遠き夕星


 星は遠い。
 朽ちた都──絶滅都市〈ゼーブル〉からしばらく行った処には、小高い丘に色とりどりの石で造られている階段が、さながら丘の緩やかな角度に沿うように備えられている。
 キト・アウルムは幼馴染のメグことメラグラーナ・ジェンツィに引かれ、半ば無理やりにこの石造りの階段を上らされていた。
 夜の帳が下りはじめた空と少しばかり冷たくなってきた風をその身で感じながら、キトは自分を引っ張っていくメグへどこか呆れたように声をかける。
「……この上に、何が在るっていうんだ」
「まぁまぁ、もうちょっとだからさ」
 笑いながら振り返ってそう言うメグの顔を一瞥して、キトは浅い溜め息を吐いた。それからちらと後ろを振り返り、青紫色に染まりはじめた大地を視界に映す。
 夜の闇が完全にこの大地を包み込んでしまえば、魔獣や盗賊といったような危険が自分たちに振りかかる可能性も段違いに増すというものだ。
 目の前の幼馴染は冒険家を名乗っているくせして、そのことをいまいち分かっていないように思えた。
 しかし、メラグラーナ・ジェンツィという人間が底抜けに明るいわけでも、考えなしの愚か者でも、馬鹿なだけの物好きでもないことを自分は知っている。
 それだけに、これが自分たちの危険が深まることを知っての行動なのだとしたらますます意味が分からなかった。
「ほら、あれ」
 前をゆくメグが、何やら自分たちが進んでいる方を指差した。
 メグが指す方へと視線を向けてみると、丘のいちばん高い処に巨大な金色をした筒のようなものが見える。キトの目にはそれが望遠鏡のように映ったが、しかし、そうだとしても随分と大きい。
 メグはキトの手首から掴んでいた自分の手を離すと、前方の望遠鏡らしき筒のある処まで駆けていった。
 キトはそれを追うように少しばかり早足に階段を上り、彼女に追い付くと眼前に佇む巨大な筒を眺めて呟いた。
「……やっぱり、望遠鏡か」
「そうだね、此処は昔……星の研究がされていた場所らしいよ」
「ああ……天文学ってやつか。……確か、あれは失われた知識、だったか」
「あたしも詳しくないから、よくは分からないけど……昔、人々は大地と星の巡りの関連性を研究することによって、ええと、自分たちの立っているこの大地がいつ、どのようにして生まれ、またどういう存在なのかを知ろうとしたみたいよ。
 一説では、黄昏のはじまりと共に廃れていった学問だと云われてるみたい。星は、大地の渇きを止める方法を教えてくれはしないからね……
 でも、滅びた知識って言っても、あたしたちみたいな旅人は太陽や月、星たちの巡りを読んで道標とすることも多いし……星を遣った占いなんかもまだ在るには在るみたいだから、天文学が完全に滅びたとは言いにくいかも」
 メグが下唇に折り曲げた人差し指を当て、一つ一つ思い出すように言葉を紡いでいく。
 キトはそれを何となく聞きながら、一歩下がって巨大な望遠鏡の周りを見渡してみた。この丘の上に在るのは一つの大きな望遠鏡と、その周辺に転がる崩落し最早立ち入ることさえできないだろう建物、その瓦礫の山ばかりである。
 キトは一瞬、メグの瞳に視線をやった。
 キトと目が合うとメグは微かに頷いて、同じように周りに散らばる瓦礫の山を見渡し、また思い出すように言葉を唇に乗せていく。
「……天体観測所……だったかな、こういう──星の研究をする施設の名称って」
「なあ……何でお前は、此処に来たんだ」
「え?……此処から見る星は、綺麗だから」
「それだけか? お前は寄り道ばかりする。最初に行こうと思ってた街には一体いつになったら辿り着くんだ?……早く行かなくていい、のか」
 メグは、ついに聞かれた、というように視線をしばらく彷徨わせると、しかし何かを決意したように真っ直ぐ前を見て、迷いなど全くないといった様子で頷いた。
「最初の目的地には、行かないことにしたの」
「……は?」
「だから、あんたとの契約も破棄してくれて構わない。ガーディアンのあんた、との契約は」
「──何が、言いたいんだ?」
 メグはキトと視線を交差させると、息を吐きながら軽く笑ってかぶりを振った。
「べつに。あたし、あんたに──キト・アウルムについてくって決めたから……それだけよ。あんたがガーディアンの仕事で行く先で、あたしは冒険家としての仕事をする……大した不都合はないでしょ?」
「そんな勝手な──」
「勝手なのは昔っから。知ってるでしょ、今さら直せないの」
「いや……だってお前、いろんな景色が見たいって……」
 メグは空を見上げる。
 薄紫色だった空は、いつの間にか深い青を湛えはじめようとしていた。そこに見えた一番星をメグは瞳に映すと、それからキトの黄金色の瞳を捉えて目を細める。
 それはさながら自分の瞳に映った一番星の輝く光をキトの瞳にも映すように、或いは渡すように。
 そうして彼女が発した声はいつものそれよりも小さなものだったが、しかし誰にも揺るがすことができない、何か決意のこもった声だった。
「──あたしが今、見たい景色は此処にあるの」
「此処?……この、丘に……か?」
 まるで理解ができないという風に微かに眉間に皺を寄せたキトを見て、メグは左右に首を振って息を吐いた。
 そして少しばかり笑い声を上げると、目の前にそびえる巨大な望遠鏡のレンズを覗いてみる。そこに映されていたのは、闇ばかりだった。
 メグは初めて此処へ来たときにこの望遠鏡を覗いては、天体望遠鏡というものは暗闇を見るためのものなのか、と思ったものだったが、どうやらそうではないらしいことを後になって知った。
 つまり、この望遠鏡は壊れてしまっているのである。
 メグはキトの黄金色の瞳よりかは鈍い金色をしているその鏡筒に触れ、辺りを見回してキトに問いかけた。
「黄昏って……さ……自然現象、なの?」
「自然、か……」
 山となっている瓦礫に視線だけを持っていくと、キトはほとんど表情を動かさずそう呟いた。
 この一帯の建物の崩れ方が人為的なものに見えるのは、メグの目から見ても明らかだったのだろう。
 ──何が原因か分からないが、おそらく黄昏の影響による地震によって建物全体が崩れ落ちてしまった……と言えば、信じる者もいるにはいるだろうと思える。
 しかし、ここ何百年という間、この辺りで大規模な建物を倒壊させるほどの地揺れが起きたという話は正ギルドで聞いたことはなかった上に、この建物の壊れ方──これは、まるで何かが勢いよくぶつかり、その何かがぶつかった拍子に爆発したことによって辺りを巻き込みながら崩れたというような壊れ方だった。
 よく見てみれば、自分の立っているこの丘には、植物の生えている場所と生えていない場所が不規則な水玉のように点在している。
 キトは丸裸の地面を一瞥すると、そこで屈んで最早植物が生えることのできなくなった大地に指で触れた。
(……爆弾、か?……いや、それよりももっと威力のある、何か……。爆弾以上に強力なものなんて、想像ができないな……前時代の兵器≠ニやらは一体どんな……まさか、星でも降らせたってのか?……そんな馬鹿な)
 地面を見つめて動かなくなったキトの顔を、メグが覗き込んだ。
 何か言いたげなメグの顔を見てキトは微かに睫毛を伏せると、かぶりを振っては息を吐き出すように声を発する。
「分からない。ギルドには黄昏を止めたいって理由で入ったやつも多くいるけど、俺は違う。
 俺は……生きるためだった。俺はただのガーディアンだよ、だからお前一人くらいなら守れもするだろう。でも、この大地を守ることなんてできやしない──できないんだよ。
 守れるものだけ、守りたいんだ。守れるものを、守りたい……俺は、二度と……」
「……キト」
「黄昏が自然現象なのかそうじゃないのかは、きっと、俺じゃない誰かが解明する。俺じゃなくていいんだ。その代わり、俺じゃなきゃだめなものが他にある……お前だって、そうだろ」
「──キト、空」
 キトの隣に座って、メグが空を指差した。
 気が付けば、もう夜の帳はほとんどすべてが下ろされ、辺りは濃紺の色に包まれている。
 少しばかり冷たい夜の空気を深く吸い込み、キトはまばゆい空の星々をその瞳に映した。白い月は、その姿を半身だけ欠けさせてこちらを見つめている。
 キトは瞼を閉じて、吸い込んだ空気を吐き出した。
 それからしばらく空に浮かぶ光たちの気配に身を浸していると、隣に座る影が少しばかり動いたように感じ、キトは薄く目を開いて隣を見る。
 そこではメグが自分と全く同じ様子で瞼を瞑っていたものだから、キトはそんな彼女を見て多少なりとも可笑しくなり、静かな動作で己の膝に額を押し付け、喉の奥ばかりで声を上げずに小さく笑った。
 それに気付いたメグが、珍しいことに突然笑い出したキトを怪しむような目で見ながら自分の肘でその肩を小突く。
 微かに笑い、無言で首を振るキトを横目で見て、メグは再び空を見上げた。
「……星、綺麗でしょ。見せたかったんだよ、あんたに──此処に来た理由は、ほんとにそれだけ。考え込ませるつもりなんてなかったんだけど……あたし、むしろ逆で……えっと……」
「──生きて、死ぬだけだ」
「……え?」
「それだけだよ、それだけだ、メラグラーナ。何があっても、たとえこの空が暮れ落ちようと、この大地が涸れ果てようと……」
 キトは空に瞬く光に手を伸ばした。
 届きはしない。
 星は遠い。
 そう、届かないものを追い、掴もうとする必要は自分にはないのだった。
 キトは立ち上がり、座っているメグの腕を掴むと、それを引っ張って半ば強引に立ち上がらせる。
 メグは驚いたような顔をしたがそれは一瞬のことで、再び空を見上げると、それからキトの方を見て困ったような顔で笑った。
「そうやって生きて死ぬまでに、何が見れるかな。あんたは何が見れると思う?……キトの見たいもの、あたしも見たいんだ」
「……そうだな、俺は……その跳ねっ返りが、少しはましになったお前が見たいかな」
「……ちょっと……それ、どういう意味よ」
「別に、そのまま。……なあ、メグ」
 ほとんど闇に包まれた視界を照らすように、キトは大地の光に力を借りて手持ちの角灯に明かりを宿した。
 確かめるように元来た道を歩いていくと、メグから見えない角度で彼は微かに表情を和らげ、それから空は見上げずに小さな声で呟いたのだった。
「──星、綺麗だな」



20161001

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