ゆらゆら7 | ナノ





ゆらゆら7

 車は動き出しても、最小限の振動だった。一成がグラスにミネラルウォーターを注いでくれる。色からして、おそらく彼もミネラルウォーターを飲んでいると思われた。
「ありがとうございます」
 軽くグラス同士を合わせて、一口飲んでみると、かすかにレモンの味がした。一成の視線を感じ、そちらを見る。彼はグラスを丸テーブルの上に置き、足を組み替えた。しわのないスーツやきちんと整えられた髪型は、仕事帰りを感じさせない。
「『なごみ』に行く」
 一成が経営している店の名前を出されて、孝巳は少し驚いた。明後日には予約を取っているからだ。もちろん、先に店の雰囲気を知ってもいいが、何となく幸喜と一緒がいいと思った。だが、予約を取れたのは一成のおかげであり、彼こそが経営者なのだから、今夜、その店を選ぶのはおかしいことではない。
「楽しみです」
 孝巳は小さくほほ笑んだ。一成も軽くほほ笑む。社交界やパーティーに慣れている孝巳には、こうした空間で話すべきことが何か心得ていた。当たり障りのない世間話や、彼の業界の話をする。彼も慣れているようで、店に着く頃には、互いの環境がそれなりに分かった。
 環境といっても、孝巳が工藤家の三男であることは、業界の人間なら誰もが知っており、一成が日本酒と小料理を提供するレストランで成功をおさめていることも、周知の情報だった。
 車は店の前で停車し、孝巳達を降ろすと、直進した。店のある場所は市内の中でも高級店が並ぶ通りにある。ライトアップされた出入口には、店員が立っていた。
「お待ちしておりました」
 前庭は日本庭園になっており、赤く色づいているモミジに気を取られていた孝巳は、段差でつまづいた。
「す、すみません。ライトアップされたモミジがきれいで……」
 つい伸びた手がつかんだのは、一成の腕だった。彼は動じることなく、かすかに笑みを浮かべ、孝巳の腰へ手を回す。彼は前を歩く店員が行く道をたどり、個室へ着くまで、孝巳の腰へ触れていた。だが、その触れ方は決していやらしいものではなかった。
「うわ……情緒がある部屋ですね」
 個室の窓からは先ほどの前庭が見える。ちょうど腰を下ろした目線の位置で見えるようになっており、上を見上げると、月が浮かんでいた。畳の部屋は、食事をするテーブルだけ掘り炬燵式になっており、足がしびれてしまうことはない。
 孝巳は広々とした部屋に飾られた調度品を見ながら、すでに座っている一成の向かいへ落ち着いた。
「いい部屋だろう?」
 問われて、頷く。一成は笑みを見せた。
「素直に育ったんだな。顔を見れば、言葉がなくても分かる」
 褒め言葉だと思い、「ありがとうございます」と返す。一成はますます笑みを深くした。幸喜とはまた違うタイプだが、一成の笑みは第一印象の冷たさを消し去るほど人懐こい。
 品書きを開いた一成が、店の説明をしてくれた。『なごみ』ではコース料理はなく、品書きに書かれてある日本酒を選び、それに合う小料理を出す。そのため、日本酒を選んだ後、店員が嫌いなものやアレルギーはないか、確認をした。
 注文の後、孝巳は品書きに並ぶ日本酒の説明を読んだ。大吟醸酒、吟醸酒、樽酒、純米酒、いくつかの種類に分かれたページごとに、孝巳自身もまったく知らない名前の酒が並んでいる。
「茅野さん」
 品書きから視線を上げ、孝巳は彼を見た。
「茅野さんは、お酒が好きだから、この店を?」
「そうだな、好きだから、というのもあるし、単純に、こういう店を出してみたかったという気持ちもある。毎日、高級なものは食べられないが、特別な日には少し上等なものを望むだろう?」
 いいことを言っているように聞こえるだろうが、実際には需要と供給が合っただけだ、と一成は続けた。


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