夢小説「La mia utopia」 | ナノ


▼ 02

もう一度目が覚めた時、ボロボロの木の天井と切れかかった電球が目に入った。次に自分の身体に包帯が巻かれ、きちんとした処置がされている事がわかる。消毒液の匂いに顔をしかめてしまうものの、痛みは殆どない。きっと痛み止めか麻酔が効いているのだろう。それかここが夢の中かはたまた死後の世界で、痛みなどが全くない世界なのかどちらかである。
グッと力を入れて身体を起こせば、狭いながらもきちんと整理された部屋があった。室内にあるものは少なく、天井同様古いテーブルには小さな酒瓶2本とタバコの箱のみ。クローゼットは扉がきっちりと閉まっているため、中身はわからない。

「ようやくお目覚めか」

部屋の戸がいつの間にか開かれており、そこに立つ男の顔は窓から差し込む僅かな光の中でも酷く整っている事がわかり、またその顔立ちに私は酷く見覚えがあった。
前髪をきっちりと撫で付けて、後ろで細かく縛る金色の髪。彫りは深く、鋭く光る双眸がこちらを見つめている。なんとなしにドアへ身体を預けているだけでも様になるのは、やはりバランスのいい体つきとハイセンスな服装のおかげか、はたまた彼自身のオーラがそうさせるのか…

やはり夢を見ているのか、はたまた死んで頭がおかしくなったのか、と考えながらぼんやりと見つめていれば、彼は片眉をあげてこちらへやってきた。そして私が居座っているベッドへ腰を下ろすと、重さに耐えかねるのか、木枠はギシリと嫌な音を部屋に響かせる。

「signorina、Buon giorno」
「ぼ、ぼんじょるの…」
「見たところジャッポネーゼだと思うが、イタリア語はわかるか?」
「あ、はい…大丈夫、です」

どうもやはりこれは全て妄想の産物らしい。
私はイタリア語なんてこれっぽっちも話せないし聞き取れるわけはないのだ。フランス語なら少し齧ったからわかるかもしれないが、こんなにはっきりと未習得の言語を理解できるなら、もうこれは私の想像の世界なんだと思うしかない。
それに、ここが想像の世界だという証拠はもっとある。
例えば一つ挙げるなら、目の前の彫刻のように美しい顔立ちの彼。名前はプロシュート。漫画の世界の住人である。

楽しい夢を見ているな、などとふわふわ考えていると、彼がそっと私の手を握った。骨ばった男の人といった手にドギマギしてしまう。情けない事に私はそれほど男性経験がなく、なんだったらファーストキスだって在庫倉庫の中だ。所謂官能小説だとかそう言った類いは程々に文学作品としては嗜んでいたし、幼馴染の男の子が部屋のテレビに挿しっぱなしだったAVを誤ってつけてしまったこともあるし、なんなら教育課程でそう言う知識は勿論持ち合わせている為、完全なる生娘とは言い難いかもしれないが…誓って実行に移した事は一度もなかった。
だから、こんなハンサムに手を握られるだなんて、恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がない。

「名前は?」
「名前、名前・苗字です。Signor…?」
「プロシュートだ」
「プロシュートさん…」
「いくつか質問がある。答えてもらおうか」

こくんと頷くと、いい子だと言わんばかりに頭を撫でられる。イケメンは何をしても格好がいい。

「アジトの裏で死にかかってたのは何故だ?」
「アジト…」
「おっと、慎重に答えねぇと…死んだ方がマシだと思わせちまうぞ?」

そう言ってグッと握られた手に力を込められたかと思えば、手が瞬く間にキュッと皺になってしまった。勿論死にかけのミイラとかにはならないが、ああこれがグレイトフル・デッドの能力か、とどこか他人事のように自らの手を見れる程度には、見事なまでにカラカラであった。スタンドってすごいなぁと感心さえする。
そんなぼんやりとした私の様子に、プロシュートさんはチッと舌打ちを一つ打った。

「おい、真剣に答えな」
「私、死んだんですか?」
「何ぃ…?」

プロシュートさんが苛立った表情で私を睨みつける。整った顔だとその威力たるや、凄まじい。でも全て想像の産物なのだから怖いわけがなかった。
そっと手を伸ばして彼の両頬を摘んで、少しだけ伸ばしてみる。現状が理解できず呆然と間抜けな表情を浮かべる彼が可愛い。ついクスクスと笑いをこぼしてしまう。想像通りの滑らかな肌が心地いい。

「変な顔」
「頭イかれてんじゃあねぇか…?」

いつの間にかスタンドは解除されていたようで、手は元の通り…と思ったがどうも違うようだ。最後に見た時より幾分サイズが小さい。そしてみずみずしい肌と丸みを帯びた爪が、随分遠い記憶のスミから引っ張り出されてきている。そっと見下ろした自分の身体も記憶よりも小柄で未熟だ。髪は逆に長くなっているものの、私にとってそれは時間の経過をはかるに便利な定規であった。

「プロシュートさん…」
「あ?」
「か、鏡は…鏡はありますか?」
「…洗面所にある」

連れて行ってと伸ばした腕も短くて、手を引かれて立ち上がった視界だって低い。力の入りにくい身体を彼はそっと支えてくれて、その際少しだけ痛んだ傷が悪い予感を連れてきた。

フラフラと辿り着いた洗面台にある錆びて少しだけ汚れた鏡。映った顔はもう何年も前の自分の顔で、鏡面越しに見える背後の彼が、訝しげに眉を潜めているのも見えた。そしてついでに“こちら側”にはいないおさげ髪の男も、“向こう側”から私を見ている。

「わ、私…ここは…」
「おい、大丈夫か?」
「プロシュートさん、ここは…一体ここはどこですか…?今は何年…?」
「…ここはネアポリスのとあるアパートで、今年は2000年だ」

見下ろしてくる冷たい瞳に、もう私はふわふわとした気分になどなれなかった。寒さとは違う震えが背中を駆け上がり、思わず尻餅をついてしまう。洗面台の隣にあるバスタブの方へ逃げても無駄だとは分かっているものの、目の前の彼から逃げなければという思いが掻き立てられた。

彼はコツコツと聞き覚えのある靴音を鳴らし、簡単に私との距離を詰める。座り込んで顔を覗き込んでくる表情に感情はそれほど伺えるものはなかった。

「改めて問おう、お前何者だ?」

神様のくそったれ。

私は意識を失う前と同じような思考回路でもって、今後の事を考え始めたのだった。

prev / next
4/28


[ Back ]