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 少し腫れている左頬へ触れたイハブは、溜息をついた。それから、彼が目を閉じたため、エクはただじっとしていた。迷惑をかけたくない。規則的に揺れる馬車の中、エクはずっと縮こまっていた。
 群青色の夜に、橙色の炎が灯される。診療所の出入口で、エクは静かにたたずんでいた。中から、ハキームが出てくる。食事中だったのか、何度か袖で口元を拭った。
「イハブ……」
 ハキームはイハブに何か言いたそうだったが、エクの左足を見て、「入りなさい」と促した。診療所の奥にある二つの寝台のうち、手前のほうへ腰かける。エクは仕切り布の向こうから聞こえてきた小さな声に耳を傾けたが、ほとんど聞き取れなかった。
「エク、夕食だ」
 イハブはそう言って、仕切り布を引く。温かいスープと小麦パン、そして果物をのせた皿を差し出された。
「ありがとうございます」
 診療所の外には急病人のために、夜でも絶えず炎が灯されている。その明かりは奥にいるエク達にも届いていた。エクは温かいスープから口をつける。
「エク」
 食べ始めたエクを見て、イハブは隣へ腰かけてきた。緊張してしまい、小麦パンを急いで飲み込む。
「……何か、無理強いされたことはあるか?」
 エクはこちらを見つめるイハブの瞳から逃れる。手と口を動かし、必死に食べ続けた。そうすれば、話す必要がないからだ。
「エク」
 責め立てる口調ではないものの、イハブは右手をエクの左手へ重ねた。思わず肩がはねる。
「あ、あ、の」
 エクは複数の手がうしろから伸びてくる感覚を覚えた。その手がエクの体へ絡み、息苦しい気持ちにさせる。自分の気持ちは押し殺さなければならない。相手が望むことだけを口にしなければならない。だが、エクにはイハブの望むものが何か分からなかった。
「あ、僕、あの、離宮で、僕なんかが、お役に立てるなら、それだけで、ほ、本当に」
 嬉しいです、とあふれたのは言葉だけではなかった。ぱたぱたと涙が落ちていく。イハブは立ち上がり、清潔な布で涙を拭ってくれる。
「それを食べたら、横になれ。誰か来たら、受付にある鈴が鳴るが、おまえは起きなくていい」
 涙を拭いた布を寝台へ置き、イハブは仕切り布を引いた。他意はないはずなのに、エクはその仕切り布が彼と自分を隔てる壁なのだと感じてしまう。療養と言われたが、それはどのくらいの日数なのだろう。エクはせめて邪魔にならないように気をつけようと心に決めた。

 鈴の音は聞こえなかったが、エクは翌朝、誰よりも早く起き出して、診療所の床を掃除した。朝食を持ってきたイハブにとめられるまで、エクは掃除できる場所を探してはほこりを払い、拭き掃除を繰り返した。
「舌を出して」
 筒から流れ出た薬液が、朝食を終えたエクの舌へあふれる。飲み込んで、と言われ、エクはその通りにした。こちらを見つめていたイハブはかすかに首を傾げる。エクは何か間違えたのかと思い、大人しく彼の言葉を待った。
「エク、もう一度、舌を出してくれ」
 エクは大きく口を開け、舌を出した。イハブは舌を長い棒のようなものでなぞり、喉の奥まで見渡すように体を動かした。
「いつから、食べ物の味がしなくなった?」
 口を閉じたエクは、拳を握り締める。

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