エウロパのうみ10 | ナノ





エウロパのうみ10

 善が取り出したカードキーで玄関の扉を開けると、照明がついた。廊下にはダンボールが積まれていたが、十分な広さがある。
「先週、引っ越したばかりなんだ」
 時和は、「お邪魔します」と靴を脱いで上がった。リビングダイニングには円形のソファが置かれ、やはりダンボールが並んでいる。引っ越したばかりの部屋へ自分を招くなんて、と考え、タクシーに乗る前に彼が言ったことを思い出した。知り合って丸二ヶ月は経っているが、会ったのは今日で二回目だ。
 互いを知るためなら、あのまま『ren』で飲んでもよかったのに、と時和はキッチンにいる善を見た。彼はダンボールから取り出したグラスを洗い、タオルできれいに拭き始める。家具や家電は新しいものに見える。冷蔵庫の製氷機を開け、氷をグラスへ入れた彼は、「座ってて」とこちらを見て笑った。
 時和は大画面テレビではなく、大きな窓へ近寄る。すでに深夜を回っているため、ところどころ暗いが、夜の街は人工的な輝きを見せていた。二十八階という高さから風景を眺めたのは初めてだ。うっかり窓に手を触れてしまい、ガラスが汚れた。時和は慌てて、息を吹きかけ、シャツの袖で磨く。
「時和君」
 善が笑いながら、「そんなのいいよ」と言った。
「こっちに座って」
 円形のソファの真ん中にあるテーブルに、飲み物が置かれる。
「クランベリージュースで割ってある」
 善はいつの間にかネクタイを外し、シャツの袖をまくっていた。きれいな笑みでこちらを見て、「乾杯」とグラスを当ててくる。時和はウィスキーのクランベリージュース割を飲み、そのすっきりとした甘さに安心した。これ以上、ストレートでは飲めないと思っていたからだ。
「おいしいです」
 時和はもう一口飲み、グラスをテーブルへ戻す。隣に腰かけていた善は、「よかった」と時和の髪をなでた。性的なものではなく、兄が弟の頭をなでるような動きだ。
「どうして俺に、声をかけたんですか?」
 ソファの背もたれに腕を置き、寛いだ様子の善は、「うん」と小さく言った。
「いい子に見えたから。実際、いい子だと分かった」
 廉と同様に善も若く見えるが、十歳は離れているだろう。だから、彼のいい子という表現については仕方ないと思う。これまでも、名刺を渡されるだけではなく、露骨に体を探られたり、金を握らせて行為に及ぼうとされたこともある。敷居の低いバーだとその確率は高く、だからこそ時和は無理をしてでも『ren』の常連になった。
 『ren』の常連客達は時和の意思を尊重し、名刺の裏に書かれた番号へ連絡を取らないまま、またバーで会っても、知性にあふれた対応をしてくれる。
 こちらを見つめる善の茶色い瞳から逃れられない。キスされる、と思った瞬間、彼の肩をつかんだ。彼は互いの鼻同士が当たるほど至近距離にいる。くちびるではなく、左頬にキスを受けた。
「時和君……誰か好きな人がいるんだ?」
 体を離し、ウィスキーを飲んだ善が苦笑する。彼がそんな人間ではないと分かっているが、時和は無理やりキスをされずに済み、安堵感から溜息をついた。
「それってバーで話してた高校時代の友達?」
 時和もグラスから一口飲み、小さく頷く。
「そうか、うん、でも、俺について来てくれたってことは、少しは俺にも興味、持ってくれてるって思っていい?」
 それも図星のため、頷く。おとぎ話は夢見ていない。だが、嫌味でもなく、傲慢さもなく、柔らかな話し方をする彼のことを好きだと思う。
「ありがとう」
 にっこりと笑う善が、「じゃあ、もう一回、友達のキスしてもいい?」と尋ねてくるので、時和は思わず腹を抱え、反対側の頬を差し出した。


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