ミシュアルと喧嘩した。
きっかけはほんのちょっとした意見の食い違い。
というか、私達のお互いの「譲らなさ」が原因だろうか。
ミシュアルの従者であるマアルフに言わせてみれば私もミシュアルもなかなかの頑固者だそう。
いつもは仲良く過ごしているのに、たまに衝突してしまう。
ミシュアルの誕生日プレゼントを前々から何にしようかと考えていた私は、悟られない程度に彼の欲しいものを探ろうとしていた。
アリダード家というのは世界でも有数の貴族で、こう言ってはなんだが欲しいものはその気になれば何でも手に入れることが出来るだろう。
だからこそ、ミシュアル自身が欲しいと思うものが何なのかを知りたかった。…のに。
数時間前のこと。
私はミシュアルの仕事が終わる時間を見計らって彼の部屋を訪れた。
だけど仕事はまだ終わっていなかったらしく、疲労が溜まっているのか頭を抱えて大きな溜息をついていた。
ミシュアルは以前に一度、無理をしすぎて高熱を出し、倒れてしまったことがあったからーー私は休息をとるように促した。
素直に受け入れてくれると思っていたのだけれど、大きなお世話だと一蹴されてしまった。
今思えば彼も、忙しくて苛々していたのかもしれない。いつもの優しいミシュアルではなかった。
いつもの彼なら、「そうだな、サミアの言う通りにする」と言ってくれただろう。
そこで私もついカチンときてしまって。
「そんな言い方をする事ないでしょう!?あなたの身体を思って言っているのに」
ーーこんな風に、言い返してしまった。
ミシュアルは元々プライドの高い人でもある。妻とはいえ私から色々言われるのは、自己管理も出来ないのか?と思われているようで嫌なのだろう。
ひとり、ベッドで寝転んで、頭の中でぐるぐるとミシュアルとのやりとりを思い返してみたら、そんな風に冷静になれたのだけど。
ミシュアルの欲しいものを探るという本来の目的すらもままならず、深い深い溜息が出た。
私はただあの人の笑顔が見たかっただけなのに…。悲しくなって、ほんの少しだけ泣いた。
窓から入ってくる朝日に気付き、ばっと身体を起こす。
あのままいつの間にか眠っていたらしい。
慌ててミシュアルの部屋へ駆け込んだが、ミシュアルもマアルフも居なかった。
たまたま通りがかった侍女のシャクティに尋ねてみる。すると、ミシュアル達は今朝早くトゥラジの街へと向かったとの事。
トゥラジといえばアリダード家の親戚のモフセン家の邸がある、シャンデーヴァからは少し離れたところにある街だ。
「商談の関係もありますから、もしかしたら何日か戻られないかもしれません」
「ミシュアルは私のこと何か言ってなかった!?」
「あの、サミア様はまだお休みになられていたので、起こさないようにと…」
「…そう」
数日間とは言え、喧嘩したまま会えないなんて…。
「シャクティ。私…出かけてくる」
「え…どちらへ?」
「街の方に」
「えっ!」
シャクティが慌てた声を出す。
「まさかおひとりで、ですか?それでしたら私も行きます」
「1人で大丈夫だから!」
「さ、サミア様!?お待ちください…!」
シャクティの声を背中に聞きながら、私は走り出した。
シャンデーヴァの街は、常に賑やかで人に溢れている。
私が目指しているのは、魔法の絨毯使いが客を求めて集まる場所。アルブルーズ城からほど近い通りだった。
何人か、イェクタ(魔法使い)とおぼしき人達が談笑していた。声を掛けようとした時、女の子の声に呼び止められた。
「サミアさまじゃないですかー」
振り向くと、モフセン家の侍女であるパリーがいた。
本名は「パリーチェフル」と言うのだが、皆からは愛称である「パリー」の名で呼ばれている。
私よりひとつ年下だが、礼儀正しく、そしてとても明るく人懐こい子だ。
「パリー!どうしてここに?」
「あたしはロフサーネさまのお使いですー!サミアさまこそどうしてこんなところに?」
不思議そうにパリーが首を傾げる。
その手には、パリーが仕えるモフセン家の令嬢、ロフサーネが愛用しているという薔薇水が握られていた。
「私は…そうだ、今日、そっちにミシュアルが来たわよね?」
「ミシュアルさまですか?そう言えばいらっしゃっていましたね。あたし、急いでシャンデーヴァまで来たんでご挨拶もそこそこにといった感じでしたが〜」
「そう…それで、パリーは今からトゥラジへ戻るのよね?」
パリーが頷く。
「ええ。お買い物も済みましたし、ちょうど魔法の絨毯に乗せてもらおうと…」
「私も一緒に行くわ!」
「へ?」
「ミシュアルとどうしても話したいの。数日戻ってこない予定みたいだし、私から行くしかないかなって。ね、いいでしょ?」
パリーの手を取って訴える。
「あ、あたしは構いませんけど、お屋敷の人にはちゃんと言ってあるんですよね?よく見たらサミアさまおひとりですけど!?お付きの人とか誰も連れずに来たんですかあ、危ないですよう」
「だ、大丈夫よ。一応言ってあるから…」
シャクティに伝えたし、嘘ではない。別の街へ行くとは言っていないけれど…。
後で怒られるだろうが、それも覚悟の上だ。
そうしてパリーを多少強引に言いくるめた私は、まんまと同行することに成功した。
「サミアさま、着きましたよー!」
パリーが指さした先にはモフセン家のお屋敷があった。アリダード家には少し劣るもののこちらも広く、かなり豪華な造りである。
代金を支払い、絨毯から降りてさっそくお屋敷の中を目指す。
「それにしても、サミアさまがいらっしゃったとなると、ロフサーネさまがかなり喜びそうですねえ」
「そうなの?」
「ええ、サミアさまのことがとてもお気に入りのようですから」
パリーの御主人様、と言ってもいいロフサーネ・モフセンはミシュアルのいとこで、17歳とは思えないほど大人びて綺麗な女の子だ。
とても優しいが、たまにやたらと人をからかってくるところがある。からかい甲斐のある子がとても好きなのだそう。
パリーが言う「お気に入り」とは、つまり彼女にとって私がすごくからかいやすいという事でもあるのだろう…。
「まあ、わたしの愛しのサミアじゃないの!」
私を見るなり、いきなり抱き着いてきたのは当人のロフサーネである。
相変わらず胸元の大きく空いた服を着て、そのスタイルの良さを惜しみもなく発揮している。
「ロッ、ロフサーネ、苦しい…」
ぎゅうぎゅうとロフサーネが抱き締めてくるので、たまらずパリーに助けを求めた。
「ロフサーネさま!もー、その巨乳のせいでサミアさまが圧死しちゃいますよう!」
「あらあら、ごめんなさい。ところで、どうしてサミアがここに?しかもパリーと一緒に」
ようやく解放されて私は息をつく。
「ああ…えっと、ミシュアルに会いに来たの…」
「え?わざわざここまで?」
ロフサーネが目を丸くした。
「ミシュアルさまにどうしてもお話したいことがあると先程仰られてましたけど、そんなに急な用事だったのですか?」
パリーにそう聞かれ、私は頷いた。
「あの…実は、昨夜ミシュアルと喧嘩して。謝りに行こうとしたら朝早くこちらに向かったと聞いたから、それでこうして追い掛けて来たの…」
事情を説明するのも、なんとも恥ずかしい。
「えーっ、サミアさまって意外と行動的なんですねえ」
「そういうことなら、早くミシュアルのところへ行かないと」
何だか楽しそうなロフサーネに背中を押され、ミシュアルが居るという部屋へと案内された。
扉を開けると、マアルフとミシュアルがいた。
先にマアルフが気付いた。私を見てかなり驚いた様子だった。
「サミア様!」
「サミア…?」
ミシュアルも私を見て、やはり驚いていた。
「何故おまえがここに居るのだ」
「え、えっと…」
私が言い淀んでいると、ロフサーネが助け舟を出してくれた。
「あなた達、喧嘩したんですって?それで謝りたくってサミアはミシュアルを追い掛けてきたそうよ」
「…だからと言って、わざわざここまで…」
半ば呆れたようにため息をつくミシュアル。
帰れと言わんばかりの表情に、私は声を上げた。
「だって…喧嘩して会えないままなんて、そんなの嫌だったんだものーー」
堪えきれず、ぼろぼろと涙が溢れ出した。
私の涙を見て、ミシュアルはぎょっとしていた。
「あらまあ、ミシュアルったら。サミアを泣かせちゃ駄目じゃないのー」
ロフサーネが囃し立てる。
「わっ、私は…、いや、と、とにかくサミアと二人きりにさせろ!おまえたちは出ていけ」
「しかしミシュアル様、そろそろ商談の為に出掛けるお時間で…」
マアルフが慌てている。
「こんな時に何言うのよ、マアルフ。空気の読めない男ねえ。邪魔者はさっさと出ていくのよ」
「そうですよお〜」
ロフサーネとパリーから無理やり連れられたマアルフは、部屋から出る直前にため息混じりに「少しだけですよ」と言っていた。
そこでやっと私とミシュアル、二人きりになった。
ミシュアルは私の傍に来ると、涙を拭ってくれた。
「こら、もう泣くでない。しかし、まさかトゥラジまでやって来るとは…」
「ごめんなさい。昨夜のことを謝りたかったの」
「ああ、あれは…、謝るべきは私の方だろう。少し時間を置くと頭が冷えた。おまえは私の身体を心配して言ってくれたのだし、仕事が終わらないからと言って八つ当たりした私は最低だ」
すまない、とミシュアルも謝ってくれた。
「それと本当は、あなたに聞きたいことがあって」
「聞きたいこと?なんだ」
いっそこの流れで直接聞いてしまおうーーと思った。
「その…ミシュアルの誕生日が近いでしょ?だから好きなものとか、欲しいものとかーー、昨夜お部屋に言った時、それとなく聞こうと思ってたんだけど」
「誕生日?ああ…。別にそんなことに気を回さなくても良いぞ。私はおまえと過ごす事が出来たらそれで構わないから」
「で、でも、大切な日だから…」
「ふむ。そうは言っても…」
ミシュアルはその大きな瞳で私を見つめる。
「私が一番欲しかったものはーー、もう既に手に入れてしまったから」
ミシュアルからそっと手を握られた。そこで彼の言わんとすることを察した。
体が熱くなり、鏡はないので分からないがおそらくあっという間に私の顔は赤くなっているはず。
それを見て、ふっといつもの様にミシュアルが笑う。
「それにしても人前でああして泣いたり、私のことを追い掛けて来たり…以前とは随分変わったな、サミアは」
「そ、そうかしら…?」
「ああ、あの頃のおまえは、何かこうーー常に自分の気持ちを押し殺しているような奴だったように思う。その反動か?今は随分感情的になった…」
またしてもミシュアルが笑う。
私は、「だめかしら…」と呟く。
「いいや、今のおまえの方がずっと良いよ」
そこで扉をノックする音が鳴る。痺れを切らしたマアルフが呼びに来たのだ。
「ミシュアル様、サミア様…申し訳ないのですが本当にお時間になりますから」
「分かった分かった。サミア、悪いがまた後でーーそれにしても、屋敷の者達にはちゃんとここに来ることを伝えてあるのだろうな?」
「う、うん、一応」
「よく1人で来ることを許してもらえたものだ、というか慌てて飛び出して来たのだろう?」
「……」
ミシュアルにはなんでもお見通しのようだ。
その後、翌日になってようやくアリダードのお屋敷へと帰ってきた私はーー、思いのほか大騒ぎになっていたことに気付き、今までの人生で一番「ごめんなさい」を口にした。