エウロパのうみ4 | ナノ





エウロパのうみ4

 はい、と渡された名刺には、会社名と役職、そして名前があった。
「村本……ぜん、さん?」
 金融関係と分かる会社名とオフィスマネージャーという肩書きを見て、目の前の彼もすごい人なのだと思った。どうすごいのか、時和は自分のボキャブラリーでは表せない、と内心苦笑してしまう。
「善はヨシなんだ。でも、読みにくいから、皆はゼンって呼ぶけどね」
 善の言葉に、時和は、「村本ヨシさん」と言い直す。
「おまたせしました」
 丸みを帯びた皿の上にはパスタが湯気を立てていた。スモークチーズの香りに魅かれる。トマトと生ハムと少量のオリーブオイルで味つけされているらしい。善は、「いただきます」とフォークを取った。
「廉、時和君にタリスカーをストレートで」
 時和は軽く頭を下げ、廉が新しいショットグラスへタリスカーを傾ける姿を見つめる。彼は時和の右側に置いてある名刺を見て、かすかに笑みを浮かべた。
「時和君に限ってないと思いますが、ゼンさんからお金を借りてはいけませんよ」
 大きく口を開けて、パスタを頬張っていた善は、フォークを置き、親指でくちびるの端を拭った。そういう所作もさまになる。時和は名刺をもう一度見直した。善がその手首をつかみ、名刺を奪う。
「時和君なら、無利子で貸すよ」
 ペンを取り出した善は、名刺の裏に電話番号を書いてから、時和へ名刺を返した。時々、番号の書かれた名刺をもらう。誰かに気に入られることは素直に嬉しいと思う。だが、時和とは住む世界の違う彼らが望むのは、一時的な関係だけだ。二度、三度と会えば、ここ以外で会うこともある。普段は行かない高級クラブやレストランで会う時、時和はそこに適した衣服を持ち合わせておらず、払えるだけの金もなかった。
 『ren』で少し高めのカクテルやウィスキーを飲み、自分と同じマイノリティの人間の中でも成功している彼らの話を聞く。時和はそれだけで満たされている。恋心は高校時代に封印したままだ。
「それで、時和君は何を?」
 仕事のことを聞かれる時、時和は正直に話している。
「コンビニの夜勤で働いてます」
 そうなんだ、と流されることがほとんどだが、時おり、馬鹿にされることもある。そういう時は廉が助けてくれた。善は食べ終わったパスタの皿を脇へ移動させ、ショットグラスを空にしてから、廉へ二杯目を促す。
「毎日?」
「え、はい、いえ、あの週五です」
「体、大丈夫?」
 今までこういうふうに聞かれたことがなく、時和は多少戸惑いながらも、「大丈夫です」と返した。
「コンビニ、便利だよね。夜中でもアイス食べたいと思ったら、開いてるしさ。時和君がその利便性、支えてるんだ」
 右手でショットグラスを掲げた善が、時和にもショットグラスを持たせる。
「乾杯」
 善が一口飲んでから、時和も、「いただきます」と一口飲んだ。癖のある味だが、おいしい。時和は最初の甘みを感じるため、もう一口、飲んでみる。
「気に入った?」
 頷くと、善は他の常連客達と談笑していた廉に合図する。
「時和君の名前でキープする」
「え、いえ、そんないいです」
 タグを持った廉は、時和の言葉など聞こえなかったように、名前を書いてボトルへつけた。
「俺、だいたい金曜しか来ないけど、また縁があれば」
 善は会計を済ませると、入って来た時と同じように颯爽と出て行った。


3 5

main
top


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -