君を拒んだ掌


ユスナーンにあった大きな歪み。
解放者により、太守スノウの魂は解き放たれた。

これで世界の寿命はほんの少し伸びるだろう。





「これでスノウは安心だよね。ね、ネックレス試してみる価値あったでしょ?」

「うん、そうだね」





無事にスノウを救えたことに安堵しながら、あたしはホープに声を掛ける。
ホープもこちらに振り向き、こくんと頷いた。

するとホープはそのままあたしの顔をまじっと見つめてきた。

あたしは首を傾げた。





「なに?」

「ううん、嬉しそうだなって」

「そりゃ嬉しいでしょ」

「うん、でも同時に少し悲しそう」

「え?」

「何かが引っ掛かっていて心からは喜べていない。そんな感じかな」

「………。」





ホープのその指摘は多分図星だった。

いや、本当に嬉しいんだ。
ずっと不安だったスノウの心が解放されてホッとした。

でも、心に少しの影がある自覚はあった。





「いや…なんでもない。うん、なんでもないよ」

「…話せば楽になる事もあるよ?」

「…楽と言うか」

「うん…?」

「……。」





言い淀む。
いや、理由はわかっているのだ。

今回の件を見て、改めて感じてしまった。





「いやね…セラの事とか、ね」

「セラさん?」

「……。」





セラ…。
スノウの事を見ていたら、やっぱり彼女の事を思い出した。

片時もスノウはセラを忘れなかった。
こんなにも想える相手。

セラだって…どんなにスノウに会いたかったのだろうか。

だからやっぱり、ふたりにはずっと一緒にいて欲しかった。
いさせてあげたかった。

全部結果論なのはわかってる。

でも、やっぱり考えてしまうのだ。
あの時ああすればこうすればもしかしたら…。
そんな考えはずっと付きまとう。

セラ…貴女を守れなかった後悔は、心のどこかにずっと残り続けてる。





「そういえば…あたし、地上で暮らしてた時…というか此処に来る直前、よく夢を見てた気がする」

「夢?」

「うん。…セラの夢」

「ああ…そう言えば、そんなこと言ってた気がする」

「うん。あたしも言った気がするよ」





そうだ。昔ホープにも話した。
だからそれは確かな事実だ。

セラの夢。
多分、セラの事はあたしの中で結構なトラウマなのかもしれない。

夢の中でセラは言うのだ。《大丈夫だよ》と。
でも時には違う。時には《後悔しかない》と嘆くのだ。

あくまでそれはあたしの夢。
でも正直、どちらも胸に刺さった。

笑っていても、嘆いていても…どちらにせよ後悔が積み重なるだけ。

進むと自分で決めたから後悔しないよとセラは言っていた。
だから彼女は前を見ろと笑うだろうと、それはわかる。

でも…守れなかったという事実にあたしは後悔を拭えない。





「あたしも…もっと一緒にいたかったし…、なによりスノウと一緒にいて欲しかったから」





そう零すと、目の前でカタンと言う音がした。

ホープが椅子を立ちあがった音だった。
あたしは首を傾げた。

席を離れたホープはこちらに近づいてくる。
そしてデスクに腰掛けているあたしの前に向き合うように立った。

しばし、見つめ合う。
程なくするとホープは膝の上に置いていたあたしの手に自分の手を重ねた。





「ホープ?」

「…拭いきれないんだね」

「……まあ」

「そう…。ねえ、ナマエ」

「え…」





名前を呼ばれ、ホープが少し背を伸ばした。
彼はそのまま目を細め、ゆっくりとその距離が縮めていく。

一瞬、固まった。

そして…。





「んっ…」

「………。」





ホープの小さな声が聞こえた。
同時に、手のひらに柔らかい感触。

あたしは、唇の間に手を差し込んで彼の口を押えていた。





「…ナマエ?」





また、名前を呼ばれた。
彼が体を離すのに合わせ、あたしもそっと手を下ろす。

そして、くすっと笑った。





「あははっ、なんかホープのその姿だと、物凄くイケナイことしてるみたい」

「…ああ。はは、確かに」





あたしが笑えば、自分の姿を振り返ったホープもまた笑った。

ホープは今14歳の姿だ。
あたしは、セラとノエルと旅したあの時とそう変わらない姿。

はた、と思い返せばちょっと変な構図だ。





「まあ、笑ってくれたならいいや」

「どしたの、急に?」

「ううん。いや…記憶をさ、辿ってみたんだ」

「記憶?」

「ナマエが笑ってくれた記憶」

「あたし?」





自分の顔を指差し尋ねる。
するとホープはそうだというようにコクンと頷いた。





「僕の記憶にあるナマエは、手を伸ばして触れるといつも穏やかに微笑んでくれた。ちょっと自惚れみたいだけど、その顔が幸せそうに見えてさ」

「ホープ…」

「だからまた、笑ってくれるかなって」

「……。」

「まあ、もしかしたら少し当てられたのもあるのかな、セラさんを想う…スノウの姿に」

「……そう」





目の前でそう言って笑うホープ。

幼い姿。
でもその仕草は確かに彼だ。

ああ…そうだね。
あたしは、君に触れられるとホッとした。
あたたかくて愛しくて、大好きだった。





《嬉しいんです》





過去の君の声が頭に蘇った。

目の前で緑色の瞳を穏やかに細めるホープ。
唇を離してそう微笑んだ君にあたしは首を傾げた。





《嬉しいって?》

《こうして貴女に触れられることが。昔から、頭のどこかは思ってたんです。年上だし、異世界のこともあって…こんな風に貴女に手が届くなんて思わなかったから》





へらりと締まりなく顔を綻ばすホープ。

それは自惚れだったのだろうか。
でもね、あたしも感じたのだ。その顔を幸せそうだと。





《ふふ、大袈裟だなあ》





だからあたしは、ちゃんと手の届く距離にいるとそう伝えるようにそう言いながら彼の胸に頭を寄せた。

ホープの隣にいられるのは、本当に嬉しかった。
あたしだって思ってたよ。自分がこんなにも傍にいたいと思える人が自分を信じてくれるって、きっと凄く幸せなことなんだと。

そう、幸せだった。

でも…。





「ねえ、ホープ…」

「うん?」

「…ただ、大切な人と一緒にいたい。ただ、それだけのことなのに…。たったそれだけなのに…なんでこんなに難しいんだろうね」





そんなことを口にしながら、頭でも心でも考える。

ホープが触れてくれるのは、確かに幸せだって思う。
あたかかくて、優しくて…。

本当、自分でも不思議。
だけど、それはなにより安心できるものだった。

あの旅の頃から…ずーっと。

でも、今あたしはそれを拒否した。





「……。」





拒んだ掌を見つめる。

…慣れない。
いや、きっと初めてだ。

でも今のは…今までと全然違った。

上手く説明しろって言われてもきっと出来ない。
だけど、違った。





《貴女はひとりじゃない。僕が貴女をひとりにしない。貴女の悩みは、僕も一緒に抱える。一緒に考える》





時を超えた旅に後悔して、潰れかけた日…そう言いながら頬を包み込んでくれたホープの手。

あの日と何が違う?
でも、全然違う…。

違うよ、ホープ。

触れることに意味があるんじゃない。





《僕が、自分からナマエさんの傍を離れることはありません。ナマエさんが望んでくれるなら》





ずっとずっと、ずーっと昔。
あたしが初めてディアボロスと出会った日。

ホープはで後ろから抱きしめてそう言ってくれた。

小さな体で精一杯。
一生懸命に想いを伝えてくれた。





《ちょっと待ってください。大丈夫なんですか?》





さっき、ネックレスを手に封印を解くと言ったライトの言葉にずっと煮え切らない顔をしていたホープ。

…スノウは言った。
もしもライトが偽物だったら、形見で扉を開こうなんて思いつかないだろうと。





「…っ」





どくり、心臓が嫌な音で波打つ。
あたしはそれを抑えるように息をのんだ。

…偽物?
いや、でも…記憶は確かにホープしか知りえないものだ。

だけど、ネックレスを見て封印を解く手がかりに感じられなかったホープに、あたしは確かに違和感を覚えたのだ。

そう…凄く嫌な違和感。
ううん、実際はそんなにかわいいものじゃないのかもしれない。

それは、その感覚はむしろ…。





「ライトさん、もうすぐ6時です。箱舟に戻る時間です」





席に戻り、モニターと見てライトに時間を知らせるホープ。
その横顔をあたしは見つめ、そして…自覚してしまう。

この時、あたしははじめてホープのことを怖いと思った。



To be continued

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