novel | ナノ

手紙


『こんにちは。また授業中に読んでるだろ。
今日も元気に過ごしているか?俺はいつも通り元気だよ。
桜も満開で良い花見日和だな。気持ちのいい晴れの日にお弁当を作って桜の下で一緒に食べる、なんて一度してみたい。近々休みが合えば一緒に簡単なお花見でもしてみるか?
お返事待ってます。ちゃんと勉強しろよ学生。』

最初と最後のお決まりのセリフ以外雑な言葉遣いで書かれた手紙。宛名も切っても無い桜色の可愛らしい封筒に入っていた同じ種類の便箋一枚にはそう書かれていた。なんとも簡潔な手紙だ。だが僕はそれを何ら不思議に思わず教科書を立て、長ったらしい話を続ける教師の目を盗み見て机の中から水色を基調としたシンプルな桜模様の便箋と封筒を取り出す。そこにつらつらとシャーペンを滑らせる。

『こんにちは。これを読む頃にはこんばんはですかね。せめておはようではない事を願いますよ。
僕も今日も元気です。暖かくなってきたからかとても眠くなることが多々あります。
お花見、いいですね。今度の日曜日はバイトは休みです。もしもお休みであれば、急ですがお花見してみますか?
お返事待ってます。』

短く簡潔にそう書き、三等分に折って封筒の中に入れ素早く机の中のファイルにその封筒をしまう。嬉しさを紛らわす為に音を立て無い程度に足を動かしてみる。が、スカートが擦れて音がたってしまったので止めて、窓の外を見る。バイトが終ったらすぐに封筒を郵便受けに入れに行こう。校庭に生えている一本の、もう散りかけている桜を見ながら僕は耐えきれず笑みを零した。



手紙の相手は僕のお向かいに住んでいる幼馴染みのお兄さん。勉強は出来ないしマイペースで大雑把だし不器用だし言葉足りないから誤解もよく生ませるし女心分かってないけど、喧嘩強くて身長高くて、優しいお兄さん。顔面偏差値も高い、らしい。ずっと見てたせいで見慣れすぎて良く分かんない。今は高卒でバイト三昧で夜中まで働いてる。大学は勉強が出来なさすぎたし家の事情もあり行かなかったと言ってた。
そんなお兄さんと僕は四つ違い。会う時間は今年高校二年になり、お兄さんと会えない時間を埋めようと高校入ってすぐからとにかくバイトをしてる僕と僕以上にバイト三昧のお兄さんとではやはりどうしても短い。一ヶ月に三回以上会えれば万々歳。僕が小学生の頃、お兄さんは中学校三年生。お兄さんはその頃から壊滅的な学力だったので近所のバカ高校に通うことになるのは八割程決まってた。それでも高校という当時の僕がまだ理解できない場所に行ってしまう事、お兄さんは高校入ってすぐにバイトを始めると決めており会える時間がとっても減るのだと教えられた僕はそれに酷く反抗した。お兄さんと会えなくなるのはやだ、と普段大人しいと良く言われる僕としては珍しく駄々を捏ねたらし…はい、らしいではなく、捏ねました。覚えてます、黒歴史として。まあ、そんな僕に見兼ねたお兄さんが提案してきた今のやり取り…手紙をお互いに送る、という事の原因ではあるのでそこまで嫌な思い出ではないけど。それからは朝、僕の家の郵便受けにお兄さんが手紙を入れて登校前にそれを取り、時間が無いから授業中に呼んで返事を書き、家に帰ってきた時向かいのお兄さんの家の郵便受けに入れる。そしてお兄さんが取り出して読んでお返事を書き、朝に僕の家の郵便受けに入れる、というやり取りがかれこれ四年続いてる。お兄さんはこーゆーのやるタイプでは無いしすぐに飽きて自然と止まってしまうと思っていた事もあったので正直自分でも吃驚してる。それでもやっぱり、お兄さんとこうして手紙のやり取りが出来るのは会える時間が短いので嬉しい。お兄さんと僕は兄妹みたいと良く言われ、お兄さんも僕の事を妹みたいに接してる面が多々ある。不満がないと言えば嘘になるけど仕方が無いと諦めてもいるので深く気にしないようにしてる。僕を女の子扱いしてくれる唯一の人でもあるのでそれで良いし。目付きは隈があるせいもあり悪く、髪もボーイッシュとまではいかないけどショートカットで前髪は長いから目付きの悪さを悪化させて、顔も中性的というか若干男っぽさがあり、体も女性特有の膨らみなんて全くないまな板。高校二年にもなってここまで素晴らしいまな板は僕くらいじゃないですかねぇ。一人称も僕なので男に間違えられるなんて日常茶飯事、最早男として認識される事が多いし多分本気で男だと思ってる人も何人かいると思う。実際何度か男に間違えられてカツアゲされた事あるし。親すらたまに間違えるし。そんな僕を妹扱いとは言えちゃんと女の子として見てもらえるのはやはり嬉しいから。だからそれだけで良いんです。



キーンコーン、と授業終了を告げるチャイムが教室中に鳴り響いた。そのチャイムを合図に授業という自分達を縛る時間から解放された生徒達は各々行動をする。解放された喜びを爆発させてる男子、放課後や休日に遊ぶ予定を話し合う女子グループ、次の授業の準備や予習をする真面目秀才、その中で僕はすぐに学校を出られる様に支度をしとく。次の授業は苦手な物理。なんで物理なんて学ばなきゃいけないんですかね。日常生活の中最も学ばなくても生きていける教科だと思ってます理系科目は。あっでも生物は自分達の身体に関わるし必要か。なんて思ってると物理の担任の先生が教室に入ってくる。この後はバイトが待ってる。今日の担当ポジは面倒臭い所だった事を思い出しまたげんなりする。くそう。休みをください。というか休みが来い。そう思いながらまた授業が始まるチャイムが鳴り響く。するとさっきまで自由に行動してた人達は皆さっさと自分の席に腰を下ろし、皆が座ったのを確認して先生は話し始め黒板にチョークで書いていく。乗り気なんて全くないけど悲しいかな学生の身、渋々とノートを開きシャーペンをノックして芯を出し、先生が黒板に書いている内容を写してく。頭の片隅ではもしお花見行くとなった時のお弁当の献立を考えていた。



散々だった。今日をまとめればその一言。
物理の授業では抜き打ちテストするし、バイトに行こうとすれば掃除当番を押し付けられごみ捨てをされ、やっとバイトに行ったらただでさえ面倒臭いポジなのに急遽一緒のもう一人ともう一つのポジの人が体調不良になり二つのポジを任されるし、今日に限って注文多いし、理不尽なクレームも多いし、シフト終了時間があと三十分だと喜んだ瞬間告げられた一時間半延長、その後の片付けもいつもよりも多く時間がかかり、やっと上がって着替えるのも億劫なのでいつも着ている僕には大きすぎる位のカーディガンだけ出して他の制服を鞄の中突っ込んみ、バイトのティーシャツとズボン、その上にカーディガンを羽織った状態で帰宅してるとカツアゲに合って、財布は普段持たないから取られなかったとはいえ腹パンチくらった。かなり振りかぶってたせいで威力もありめっちゃ痛い。そのままサンドバッグにならず帰ってもらえたのだけはまだ良かったけど。そんな訳で心身ともに疲れた。現在時刻はとっくに日付を越してる。ぴゅう、と吹いた冷たい風が体を撫でるように流れて軽く身震いする。寒いのは苦手なので風による寒さも嫌になってくる。少しでもマシにさせるため黒い手編みのマフラーを口元から鼻先まで上げて外気に触れる面積を減らす。このマフラーはお兄さんから貰った毛糸12個全部使って編んだんだよなぁ、とその時の事を不意に思い出す。お陰で少し幅の使う編み方でやっても十分な長さになったから良かった。そんな事を考える片隅ではあとは真っ直ぐ帰るだけ、家に帰る、とまで考えていた。その時鞄の中からファイルを取り出し封筒を取り出す。あぶない、あぶない。自分の家に入る前に向かいのお兄さんの家の郵便受けを目指し道路を渡って向かう。あとは真っ直ぐ歩けば着く。
「お?」
「え。」
突然聞こえた声に反射的に顔を上げればバイト帰りであろうお兄さんが自分の家に入ろうとしていた。僕が編んで渡した紺色のネックウォーマーを付けてるのに上着は薄手のパーカー一枚で下にはタートルネック一枚。寒くないのかと思うが僕が寒がりなだけでむしろお兄さんの格好のが普通なのかもしれない。高校の頃から染めた金髪は街灯を反射してキラキラと耀いてる様に見える。切れ長の目を丸くしぱちくりと瞬かせて僕を見ていた。僕も二回瞬きをしてから口を開く。開こうと、した。
「だぁれ?」
お兄さんの後ろに丁度隠れていたらしい女の人がひょこっと顔を出してきた。長く綺麗な黒髪とぱっちりした大きな目。鼻は寒さからか少し赤くなっている。もこもこで真っ白なマフラーと同じく真っ白なロングコートを着ていても分かるすらっとしてる体。ロングコートの下から見えている足は折れないのかと思う程細かった。時間のせいで薄暗いがそれでも分かるくらい肌は綺麗。すごい美人さん。白がよく似合っている人だなと思った。女の人の声にお兄さんは一拍置いてから「あぁ。」と反応を示し、その女の人へ視線を向ける。
「俺の幼馴染みっす。」
「いつも話してる子?でも女の子じゃなかったっけ?」
「こいつ女っすよ。」
「えっ!ご、ごめんなさい!」
僕の事話してるのかと頭の片隅で思いながら謝罪をする女の人に「いえ…。」と首を横に振りながら気にしていない事を伝える。お兄さんは女の人にそこまで言うと僕へとまた顔を向けて話しかけてくる。
「どうした?こんな時間まで。」
「バイトの帰りです。お兄さんもですか。」
「おう、今日はちょっと早くに上がれてな。」
「あぁ、確かにいつもよりは早いですね。」
「つーかお前なんでこんな時間までやってんだよ。学生だろ。」
「休みの人が多くて延長なったんですよ。後片付けも時間かかりましたし。」
「災難だったな。」
「えぇ、まぁ…。」
他愛も無い世間話。いつもならこれで嬉しくなるのに、今日は胸につっかかりがある。
「…彼女ですか。」
「ばっ!ちが、まだちげぇよ!」
不意に、ふと、自然と出た、出てしまった言葉。その一言にお兄さんは過剰なまでに反応を示した。それだけで答えはわかってしまうのに、お兄さんは真っ赤な顔で「バイト先のセンパイで、今日は、その、家の鍵落としたらしくて今日だけは泊まろうってなって…!」なんてアタフタと慌てて辻褄の合ってない弁解をする。それは逆効果だと分かっていないのだろう、お兄さんは奇跡的な程鈍感だから。そのお兄さんの後ろで女の人はさっきは鼻だけだった赤みがお兄さんと同じ位に顔を全体に広がっていて若干俯きがちになりながらじっと静かにしている。それを視界に入れてしまった瞬間、胸が締め付けられた。あぁもう、お兄さんはほんっと…。
「分かりました、そーゆー事だと思っておきます。」
「信じてねぇだろお前!」
「近所迷惑ですよ。」
ぐ、と言葉を詰まらせ静かになったお兄さん。それでも顔は赤いままだ。そして恥ずかしさを誤魔化そうと片手で自分の口元を覆いながら小声で「カッコ悪ぃ…。」と呟く。聞こえてしまったその言葉にまた呆れてバレないよう小さく溜息を吐く。そして握り締めてしまっていた封筒をお兄さんに押しつけるように渡す。
「今日の手紙です。それでは。」
「え、あ、おいっ。」
お兄さんが手紙を持ったのを横目に見ながら逃げるように自分の家へ向かう。門の元へ着いた時、後ろから「ちゃんと飯食えよ!」とお兄さんの声が聞こえる。それに片手を上げて軽く振り反応を示しながら玄関を開けて直ぐに中に入り、鍵を締める。中は真っ暗で静かだ。その暗さが、静かさが嫌で靴を脱ぎリビングに向かう。パチッ、と電気を付ければ朝も見たメモがテーブルの上にあった。

『今日も遅くなります。材料は冷蔵庫にあるので適当に作っといてください。
母より。』

もう何回も使いまわしているせいでクシャクシャのそのメモをグチャ、と丸めてゴミ箱に投げ付ける。ちゃんと入ったのを確認せずバイトと学校の鞄それぞれを乱雑に隅に置く。そのままリビングの電気を決して荒い足取りで階段を登り自分の部屋に入り、ベッドダイブ。羽毛布団の上にダイブしたのでぼふ、音がした。ぼふ、ぼふと何度も羽毛布団を叩く。何回かそうしてから上半身を起こす。ベッドの上には大好きなぬいぐるみが溢れんばかりにある。実際溢れていて寝る場所を確保するとスペースが足りずベッドの足元にテディベアやウサギなど比較しなくてもおっきいぬいぐるみは置いてある。全部お兄さんがゲーセンで取ってきた物ばかりだ。お兄さんはユーフォーキャッチャーをしたいけどぬいぐるみはいらないから、と言って僕に全部寄越してきたからいっぱいある。いつもはその子たちに癒されるのに、今は見たくないと思ってしまいまた羽毛布団に顔を埋める。何も見たくない、見たくない。洗濯もしてないし、お風呂入ってないし、歯磨きしてないし、お兄さんに食えって言われたご飯も食べてない。殴られたお腹がまたジンジンとした痛みを主張するが、それ以上に感じる胸の締め付けの方が強い。マフラーをしたままだから息苦しい。けど今はその息苦しさを手放したくなかった。やんなきゃいけない事はあるのに、何もする気になれない。今は何もしたくない。このまま眠りたい。眠ってしまおう。眠って、切り替えよう。あぁもう、ほんっと、
「…さんざんだ。」



ゆっくりと意識が浮上する。まだ日が昇りきっていない時間に起きたらしい。時計を見れば四時。早過ぎた。でもまた寝る気にもなれなかったので、仕方なく起きる。あぁ、やっぱりパジャマに着替えれば良かった。今日も使うのにしわくちゃになってる。ベッドから出て意識を段々覚醒していけば「ごぉぉ…」という怪物の声みたいなイビキが聞こえる。お父さんだ。きっとお母さんも寝てるのだろう。六時半には起こさなきゃ。いつも通りにそう思いながら、とりあえずリビングに下りてマフラーを外し鞄から制服を取り出す。雑に畳んで鞄に入れたままだったのでこっちもしわくちゃだ。それを持ってお風呂へ向かう。昨日…正しくは今日だけど、入れなかったから今入って歯磨きもしなきゃ。制服と着ていたカーディガンを置いて、その上にバスタオルを置く。バイトのティーシャツとズボンは脱いでバイトの鞄の中に畳んで入れる。その流れで洗濯機の中に洗っちゃうものを入れ、洗剤と柔軟剤も入れて洗濯も回す。そして浴場に入り、シャワーを流し頭から被る。最初出てくる水に心臓がきゅってなった気がする。顔を若干俯かせたらお腹が少し青くなっていた。触ったらジンとした痛みを感じたが特に支障はなさそうだ。それから段々お湯になっていくにつれて頭も冴えてきた。昨日は散々だったなと思いながら、お兄さんと女の人を思い出す。真っ赤な二人。今思えばお似合いな二人。お兄さんのタイプの年上の女の人。きれいな女の人。
「…お兄さんは、お兄さんだ。」
僕はお兄さんの、妹のようなモノ。いもうと。
だから、大丈夫。
そう言い聞かせて髪と体を洗い、バスタオルで水気を拭いて制服に着替える。ワイシャツを着て、タイツを履いた上にスパッツを履いてスカートを履く。ネクタイとカーディガンは出かける前に着よう。洗濯はまだかかるのでその間にお弁当と両親の簡単な朝食を作る。両親は朝もゆっくりする暇が無いので歩きながら食べられるものの方が良い。確か今日お父さんは仕事が一段落出来そうだと言っていたからお父さんの夕ご飯も作っておかなきゃ。リビングに入り、冷蔵庫の中を覗く。賞味期限がヤバイのから消費していかなきゃ。ざっと見て必要な材料を取り出す。炊飯器を見ればご飯がお弁当と朝ご飯の分で丁度くらいなので使い切ってから炊こう。さて、とエプロンの腰紐を結んで作業に入った。
カニカマ入り卵焼き、キャベツともやしとソーセージと炒り卵の野菜炒め、木綿豆腐とにんじんとほうれん草の和え物、お母さんの夜とお父さんの昼用の肉巻きおにぎり。計四品と小さめの塩おむすびを作り終え、お米も炊いてからそれぞれのお弁当の手提げにお弁当を入れる。お母さんはオカズが入ってる一段弁当に肉巻きおにぎり、お父さんはオカズと普通のご飯の二段弁当と肉巻きおにぎり、僕は片手サイズのオカズ入れとそれより小さな塩おむすび。いつも通りの量だ。入れ終えるとふう、と一息つく。いつもよりも少しだけ凝ったものを作ったせいで頭を使ったがどこかスッキリした。料理がストレス解消になってる気がする。その事実に少しどうなのかと自問自答する。あとは…と考え洗濯を干してない事を思い出し洗濯カゴを持って既に洗い終わっていた洗濯物を取り出す。外に干すと取り込む人がいないので基本的には室内干しだ。リビングの隣の部屋に干す。そうして朝の作業も粗方終えた時間は六時。三十分早いが、声をかけるだけでもしようと階段へ向かった。その時玄関先を見やる。いつも聞こえる音は聞こえなかった。

prev / next