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samsara10

 使用人に髪をとかしてもらっていたユハの部屋にヴァリオが飛び込んできた。夕暮れ前の部屋は赤く染まっている。ユハは湯浴みを済ませて夜の訪問者への準備をしていた。通常であれば、ユハへの謁見は上級神官へ申し入れなければならない。だが、ヴァリオは肩で息をしながら、勢いよくユハの横まで駆けてきた。使用人が驚いて、後ずさる。ヴァリオの体は血だらけだった。
「ユハ殿」
 黒い瞳は潤んでいた。ユハは椅子から立ち上がり、ヴァリオを見上げる。
「来てくれっ」
 土と埃と血で汚れた手が、ユハの腕をつかむ。
「ユハ様!」
 使用人が叫んだ。ユハは使用人を見た。その瞳だけで何を言いたいのか理解できる。このまま神殿の外へ行くようなことがあれば、彼もまた罰を受けるかもしれない。
「頼む、来てくれ!」
 懇願されたユハは使用人へ謝り、ヴァリオの歩調に合わせて、駆け足で部屋を出た。幸い、上級神官達に見られることなく神殿の外まで出られた。だが、ユハはヴァリオがどこへ連れて行こうとしているのか、さっぱり分からなかった。
 走りながら、初めて見る街の様子にユハは少し驚く。想像していた活気はなく、閑散とした街だった。商店街と思わしき通りも人が少ない。ヴァリオは聖地を守るように造られた外の壁まで行き着くと、そこに待たせていた馬にユハを乗せた。馬に乗るのが初めてのユハは怖くて、ヴァリオの名前を呼ぶ。
「大丈夫」
 ヴァリオはユハのうしろへ乗り、まるでユハをうしろから抱えるように手綱を持った。ユハの体は大きく揺れたが、ヴァリオが手綱を握りながら、しっかりと腕でユハの脇を固めてくれたため、落ちることはない。

 時間にして数十分ほど東の方角へ進んだところに森が見えた。その森の手前には騎士団のテントが見える。ユハの知識は八歳までのものだった。神殿へ入って学んだことは体を使って男達の性欲を満たす術だった。
 だから、騎士団のテントを見ても、それが野営テントであることも、現在、騎士団が行軍中であることも分からなかった。まして、東の大国マールが聖地グルントと密約を交わし、二国間にある王国に攻め入っていることすら知らない。
 ヴァリオは先に馬から下りると、ユハの両脇を支えるようにして、ユハのことも下ろしてくれた。
「こっちだ」
 腕を引かれて、いくつもあるテントの間を抜けていく。場違いな格好をしているユハに視線が注がれた。誰もが噂でしかユハを知らない。ユハは見目はよかったが、今夜のために貫頭衣を着ていたため、誰も最高位の上級神官だとは思わなかったようだ。
 ヴァリオがテントの一つへ入った。
「連れてきたぞ」
 ヴァリオは焦った様子だったが、声には少し安堵がにじんでいた。ユハはヴァリオが話しかけている青年へ近づく。彼は簡素な布の上に寝かされていた。二人の青年がそばにいたが、そのうちの一人は軍務長官であるレイシアだった。
 青年の胸の傷は左肩から斜めに入り、心臓の上を通過して肺へと深く達していた。ユハは一歩ずつ近寄り、向かいのヴァリオの瞳を見上げて、どうして自分がここへ連れてこられたのか理解した。
「頼むっ、助けてくれ……」
 祈るように頼まれ、ユハは息を飲み込んで、ヴァリオを見つめ返した。ヴァリオは瞳に涙を溜めて、小さく、「俺の弟だ」と告げた。
 ユハの握り締めた拳が震えた。ヴァリオの弟の傷は医学的知識があれば、もう回復魔法でも間に合わないほど深いものだと分かる。だが、神殿でそういったことを学んでこなかったユハには分からない。
「ヴァリオ、その傷じゃもう……」
 レイシアの隣の青年がささやくように言った。ヴァリオはその青年を見ることなく、ユハの両肩をつかむ。
「稀代の上級神官だろ? おまえは病気すら治せるんだろ?」
 ユハは首を横に振りたかった。だが、ヴァリオの哀願を前にして、そんなことはできなかった。ひざをつき、傷口へ手の平をかざす。

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