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 川からは遠い宮殿の中に造られた湖は、空を映していた。エクの体はその青へ投げ出され、沈んでいく。衣服が動きを封じてしまうが、エクは泳ぎ方を知らなかった。人工的な湖はある程度深さはあるものの、一度沈んだら浮き上がらないほどの深さではない。
 足が底へあたると、体はゆっくりと浮上を始めた。湖面から顔を出した瞬間、大きく呼吸する。重くなってしまった衣服が、手をばたつかせるエクの体から力を奪った。口に入る水を飲み込み、悲鳴は音にならない。死んだら、と考えていた自分が馬鹿らしい。死に直面してようやく、エクは死にたくないと思った。
 騒がしい声を聞き、必死にそちらのほうを見ようとした。だが、エクの体は沈み、大量の水がまた口の中へ入ってきた。最後に見たのは、水の中の泡だ。たくさんの泡が浮き上がるように動き、黒い影が近づいた。
「エク!」
 ぱちぱち、と頬を叩かれる。イハブの声は幻聴だと思い、返事をしなかった。くちびるへ触れた何かと胸を押さえるような動きが続く。こみ上げてきたものが、喉の奥からあふれた。
「エク!」
 イハブの声を聞き、幻聴かどうか確かめなければと思うのに、目が開けられない。エクは大きく体を揺さぶられた。
「乾いた布を持ってきてくれ!」
 背中にあたる感触は、自分が眠る寝台だった。指示を出すイハブの手が濡れた衣服へ触れている。エクは目を開き、せき込んだ。飲んでしまった水があふれ、寝台を汚していく。
「エク、心配ない。すぐに体を温める」
 イハブは冷静な声でそう言い、エクの体から濡れた衣服を脱がそうとした。
「っだ、い」
 かろうじて動かせた右手で胸元を押さえると、イハブが、「どうした?」と尋ねてくる。エクは目に涙を浮かべた。その大粒の涙は、すぐにあふれ、頬を濡らす。
「みな、っで」
 見ないで、と繰り返した。イハブは医術を心得ている。傷痕を見れば、どのようにしてできた傷なのか、分かるはずだ。こんな体を見られたくなかった。エク、と困惑して自分の名前を呼ぶイハブに、エクは繰り返す。
「みない、で、ぃ、や……だ」
 イハブは足元にあった袋から、薬を取り出す。ふたを開け、中身を確認した後、彼は、「口を開けて」と言った。エクが大人しく口を開けると、細長い筒の中から液体が流れ出る。
「苦いだろうが、飲み込んで」
 エクは言われた通り、その液体を飲み込んだ。
「体が冷えてしまう前に、これで拭いて、新しい服を着るんだ」
 背を向けたイハブから渡された乾いた布で、エクは濡れている体や髪を拭いた。服が入っているカゴまで、捻ってしまった左足へ負担をかけないように歩く。寝台まで戻ると、イハブが、「着替えたか?」と尋ねてきた。
「はい」
 イハブはエクの足元へひざをつき、捻ってしまった左足へ触れる。あの時と同じだった。彼の指先は優しく丁寧に包帯を巻いてくれる。まるで大切に扱われているようで、面映い気持ちからうつむいた。
「ここは親善大使が使っていると聞いていたが、エク、おまえだったのか」
 包帯を二つに裂き、多少の動きでは解けないように結んだイハブは、エクの表情を見て首を傾げる。
「オストヴァルドに一度戻ってから、またこっちへ来たのか?」
 黒く輝く瞳に見つめられ、エクはかすかにほほ笑んだ。しっかりと結んだ衣服の前を両手で押さえ、「はい」と頷く。立派な人間になったと思われたかった。

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