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 エクは自分の体を覆うイハブの腕の中で、静かに目を閉じた。彼からは先ほどまで調合していた薬のにおいがするのだが、味覚を失くしているエクにはほんのかすかなにおいでしかなかった。
 ずっと、と願っていても、時間がとまるわけではない。客の気配に体を離したイハブは、エクに背を向けた。クヴァッキーニをもう一つ食べる。甘い味はしない。だが、エクはかすかに笑い、指先についた白い粉をなめた。
「エク、コルンとヴェーテをここへ入れてくれ」
 差し出されたカゴへ、エクは指示された薬草を一房ずつ入れた。
「ありがとう」
 エクはイハブからの感謝の言葉に、頬を染めながら、懸命に手を動かした。仕事を手伝えば、ずっとそばにいられる。
「イハブ様」
 客を見送ったイハブへ声をかける。
「僕、薬草採りも手伝います」
 薬草の知識が乏しいことや、左足の具合を見て、手伝いを拒まれているのだと思っていた。だが、イハブは軽く首を横に振る。
「いや、薬草採りはいい。朝は早いし、それに……一人で行きたいから」
 一人で行きたい、という言葉に、自分達の距離が縮まっていると感じているのは自分だけなのだと理解した。エクは、「分かりました」と何とか返事をして、手元の薬草を刻んでいく。ほんの一瞬、くちづけをされた程度で、舞い上がる自分を恥じた。気まぐれにくちづけされても、エク自身の体から傷痕が消えるわけではない。

 陽の昇りきらない朝の早い時間だった。エクは眠れないまま夜を超えた。メルを引き、薬草採りに向かうイハブの姿をこっそり追う。このまま足の調子が良くなれば、エクは離宮に戻ることになる。
 タミームの言葉に頷き、離宮へ戻ることに異を唱えなかったのはエク自身だが、そのことを考えると、エクは自分が消えていくような感覚を覚えた。自分の意思とは関係なく、また守衛達に体をもてあそばれるのだと思うと、息が苦しくなる。
 霧に包まれている森の中へ入るイハブは、慣れた道なのか、どんどん進んでいく。エクは彼の後を必死に追った。取り残されれば、それこそ霧の中で自分を失いそうだった。樹齢を重ねたダーナの樹が茂る森の奥は、霧が濃くなっている。
 むき出しの幹に足を取られ、エクは前に転んだ。土や葉を払いながら、正面に目を向けると、青い湖が見えてくる。そのまま足を進めた時、霧の中から声が聞こえた。イハブの声だ。エクはその声の方向へ歩いた。
「……イハブ様」
 ひときわ大きなダーナの樹の間で、イハブはひざをついていた。その背中へ声をかけると、彼が振り返る。息を飲んだのは、彼の頬が濡れていたからだ。黒い瞳からあふれている涙は、朝露より輝き、はかなく見えた。
「イ、イハブ様、あの」
 勝手に後を追ったことを謝ろうとした。だが、先にイハブが両腕を伸ばして抱き締めてくる。ひざをついたまま、頬を腹のあたりへ寄せた彼は、「ごめんな」とささやいた。今まで聞いたことのない、心を震わせるような優しく甘い声だった。
「ごめんな、ラウリ」
 力が抜けていく。エクは当惑していた。イハブの手は優しく背中をさすり、そのままゆっくりと押し倒される。彼の左手がエクの後頭部を支えた。くちづけを受けても、もう時間がとまるように願うことはなかった。エクは抵抗せず、彼の涙で濡れたくちびるが離れるのを待つ。
「……ラウ、リ?」
 エクの瞳を見つめたイハブが、不思議なものを見る表情でこちらを見下ろした。

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