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 イハブの小屋には丸い机と椅子が二つある。椅子の一つはハキームの家から持ってきたもので、小屋の中でもひときわ浮いている。その良質の椅子に座ったエクは、香辛料で味付けされた鶏肉を切り分けた。
 食事の席に女性がいない場合、肉を切り分け、副菜を取り分けるのは同席する人間の中で若いほうが行なう。
「ありがとう」
 エクから皿を受け取ったイハブは、狭い机の上にある木碗の位置を直した。彼が手をつけてから、エクも食事を始める。イゾヴァの商隊から買い付けを終えた彼は、いつもより早い時間に戻ってきたらしい。エクが宮殿から戻ると、苦々しい表情をした彼が迎えてくれた。
「イゾヴァの者達が湿地帯で採取する薬草の中に……」
 イハブは小麦パンをちぎり、副菜の煮汁へひたしながら、今日のことを話した。本題は食事後に待っている。エクは相槌を打ち、舌の上でひりつく香辛料に苦笑する。辛いものは苦手だったが、ようやく舌に戻った感覚は気分を明るくさせてくれた。今はまだ辛いものしか分からないものの、いずれ味覚は戻ると信じていた。
 汚れた食器をハキームの家の台所まで運ぶ。彼の三人の妻は皆、エクに優しく接してくれた。末の一人娘だったリラが結婚して家を出てから、すっかり寂しくなったと言っていた。リラはイハブと結婚すると噂されていた時期もあった、と冗談交じりの口調で言われたこともある。
 息子のいないハキームにとって、イハブがどういう存在か、エクにもよく分かっていた。リラとの結婚がなくても、良家の子女を迎えれば、都一の名医と呼ばれる家はその技術を継承していく。
 小屋へ戻ると、イハブが茶をいれて待っていた。
「おいで」
 同じ寝台で寝るようになってから、イハブはとても打ち解けやすい雰囲気を出すようになった。彼はあくまで友達のような態度で接してくるが、髪や頬をなでられる時、エクはいつも少しだけ期待していた。
「離宮へ戻るように言われたのか?」
 呼ばれて座った寝台は、新しい布へと取り替えられていた。イハブは椅子を引き、エクの前へ座る。
「はい」
 タミームの脅迫じみた言葉を思い出し、エクは視線を落とす。月の日は三日後だ。エクのこたえは決まっている。
「戻るのか?」
「はい」
「エク」
 即答したら、イハブもすぐに名を呼んだ。
「顔を上げてくれ」
 エクがうつむいたままでいると、イハブの手があごをつかんだ。彼の顔がにじんでいる。エクは嗚咽をこらえて、くちびるを結んだ。
「エク、どうしたんだ?」
 あごをつかむイハブの手を、エクは両手で握った。切り傷の多い指先はかさついており、薬草の色が沈着したのか、少し青黒くなっていた。この手はサルマの薬を調合した。エクの傷口を消毒し、包帯を巻いてくれた。これからも、多くの人の命を救う手だ。だが、彼はたった一つの大切な命を救えなかったことを後悔し続けている。エクは彼の右手の人差指へ、そっとくちづけをする。
「あなたは素晴らしいお医者様です。僕のこと、何度も救い上げてくれました。これからも、この手に救われる命はたくさんあります」
「……エク」
 立ち上がったイハブは、エクの手を握り返し、ひざをついた。エクは自分をのぞき込む黒い瞳を見つめる。

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