on your mark番外編42 | ナノ





on your mark番外編42

 八時に鳴り始める目覚ましとともに起きた敦士は、大きく体を伸ばし、首を回す。リビングへ出て、窓から見える曇り空を見つめ、パソコンの電源を入れた。顔を洗う前に、コーヒーメーカーの準備をする。
 史人の勤務が終わるのは八時半だが、おそらく定時では上がらないだろう。研修医になってから、彼が定時で帰宅してきたことは一度もない。申し送りやチームディスカッションの準備、教授の手伝いなどをして、帰ろうと思ったら、あと三時間後には次の勤務が始まる時間になっていた、と病院に泊まって来る日も多い。
 朝食を食べ、メールをチェックし、Kファイナンスから依頼されている広東語と英語の翻訳作業を始める。史人は仕事をしていると、あっという間に時間が経っていると言うが、それは敦士にとっても同じだった。
 在宅勤務にしているものの、週二日はKファイナンスの入っているオフィスビルへ出向いている。自分でも驚きだが、敦士は法人営業部に所属していた。営業と名がついているのに、営業に出たことはなく、出社時には上司にあたる一弥と食事するのが業務内容になりつつある。
 翻訳作業が一息ついたところで、時計を確認した。もうすぐ十二時半になる。史人は夜勤明け、今日はオフだが、この分だと十五時までに帰ってくるかどうかということころだ。敦士は彼にメールを入れた。五分も経たないうちに、返信が来る。
「今、エレベーター」
 敦士はそれを読み上げて、すぐに玄関の鍵を開けた。ちょうど上がってきたエレベーターの扉が開く。
「ただいま」
 リュックサックの右側のショルダーベルトだけを肩にかけた史人が、乾いたくちびるでキスをくれた。敦士は離れていくくちびるへもう一度、くちづけをしてから、「おかえり」と声をかける。
 史人はリュックサックと同じようにくたびれた様子で、体を投げ出すようにソファへ座った。氷を入れたミネラルウォーターをテーブルへ置くと、彼は目を閉じたまま礼を言う。
「昼は軽いほうがいいか?」
「うーん、重めがいい。昨日、クッキーを二枚食べただけ。お腹、空いたよ」
「じゃあ、豚肉のしょうが焼きは?」
「それ、最高」
 冷蔵庫から豚肉を取り出した敦士は、リュックサックの中を漁っている史人を一瞥する。レポート用紙をめくり、黙読する彼は真剣だった。ほんの数時間前まで働いていたのに、今度はまた勉強を始めている。
 研修医になり三年目の史人は、小児外科医になる道を選んでいた。後期研修に入ってからも忙しさは変わらず、彼はオフの日でも研修先の病院へ顔を出している。食事も家事もすべて敦士がこなす。遅刻しないよう、勤務開始の二時間前に彼を起こすこともする。勤務シフトが三パターンもある彼の生活に合わせるのは、敦士にとっては当然のことだ。
 史人はいつも大げさに感謝してくれるが、敦士はまさに彼を支えるだけのために在宅勤務を選んだ。だから、出来立ての豚肉のしょうが焼きをテーブルへ置き、みそ汁とごはんを大盛りで用意し、「できたぞ」と振り返った時に、史人が眠っていても怒ったりはしない。
 プーケットの別荘で暮らしている遼と直広の寝室へ、史人を運ぶ。夜勤明けでもぐっすり眠れるように、部屋のカーテンは遮光用に変えていた。リュックサックから取り出した携帯電話をベッドボードへ置いておく。緊急の呼び出しがあれば、史人は応じなければならない。
「あーくん」
 扉を閉めようとすると、史人が起き上がろうとしていた。
「いいから、寝てろ。呼び出しがなくても、五時間経ったら起こす」
「ごめん」
 ごはん、食べるから、と続いた言葉に、敦士は史人が夢うつつの状態なのだと理解した。食欲より眠気が強いのだろう。呼び出しがあった時のために、敦士はキッチンへ戻り、サンドウィッチを作った。

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