アルバーダとの邂逅


 トレジャーハンターたる者、宝探しは全身で行うものである。
 いつか、酒場の真ん中で戦利品を手に掲げたハンターが高らかにそう宣言していたのを思い出しながら、イリスは先日ちょっとした騒ぎを起こしてしまった、ハンターたちの溜まり場である酒場の前に立っていた。
 イリス・アウディオはトレジャーハンターである。
 まだ、あの騒ぎからの日も浅い。この酒場に足を踏み入れるのはいささか時期尚早だと思われた。しかし、宝探しをして生きているこの身としては、やはり誘う宝の気配には抗えないところがあるのだった。
 そう、確かに、宝探しは全身で行うものである、瞳だけではなく。
 そうして辿り着くもの、たとえば──
(……やっぱり、そう)
 それは歌であったり、曲であったりすることもある。
 イリスは酒場の扉を開けて、その中へと足を踏み入れた。
 酒場の中心で、流れの歌うたいや奏者が楽の音を奏でている。そこへ集まるハンターたちは各々思い思いに歌を歌ったり、弾ける者は楽器を演奏したり、或いは軽やかに踊っていたりと様々であった。
 酒場の扉に備えられた小さな鐘が、イリスの来店と共に楽しげな音を上げる。それは酒場の中心に踊る音楽の中へと吸い込まれてゆき、新しく客が訪れたことに気が付いたハンターはどうやらいなさそうだった。
 イリスは心のどこかで多少安堵したような気持ちになると、酒場の隅の──いわゆる、いつもの席へと向かい、そこに腰をかけると飛び交う音楽と楽しげな人影たちに視線をやった。
 ──音楽は好いものだ、と思う。
 それは、歌や楽譜の中に古い宝の示唆が隠されていることが存外多いという理由もあったが、しかし決してそれだけではない。
 人は、心の奥でいつも音楽というものを求めているような気が、確かにイリスはするのだった。
 だから耳を澄ませるのだろう、人は。
 それは木々の囁きに、鳥たちのさえずりに、小川のせせらぎに、遺跡の息吹に、大地を叩く靴音に。
 歌は、誰かが歌うから歌になる。
 楽譜は、誰かが奏でるから曲になる。
 そして、誰かがその音に耳を澄ませるから、この世界に溢れる音たちは音楽となるのだ。
 酒場で奏でられるこの音楽の何て騒がしく、楽しげなこと!
 無論、これは彼らにしか奏でられない音楽だった。
 そこまで明るくはない照明の下で、明るい──さながら夜明けの音楽を奏でている彼らの中心にこんにち立っているのは、何やら濃い灰の髪をした一人の男である。
 彼が楽の音に動くたびに、一つにまとめられたその髪が尻尾のように揺れ踊った。
(歌の尾羽……)
 ぼんやりとそんなことを口の中だけで呟きながら、イリスはその男に見覚えがあることをそういえばと自覚した。
 それは、酔っていた彼に一杯の水を差し出したことがあったというだけの何とも言えない記憶だが、それを思い出すと同時に彼女は或ることに気が付く。
 自分もあまり多い方とは言えないが、彼はこのハンター溜まり場にそう多く顔を出さない人物の一人である。しかし、自分が楽の音に誘われてこの酒場に入るとき、その中心にはいつも彼がいるような気がした。
 いつもは信憑性の薄い噂話や、語る本人たちもどうでもよさげな世間の話、話題に困った者なんかは天気の話をするこの酒場だ。この場所が音楽と踊るのは比較的珍しいことだった。
 果たして彼が音楽に誘われてやってくるのか、それとも音楽が彼に誘われてやってくるのか……
「なあ、ねえさん。何をそんな熱心に見つめてるんだ? 何か、見えるのか?」
「……えっ?」
 声をかけられて、反射的に顔を上げる。
 どうやら自分は、また何処か遠い処を見ていたらしい。どうにも直らない自分の悪い癖なのだ、これだから物語の読みすぎだと笑われる。
 数回瞬いた目に、正しい視界が戻ってきた。
 そこに映るのはいつの間に近付いてきていたのか、先ほどまで音楽の中心にいた濃い灰色の尻尾をもつ一人の男だった。
 イリスは彼が聞いた問いに答えようと、先ほどまで見つめていた場所をもう一度見つめてみる。
「……歌の尾羽……? じゃなくて、踊る人影……間違えた、ええと……そう、音楽を聴いていた──だけ。少し、ぼんやりしてた」
「へえ……あ、この前は水、どうもな」
「いいえ……ねえ、それよりあなたは──ただのお酒好き? それともトレジャーハンター? 踊り手? 歌うたい?……全部?」
 自身の目の前に立つ彼をイリスはその赤で見て、とりあえず思い浮かんだことをすべて言ってみた。
 それを聞いた彼は、背後で弦を弾く音が響くと共に口の端を少しばかり上げその鋼色の瞳を細めると、その靴裏で床を軽やかに叩いてみせる。それから大げさに両手を広げると、どこか芝居がかった調子で言葉を紡いでいった。
「何者かって? そんなの簡単さ! 俺たちに名前は必要ない、持っているのはこの声だけだよ、お客人。俺たちは歩き続けるんだ、共に、共に、共にな」
 彼のその様子に一瞬呆気にとられたイリスだったが、すぐに立ち上がると微かに口角を上げ、こちらもお返しだと言わんばかりに恭しく、やはり大げさな一礼をした。
 それから普段通りの姿勢に戻って席に着くと、元より芝居がかった物言いなどできないイリスはいつもの、どこか淡々として聞こえるために無愛想と言われがちなその口調で言葉を編んでいく。
「舞台の上では名前を持たない?──声の人。……なら、私と逆。私は名前しか持っていない。それは舞台の上でも舞台の下でも、或いは裏でだって。この名前だけで何処までも往くの。イリス≠オか持たない私は、イリス・アウディオよ、声の人」
 彼は笑い声を上げて、イリスの前の席に腰を下ろすと、カウンターの上に乗っている水の入った小酒杯を手に取り、それを飲み干した。
 そうして硝子の表面を爪先で弾いて一つ楽の音を奏でると、その灰色を揺らしては鼻歌交じりに言った。
「イリス・アウディオ……はは、そうか、水のねえさんはイリス・アウディオっていうのか! 前はろくに名乗らず悪かった。俺はハイク、ハイク・ルドラ。そうだな、とりあえず……再会を祝して歌っておこうか?」
 ハイク・ルドラと名乗った男を見つめて、イリスはそうか、なるほどと思う。
 彼女は納得したように小さく頷くと、それによって、先ほど彼が踊ることによって奏でられていた、そして彼にしか奏でられないあの音楽が耳の奥に戻ってきた。
 彼女はほとんど自分にしか届かないような大きさで、心の中に浮かんできた言葉を確かめるように呟く。
「……そう、あなたが歌だったのね」
「ん?」
「いや、ハイク・ルドラという名前は、歌のよう……だと。ハイク・ルドラ。それに、ほら、この響きはあなたが踊り鳴らす靴音のよう──」
 言いながら、イリスは目を瞑って、カウンターを指先でとんとんと二回叩いた。
 それから瞼を上げて、どうやら自分はまたおかしなことを口走ったようだと彼女は自覚すると、すぐさま謝ろうと口を開きかけた。しかし彼が発した言葉によって自身が唇に乗せようとしていたその言葉は、出番もなく喉の奥に引っ込められることになるのだった。
「お、そうかい? 嬉しいねえ」
 軽く笑ってから彼が放った言葉はそれだけだったが、その笑みの中にも声の中にも苦いものや辛いものがないことをイリスは感じ取ると、心の中でそっと胸を撫で下ろした。
 それから彼は少しばかり前のめりになると、うんうんと頷いてイリスには予想外だった言葉を音にする。
「ひょっとして才能あるんじゃないか、イリスのねえさん」
 冗談めかしてそう言う彼に、イリスは鮮紅の瞳を細めると小さく微笑んでかぶりを振った。
「ありがとう。……でも、私にあるとしたらそれは宝探しの才能。歌は──そう、目に見えない宝のようなもの。私は、あなたの……ハイク・ルドラ≠フ中に宝を見付けた。それだけよ」
 それだけ言うとイリスは立ち上がって、酒場の扉の方を見た。
 楽の音に誘われてやってきたこの場所での宝探しを、彼女は無事に終えることができたためである。
 ──イリス・アウディオはこの日、歌が呼ぶ歌に誘われ歌と出会ったのだった。
 赤い瞳で目の前に座る彼の鋼玉の瞳を見る。
 彼は小さく頷くと軽く笑い、その歌の尾羽を揺らした。
「往くのか」
「ええ、往くわ。そして、戦利品を抱えて戻ってくる。あなたもその内、また来るでしょう?……此処のお酒は、かなり美味しい」
「ああ、それは言えてる」
 そうしてイリスは彼に踵を返すと、酒場の中心で未だ絶えず奏でられている楽の音を背中に感じながら、扉の前で肩越しに振り返った。
「──ハンター、あなたの舞台は?」
 それを聞いた彼は、あの軽やかな笑い声は発さずに口角のみを上げてその鋼色を細める。それからやはり芝居がかった口調で言うのだった。
「──ハンター! あんたの歩みは?」
「私の歩み、それはもちろん……」

 ──宝ものの、在る場所へ!



f20160924
…special thanks
ハイク・ルドラ @hiroooose

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