「花見してェなー」
廊下を歩きながらそう口にしたのは、トバリの後ろを少し離れて歩いていた佐威だった。
トバリがその声に振り返る。
連子窓の隙間から見える桜の木を横目で見たあとトバリに目を移し、にっと笑う。佐威のその顔はまるで、小さな子供のようだった。
「……急に如何した?」
「いや俺、前からやりたかったんスよ」
一国の主であるトバリに対して、こんな口を利くとなれば「不敬」と評されて仕方ないが、この佐威と言う少年はそれを許されている。
「花見、のう」
トバリからして見れば佐威は「花より団子」の性分であろうから。花見と言うのは口実で、ただ美味いものを食べ酒を飲み、仲間と騒ぎたいだけなのだろうと言うことは明白であった。
しかし見た目に反して(と口にすれば怒るだろうが)佐威はけして怠惰な訳ではなく、否、偶に多少文句を口にすることはあるが、公務は至って真面目に行ってくれる。立場が上の者に対しても臆することない、歯に衣着せぬ大胆不敵な物言いも気に入っている。それ故にトバリはこの佐威を第一の側近として隣に置いているのだ。
仕事仕事の毎日では息も詰まるだろう、たまにはそうした息抜きが必要か、と。トバリは小さく頷いた。
「良かろう。今が丁度見頃であろうし、楽しんでくるが良いぞ」
よくつるんでいる秋弦や篠丸らをはじめ、佐威が城の者達に声を掛ければ多くの者が集まるだろう。
そういう段取りを組むのも佐威は得意だ。
「え?いや違いますよ」
佐威が右手を顔の前で振る。折角許可を出したと言うのに、何が違うのか?トバリはその意味がよく分からなかった。
「違うとは何じゃ、花見がしたいと申したのはお前であろう?」
そうですけど、そうじゃなくて、と佐威は苦笑していた。
「俺はトバリ様と2人きりで桜を見たいんですけど」
さらりとそう口に出され、呆気にとられた。その様子を見てまた佐威が笑った。
「別に俺、酒飲んでどんちゃん騒ぎがしたいとかそーいうんじゃないんスよ。いや、それはそれで悪くねェけども。俺がやりたいのはホントの花見」
まさかそんな事を言われるとは、ほんの少しも考えていなかったトバリは益々目を丸くする。
「えー駄目スか?」
眉根を寄せて、首を傾げる佐威。
「いや、駄目という訳ではないが……」
よっしゃ、と威勢よく声を上げ手を叩くと、佐威がトバリの背中を押し外へ行こうと促す。
「待て、待て。今からか?」
「勿論!桜の命は短いっスからね〜」
他の家臣に外に出てくると告げ、先程窓から見えていた桜の下へと足を運んだ。
なんと強引な……と途中まではトバリも呆れていたが、可憐に咲き誇る桜並木を見て思わず感嘆の息を漏らした。
「これは、見事じゃのう」
満開まであと一歩と言ったところか、穏やかに吹く風に揺れる美しい桜の色は、青空によく映える。
佐威が先程言った通り、この美しさを楽しめる時間は短い。その儚さこそが桜の魅力でもあるのだろうが。
「しかし、お前からこんな誘いを受けるとは……。お前も一応、花を愛でる心というものを持ち合わせておったか」
普段の仕返しとばかりに、わざと大袈裟に、引っ掛かる言い方をしてみる。すると思った通り佐威はムッと顔を顰めていた。
「俺にだってそれくらいの情緒はありますよ〜。つかトバリ様、好きでしょ。花」
ーーああ。と納得した。
成程、確かにトバリは花が好きである。暇を見つけては自ら生けることもあるし、城内には季節の花々を楽しめるようにと拘った庭を造らせた。
「ここんとこ忙しかったし、たまにはこうしてゆるっと花を眺めるのもいいでしょう」
「……ふふ。そうじゃのう」
何かと根詰めやすいトバリのことを気遣ってのことだったのだろう、そのさり気ない優しさにトバリは微笑む。
それを見た佐威は何処か満足気だった。
「どうスか、こーんな良い家臣を持って幸せでしょ」
「自分でそれを言うか?……まあ、確かに感謝はしておる。これからも頼りになる家臣として、わらわの傍に居てくれ」
「……あァ、ハイ。それは勿論」
少し変な間が空いたことにトバリは首を傾げた。
「如何したのじゃ」
「別に何も……」
「ハッキリ言わぬか」
「……家臣として、って言葉にちょい引っ掛かったただけです」
不満げな表情を見て、その可愛らしさに思わず吹き出してしまった。
「何じゃそれは?良き家臣を持って…という言い方をしたのはお前ではないか?ああ、もう、そのように拗ねるでない」
そっと、むくれている顔に手を伸ばした。愛おしむように頬を撫でればそこに佐威も手を添えてくる。
「ガキ臭くてすいませんねェ」
「問題ない。そういうところが好ましいのじゃ」
「……」
好ましいと言われて嬉しいような、子供扱いに怒っているような、どちらとも言える微妙な表情を見せた。頬に添えた手を払われたので、怒ったのかと思ったがーー軽く抱きしめられた。
「ん……、佐威?」
「今の『好ましい』は、家臣として?」
「フフッ。違う、一人の男としてじゃ」
以前から佐威が自分に対して好意を持っていることは知っていた。主とその家臣という身分差はあれど、トバリは全くもって気にせず、同様に想いを佐威に返した。
とはいえ普段は特に恋人らしいやりとりというものが無い2人。佐威はそんな状態から抜け出したかったのかもしれない。
「あ、花びらが」
佐威が、トバリの髪に付いていた桜の花びらを1枚摘んだ。
「知ってます?落ちてくる桜の花びらを5枚一気に掴めたら願い事が叶うとかなんとか」
「5枚とはなかなか難儀じゃな」
試しに掴もうと手を伸ばすも、意外と難しい。
「もしトバリ様なら何を願います?そもそもそーいう願掛けみたいな真似事はしないスか?」
その問いに少し考えてーーいや、と首を振った。
「来年も再来年も、その次の年もーーずっと。お前とこうして共に桜が見たい。と言うのはどうであろう?」
「え……」
向き合っていた2人だったが、突然佐威が背中を向けた。
「ハハ、そんな事でいいんスか?つーかそんなん、わざわざ願わなくても俺はずっとそうするつもりだし?」
軽口を叩きながらも、そうして背を向けたのは赤くなった顔を見られるのが恥ずかしいからだろうか。トバリは密かに笑う。
「あっ!」
素早く覗き込んだ佐威の顔はやはり真っ赤だった。佐威は顔を慌てて手で隠すも時すでに遅し、である。
「ほほほ。愛い奴じゃ」
トバリがつんつんと佐威の脇腹をつつく。佐威の弱点である。どうにもくすぐったいらしく、少しつついただけだと言うのに、一瞬変に高い声を上げて佐威は身を捩る。
「やーーめてくださいよマジで!」
その様子を見て、「愛おしい」と思わずには居られなかった。初めて出会った頃とはお互い随分変わった。
「……桜への願掛けは無しにする。お前が叶えてくれると言うのならば」
「……ま、まァ、それは約束しますよ」
「うむ」
満足気にトバリは頷く。
「……さっさと帰るには惜しい。もう少しこの桜を堪能してから、城に戻るとするかのう」
「お、トバリ様には珍しいことで。普段は、一寸の光陰軽んずべからずとよく言ってんのに」
「お前との時間はわらわにとって無駄なものではないのでな」
佐威が一瞬固まった。
「あーーあ……もう降参です」
頭を抱えて赤くなる佐威を横目に、トバリは桜を見上げた。柔らかく過ぎてゆく風を感じ、透ける木漏れ日に目を細める。
「次の花見も楽しみだ」