月白の意志


 死なない。


*



 静かな夜が、冷えた空気を漂わせては指先を凍らせる。
 ウルグ・グリッツェンは宮廷錬金術師ただ一人のための工房、その床に描かれ刻まれた円形に形作られた紋様の上に佇み、自分自身すら欺くように、己の心の震えを手のひらが白むほどにきつく握ることで抑えつけていた。
 工房に備え付けられた自身の背よりも高さのある窓からは、頼りない月光が差し込むばかり。
 ウルグは瞳を閉じて浅く息を吐いた。
 先ほど、例の栄養剤──〈ゼーブル〉から発見された、異常に植物を発達させるため大地にとっては毒に等しい薬──の複製を終え、それを改良するべく、宮廷魔術師に力を借りていたところだった。と、言っても錬金釜に性質反転の魔術を施してもらったばかりに過ぎないが。
 大地に負荷を与えずに植物のみを枯らす薬というだけならば話は簡単で、そんなもの今のご時世ただの種売りでも作れる。
 自分たちが栄養剤に対して行ったのは、錬金釜に魔術を施し、そこに他の素材と共に放り込まれた栄養剤に、自身が殺すべきはかの樹のみだと思ってもらうことだ。
 それは、性質を反転させることにより植物のための薬ではなく、植物のための毒となってもらうこと。
 平たく言えば催眠術の応用である。それなりに時間はかかったが、ここまでは成功した。だがこれでは、精々一般的に大樹とされる樹を枯らすのが限界だろう。まだ弱い。
 ふと、背後で扉が開くのを感じる。
 ウルグは閉じていた瞼を上げ、しかし振り返らずに、扉を開き入ってきた相手に問いかけた。
「……量は」
「一瓶──多すぎるくらいだろう」
「多すぎるくらいでなくてはだめだ。クェル、俺が始めたらこの部屋に誰も入れるなよ、二日間は絶対に。創るのに一日、毒霧が完全に消え去るのに一日だ」
「だが……何か策はあるのか。己の生死がかかっている、よもや無策で挑もうというわけではあるまい?」
「俺が生きてるか死んでるかなど、焦らなくとも明後日扉を開いたときには分かることだ」
 ウルグは振り返ると、自身の背後までやってきていたクエルクスの手から親指ほどの大きさの瓶をひったくると、その小さな瓶を睨み付けた。
 こんなちっぽけなものに自分の生死と、世界樹──彼≠フ生死がかかっていると思うとほとほと馬鹿らしくなってくる。
 瓶の中には鈍色の液体が、月明かりを受け付けない水面のように揺らめいていた。
 この液体は、それそのものでは何の毒素もないが、何者かが手を入れると自らの防衛本能からか、吸った途端声を上げることもできずに死に至る毒霧を発する花のもの。ともすると、そこらの魔獣よりも凶悪かもしれない毒草になる、辺境の墓場にばかり咲くという小さな花の、その秘められし毒素のみを薬師が抽出し、錬金術師が毒より更に毒へと純化した毒である。
 やはりこれも、花そのものの性質と同じで、そのままでは毒にも薬にもならないが、ひとたび人が触れ、唾液などがこの液体に混じったときには、短時間で消え去るが致死量の毒霧を発するのだった。
 前時代だったら暗殺に喜んで使われそうな代物である。いいや使われていたのかもしれないが。
 別の物を別の物へと昇華させる錬金術、それに遣う材料にさせられそうになったときに、この液体がどれほどの毒霧を発するかはまるで想像ができない。
 そんなことは誰もやったことがないのだから。誰も死にたくなどない。死にたいわけでもなければこんなものに手など出さない、普通ならば。
 しかし、此処に立つのはウルグ・グリッツェン。
 虎視眈々と宮廷錬金術師の座を狙うからには、普通に甘んじていることは決して許されない人間だった。
 だがなるほどそれは建前で、彼は結局、八年前に一目惚れをした少女のために今命を賭けようとしている馬鹿な男の一人に過ぎないということは、そんなことは彼がいちばん理解していた。
 毒に対する策はない。
「……クェル」
「何だ?」
「あなたは何故、俺に錬金術を教えたんだ」
 これで死ぬかもしれないという思いが頭をよぎったとき、彼の口から発せられたのは図らずもこういった問いだった。
 クエルクスは、それが宮廷での彼の正装なのか、濡羽色のとんがり帽子に長いローブを纏っては目を細めた梟の笑い顔も今は鳴りを潜めて、静かな夜の瞳でウルグのことを見ている。
 彼は被った帽子を自身の手のひらで取り上げると部屋の隅へと放り投げ、ゆったりとした歩調で部屋に備えられている巨大な砂時計の前へと進み、想い出すように言葉を紡いだ。
 そんなクエルクスを背後から見つめているウルグに彼の表情は見えない。
 彼の発する声ばかりが妙に、違和感を覚えるほど楽しげだった。
「おまえがあの日″沛に入ってきたとき、おれはこの辺りに立っていただろう。それでな、おまえはおれの錬金術を見てこう言ったんだ、それは何ですか? まるで魔法のようですね=c…いやかわいいものだな」
「そうだったか……記憶にはないが」
「かと思えばそれには何か種があるのですか、あるのでしょう、規則があるのでは? もしかすると床のこの模様たちと関係がありますか?>氛氓セ。あまりのかわいげのなさにおれは驚いたね、だから精々躓くといいと思って初歩の中でも一等難しい錬金術の本をいちばん初めに何の説明もなしに渡してやったまで。おまえは簡単にものにしやがったがな、何日だった?」
「俺は今あなたの大人げのなさに驚きましたよ、城を出る前の日だったから三日か四日くらいじゃなかったか」
「とんでもない才能だと思った、そこは純粋にな。ただ単に野放しにするのは惜しいと思った、それが理由──というわけでもないのだが」
 おそらくこちらが彼の本来の気質なのだろう、何となく言葉尻の荒くなったクエルクスは楽しげな口調とは裏腹に、手のひらを鋭く閃かせて言葉を紡いでいく。
 それは、まるで何かを抑えつけているようだった。
 先ほど自分が、死の恐怖におののく心を抑えつけていたように。
 ウルグに疑問をぶつける隙も与えず、クエルクスは得意の笑い声を上げるとそれから一瞬だけ浅く息を吐き、語り出して初めてウルグの方を振り返った。
「……いちばんは、似たような育ち方をしたからかもしれないな」
 黒い夜と青い夜がかち合う。
 ウルグはこのとき生きてきた中で初めて、クエルクスの瞳と向き合ったような気がして、目を逸らすことも、瞬きをすることすらもできずに彼の瞳をその青で見つめた。
 自分の瞳の奥には、砕けた黒水晶の欠片が横たわっている。
 その色は今この瞬間、彼の目にも映っていることだろう。
 それと同じように、クエルクスの黒い瞳の奥にもくずおれる白色が見えた。
 それは、割れた月長石の色。失い失い、それでも何かを得た者の光。
 ウルグは喉の辺りが詰まり、呼吸をすることすらも苦しく、難しくなった。
 気付いた、彼が今抑えていたものに。
 気付いてしまった、彼が今抑えていたものに。
 それは恐怖、再び失うことへの恐怖だった。
「死ぬなよ、ウルグ」
 クエルクスはいつものように目を細めると、笑い声こそ上げなかったがいつもと何ら変わらない口調でウルグに声をかけた。そしてそれが、それこそがウルグの呼吸を更に苦しいものにしたのだった。
「……クェル」
「ああ」
「俺は、あなたを父とも師とも呼ばないが……あんたがくたばるってときには、そのときには呼べるかもしれない、あんたが望むなら。あんたはまだまだくたばらんだろう、何が涸れても何が落ちてもくたばらんだろう、あんたみたいなやつは」
「生意気ながきだな、一体かわいげを何処に置いてきた? おれのような話し方をするせいで余計にだな」
「やかましいぞじじい。とにかく、だから……死なない、死ぬものか、こんな処で。それに──愚かな人間ほど最後には生き残るものだ」
 それを聞くとクエルクスは鼻で笑い、こんな処で悪かったなと言い捨ててウルグの隣を通り過ぎた。
 ウルグは去る背に半刻したら錬金術を始めることを告げると、クエルクスが部屋を出ていく最後までは見送らずに、彼は術式の描かれた羊皮紙を両手に収まるほどの釜の底へ敷き、その釜を金属質の細い四本足の台座の上に備え付けて、その台座を囲むように刻まれた床の紋様の外に座り込んだ。
 クエルクスを見送る必要はない、自分は死なないのだから。
 口の中で自分に死ぬ気などさらさらないことを確かめながら、彼はこれから自分が行う錬金術の工程を頭の中で反芻した。
 やることは簡単だった。
 先ほど改良した栄養剤もとい毒に更なる毒を与えて、無駄を一切削ぎ落した、集中的に一点の効果だけを狙える、研ぎ澄まされた鋭利で純粋な毒へと昇華する。それだけだ。しかし、それには一度の変質に必要な毒の分量も時間の間隔も違わずに釜へと入れなければならない。
 元となる毒と、それを昇華させるための毒、そのどちらも変質させるというわけだから、やはり瓶に入って今この手にある液体の後者も毒霧を発するだろう。その霧は少量でも吸い込めば死ぬとされる。今この世界に存在するありとあらゆる解毒剤を用いたとしても、かの毒に勝つことは難しい。
 いくら死なないと心の中で確認しても、毒を吸い込めば人は簡単に死ぬものだ。
 ならば、どうする?
 部屋の砂時計がゆったりと時間を告げている。
 夜が更けると共に、死の気配がひたひたと自身に忍び寄ってくるのを感じながら、ウルグはその青い瞳に幕を下ろした。
 自分に用意された時間は少ない。
 どうする?
 深く息を吸い込んだ瞬間、部屋の外で何かが勢いよく割れる音がした。
 ウルグは、魔獣か何かが城内に入り込みでもしたのかと自身の得物である手のひらに、錬金術で創られた金属の手甲をはめると、弾けるように部屋の外へと出ていく。
 すると同時に、何やら強い風が自身の髪も服をも振っては回した。
 その強風に歩を抑えられそうになりながらも彼は進むと、進んだ先で割れて飛び散った硝子の破片を認め、城の庭園を望める天井から床まである大きな窓の一枚が、丸々すべて割れてしまっているのを見付け、驚いた。
 辺りに魔獣の気配はなく、何よりこの風である。
 目を凝らして見れば、窓の外から入ってくるこの風は微かに銀と翠の色を纏っていた。割れてしまったのがこの窓だけならいいが。
 ウルグは瞼の裏に、風の剣を振るうイルミナスのことを描くと、気が抜けたかのようにかぶりを振って溜め息を吐いた。剣の練習をしていろとは言ったが窓を割れとは言っていないぞ、姫さま。
「──風の、剣?」
 彼女の風に吹かれた頭が、先ほどとは打って変わって霧が晴れるように鮮明になるのを彼は感じた。
 風の剣。
 借りものの力をその身に纏い、それでもなお揺らぐことなく立ち続けてはその力を宿した剣を振るうことのできる少女……
 ウルグは割れた大窓から一歩外へと踏み出すと、珍しく一点の曇りも見当たらない夜空に丸く浮かぶ白い月の顔を見た。
 受け取るようにして片手を自身の前へと出してみれば、そこに差し出される一筋の月光。
 彼の青い夜が星の瞬きよりも妖しく、月の呼吸よりも静かにぎらりと煌めいた。それはまるで、彼の纏う白のローブよりも、彼の瞳の青が今は夜の闇の中で存在感を放っているようである。
 ウルグは振り返ると、微かに口元に不敵な笑みを浮かべて、先ほど出てきた宮廷錬金術師用の工房へと戻っていった。


*



 頭の中で展開された術式を元に、それを有効とする錬金紋様を瞼の裏へと描いていく。
 彼女が風を纏えるのならば、自分も月を纏えるだろう。
 彼が辿り着いたのは、そんな単純な結論だった。
 工房の窓から差し込む月光の一筋一筋をインクとして頭から心へ、心から瞳へと紋様を描き、彼は描くべき必要な紋様をすべて描き切ると、釜の前に立ったまま下ろしていたその瞼を開けた。
 瞬間、灼かれるようにまばゆい月の光が部屋中を包み、彼は思わず目を閉じかけるも、しかしすべてを閉じ切ることはせずに青い瞳で自身の足元をねめつける。
 光の海に放り出されたかのように眩しかった月光は、ほんの一呼吸の間で鳴りを潜め、今はもう一筋の光すらもこの部屋には入ってきていなかった。
 彼はついに瞼を閉じると、此処からでは見えないが天上で青白く輝いているのだろう月を心の中に描き、そして呼ぶ。
 それからウルグは、誰に言うわけでも誰に確かめるわけでもないが静かな声で、しかし砕かれても消えない意志をもった強い声で呟いた。
「──死なない」
 そうして彼が瞼を開いた瞬間、暗闇ばかりだったこの部屋、その彼の足元に彼の足元から描き出されるようにして、円形を成した紋様が幾つも白く浮かび上がった。
 それは、紛うことなく月の光で描かれた錬金術の紋様である。
 ウルグを取り囲むようにして何重にも描かれた月の紋は、彼が動くたびに彼と共に移動し、それはまるで歩けども歩けどもついてまわる月、そのもののようだった。
 彼は親指ほどの毒瓶を目の前に掲げると、その栓を抜いて栄養剤の入った釜の中にその液体を一滴垂らした。
 垂らした液体が栄養剤に当たった途端、釜の中から何かを燃やしているようなにおいと色を伴った煙のような霧が立ち上る。
 それを吸い込んだ瞬間に、ウルグは自身の喉が焼き切られるような衝撃を感じたが、しかし彼の足元に描かれる月の紋がそれをよしとはしなかった。
 足元の光が瞬くのと同時に呼吸が正常に戻るのを彼は感じながら、更に必要な素材を釜の中へと放り込んで、近くで純化させていた錬金術用の水にも似た液体を柄杓で掬ってそれも釜へと流し込み、その液体が素材の変質を速めるように促すだろうことを計算に入れて、彼は巨大な砂時計の方へと視線をやった。
 足元では、自分が毒素を吸い込むたびに光が瞬いている。
 あろうことかウルグ・グリッツェンは毒霧を抑えるための術式を考え付くのでもなく、毒に打ち勝てる薬を創り出す術式を考え付くのでもなく、彼は彼自身を錬金術で変質させることを考え付いたのだった。
 錬金釜の中で変質するたびに振り撒かれる毒素が自身の身体を蝕んだ瞬間に、彼が足元に描いた月の紋が彼自身を変質させ、毒素に汚染されれば浄化、浄化されればまた毒素に侵され、更に浄化を今まさに彼と彼の月は繰り返している。
 錬金術の紋様というものは基本的な土台は同じでも、遣うものは創るものによって変わり、その効果は一度きりである。そのため、錬金術師は土台となる紋様を長く遣えるよう床に刻み、そこに器材を配置して、器材自体には使い捨てで余り布や羊皮紙などに紋様を描き、遣う素材と接する部分に入れて、素材が変質するように配置するのだ。
 だが、彼自身が変質に変質を重ねるためには、そんな悠長なことはやっていられない。一度自身から毒素が浄化されるたびに、術式に対応した紋様を描いて器材への配置を繰り返すことなど今の状況ではできないのだ。そんなことをしている間に毒が回って死に至る。
 そもそも、人を変質させるための器材など存在しない。
 ならば強行手段、月の力を借りるまで。
 何度も何度も、幾つも幾つも光の紋様を描き出させては汚染と浄化を繰り返す。死ぬ前に身体から毒素を抜く。
 それはもちろん、死なないために。
 生き汚いにもほどがある、恥を知るべきだ、魔獣の方がまだましなのではないか。
 理性が時折顔を出して自分を揺さぶってくることもあるが、何を今更。
 人など、いやおれなど、ほとんどもう獣のようなものだろう。
 だが生きる。
 それでも生きる。
 何のために。
 誰のために?
 それはもちろんおれのためだ。
 彼女のためと思うおれのためだ。
 誰かのためと思う自分のため。
 誰だってそうだ!
「黄昏……!」
 黄昏如きに人が明日を生きる罪を裁けるものか。そんなもの、何にだって誰にだって裁けやしない。
 月の光が汚染に対する浄化に一瞬遅れたらしい、ウルグは全身を灼かれるような痛みに瞬間襲われてその場にくずおれた。
 息ができない。
 瞬きをするのにも苛烈な痛みを伴う瞳から何か零れ落ちて、まさか涙でも落ちたのかと、彼は獣のような唸り声を発して雫が零れ落ちた処へと視線をやった。
 そこには、赤い血が一滴溜まっていた。
 それを見た瞬間に彼は、自分の喉元には死の鎌が常に張り付いていることを自覚して、遅れた月の光によって身体は浄化されていたが、それでも息が上手くできずにいた。
 立ち上がろうとする膝が笑い、手のひらはもう毒瓶を取りこぼしそうなほどに震えている。
 彼は同じように震えるもう片方の手のひらで、ローブの隠しから何とか青碧色の缶を取り出す。そしてその蓋を開け、そこからタブレットを取ろうとしてはしかし幾つも取りこぼし、ついに彼は缶を直接口に付けて、中に入っていた残りの毒消しタブレットをすべて口の中に含んだ。
 こんなものでは毒素は抜けない。
 ましてやこれは、イルミナスの創った下手もいいところのタブレットである。
「ああくそ、不味すぎる! 死なない、死ぬか、死ぬものか……!」
 しかし、眉間に皺を深く刻みながらそれを噛み砕いたウルグはすぐに立ち上がり、背筋を正して釜の前に向き直った。
 そして彼は手のひらをきつく握り、ほとんど憎しみばかりを宿した声で天上に在る月へ向かって笑ったのだった。
 ただ声に反してその顔には、まるで悪戯好きの青年がするように毒気のない、年相応の笑みを浮かべていた。
 青い夜が笑っている。
 ならば月は早々に諦めて溜め息でも吐き、夜の彼に力を貸さざるを得ないのだった。
 その砕けた黒水晶に煌めく、月光を宿した意志を讃えて。
 月の錬金術師の足元では、彼を導き彼が導く白色が罪すら寿ぐ光を放っている。


*



「──今、おまえは王の娘と民の一人、そのどちらとしてものを言った?」
「どちらも。王の娘であり民の一人でもあるわたくしの言葉としてお聞きください」
「ではおまえは人々の希望を壊しにゆくと言うのだな」
「……はい」
「そう、か……」
 ウルグが工房にこもってから三日目の朝、謁見室で現〈ソリスオルトス〉王アウロウラ・アッキピテルに跪きながら、イルミナスは最早迷いを振り切った声で自らの父であるアウロウラへと言葉を捧げていた。イルミナスの隣にはクエルクスが跪き、彼女の言葉に足りなかった部分を王へと補足している。
 アウロウラは玉座から立ち上がると二人にも立つよう促し、立ち上がった彼らの元へと歩を進め、言った。
「世界樹周辺へ避難勧告は出してある。世界樹が樹ならざるものかもしれないというのは、おまえたちが戻る少し前に正ギルドから〈語る塔〉を介さずに直接伝令が飛んできたので聞いてはいた。おまえたちに調査を頼もうと樹の周りから──言い方は悪いが、人払いをしておいたのがまさかこうして役に立つとは」
「ならばすぐに往きます、父上」
「いいや、何があるか分からない。もう少し対策を練って武器や防具を整えても悪くはならないだろう──そうだな、何人か護衛をつけるべきだ。腕の立つ者を招集しよう、一日二日時間を……」
「……いえ」
 イルミナスの背後で、謁見室の扉が勢いよく開く。
 彼女はそちらを振り返ることはせず、己の父の自分と同じ銀色をした瞳を見つめる。
「──申し訳ありません、父さま。わたしたち=A待てそうにないみたい。どうしようもなく、どうしようもない子どものわたしたちには!」
 彼女はその唇に意地の悪い誰かに似た笑みを浮かべては意志を固めた声を上げ、言葉をすべて言い切るか言い切らないかの内に服を翻し、扉の元に立っている人物の元へと走り去っていったのだった。
 夜が明けて、朝が来る。
 そして向かうは、黄昏の元へ。



20161125

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