだった。
 正面玄関にいたる道の脇には緑があふれ、市内中心部であることを忘れてしまうほど静かだ。善がエントランスへ続くドアを開け、風除室になっている空間で暗証番号を入力する。
 深夜の時間帯のせいか、出入りする人間はほかにいない。エレベーターホールの奥の空間にはプレートがあり、コンシェルジュと刻印されていた。善は高層階へ上がるエレベーターのボタンを押し、二十八階を選ぶ。


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