ゆらゆら10 | ナノ





ゆらゆら10

「もうすぐ社会人になるんだから、酔いつぶれるまで飲むのは控えなさいよ」
 苦笑する母親を見て、孝巳は小さく首を傾げる。
「俺、お母さんの会社に就職していいの?」
 ジュエリーに興味はないが、だからといってアパレルにひかれているわけでもない。さらに、兄達の時と違い、両親は積極的に経営の話をしてこないものだから、孝巳としては、幸喜の会社で働くことを選択するのが最善かと考えていた。
「もちろん。でも、あなたが自分から何も言わないから、就職じゃなくて、留学でもしたいのかと思ってたわ」
 カタログを手にしていた彼女は、テーブルの上にそれらを置き、孝巳の隣へ立つ。
「茅野さんと知り合いだったのね。昨日のお礼、ちゃんと言うのよ」
 こめかみを押さえた孝巳は、一成の名前に顔を上げる。
「あら、覚えてないの? あなたが酔いつぶれたから、ここまで送ってくださったのよ」
 ぼんやりとした照明や畳の目に触れた指の感触を思い出す。孝巳は慌てて立ち上がり、部屋へと戻った。財布と携帯電話を手に、ベッドへ座る。幸喜からのメールと着信以外、何もなかった。
 一瞬、あれは夢だったのかと思う。だが、体のだるさは、性交後にある独特のものだった。孝巳は断片的に思い出せる記憶を振り払い、何もなかったのだと言い聞かせる。幸喜へメールした後、孝巳は鞄へ服をつめた。
 何もなかったし、何かあったとしても、あれは合意ではなかった。だから、幸喜へのうしろめたさを感じるのはおかしい。自分はあんなことは望んでいない。
「……」
 畳についた手の上から、重ねられた大きな手を思い出す。孝巳はくちびるを噛み締め、シャワーを浴びるため、バスルームへ向かった。どこも汚れてはいないが、入念に洗い、髪を乾かしていると、長兄である俊彦が顔を見せる。
「おっと、ごめん。裕二(ユウジ)かと思って」
「裕兄ちゃんも帰ってるんだ?」
 ドライヤーを止めた孝巳は、扉を閉めようとした俊彦へ声をかける。昔から二人の兄の間には遠慮がなく、ノックもなしに部屋へ入るような間柄だった。ただ、二人とも孝巳に対しては気をつかう。今も呼び止められて、扉を閉める機会を失い、俊彦は視線のやり場に困っているようだった。
「あぁ」
 普段は会社に近いマンションで生活している二人だが、週三回以上はこちらへ帰ってきている。俊彦にも裕二にもまだ将来を約束している恋人はおらず、気ままな独身生活を満喫しながら、両親の機嫌を損ねないようにしているらしい。
「じゃあ、今夜は皆そろう?」
「そうだな」
 孝巳はバスローブを羽織る。
「おまえは幸喜のところに行くんだろ?」
 俊彦の問いかけに孝巳は首を横に振る。
「皆そろうなら、俺、今日は家にいる。どうせ、明日、会う約束してるし」
 日曜のデートの約束を口にして、孝巳は予約を入れている『なごみ』のことを思い出した。
「幸喜が泣くぞ」
 ふざけて笑う俊彦に、「明日はデート」と言い返し、孝巳は部屋まで駆けた。幸喜を喜ばせたかったが、今はあの店に行けない。店の番号を調べ、電話し、明日の予約をキャンセルする。
 またご縁があれば、いつでもお待ちしております、という、店員の何の含みもない言葉さえ、孝巳には嫌味に聞こえた。少し安堵し、ベッドへ座り込むと、電話が鳴る。相手は幸喜だった。
「ごめん、今日はやっぱりいい。俊兄達もいるから、こっちで過ごす。うん、明日ね」
 先ほどまでは幸喜に会いたいと思っていた。今はどんな顔をして会えばいいのか分からない。携帯電話に登録されていた一成のデータを見つめる。削除を選び、孝巳は枕へ顔を埋めた。


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