真っ赤なりんご
とてつもなくしんどい日があった。
女中として働き始めて間もない頃、人手不足だったり食材の仕入れなどでトラブルがあり、目が回るくらいに忙しい日。
他の女中達もピリピリしていて、新入りの私は頼まれた仕事もスムーズにこなせずてんてこ舞い。
叱られながらも必死に仕事していたけれど、手を滑らせて食器を割ってしまった。
あの頃はまだDV野郎と付き合ってた頃の名残で、大きな音が怖くて、手が震えて割れた食器を拾うのも一苦労だった。
「……名前ちゃん、片付けておくからあなたは少し外の空気を吸ってきなさいな」
「は、はい……すみません……」
忙しい時に仕事を増やしてしまった事も申し訳ないし、何のお役にも立てずに、あの頃の記憶がフラッシュバックしてただ辛くて、膝を抱えて顔が見えないように暫く蹲って泣いていた。一通り泣いてすっきりして顔を上げると、いつの間にか半分に折られた紙とりんご味の飴玉が側に置いてあった。
紙には『いつも美味しいごはんをありがとう』とちょっぴり下手くそな字で書いてあって、また少しだけ泣いた。
今でもその手紙と飴玉の包み紙は大事に置いてある。
心が挫けそうになった時に思い出せるように。
誰が手紙を置いてくれたのかずっと分からなかったけれど、日記を拾った時に筆跡で気づいてしまったのだ。
「まさか、山崎さんだったなんて」
そう呟いた瞬間に花火が上がる。
夜空に大輪の花が咲いてはパラパラと散っていく。
今私たちは花火大会に来ている。
山崎さんが顔を真っ赤にしながらも誘ってくれたのが嬉しかった。穴場と言われる公園の階段に、初々しいカップルのように人が一人座れる位のスペースを空けて並んで座る私たち。
周りにもカップルが何組か居るが、みんな肩を寄せあって座っている。
「へ? 名前さん何か言った?」
「……このりんご飴、美味しいなあって」
日記を拾っていなければ、今まで私が辛い時に陰ながら支えて貰っていたことに気づけないままだった。
あの日記のおかげで、あなたの事が今こんなにも愛おしい。
「すきです」
また花火が上がるのと同じタイミングで呟いた。
当然山崎さんの耳には届いていなくて。
「綺麗だね」
「そうですね」
まだ気持ちを伝えるには早いかな、なんてりんご飴を歯で砕きながら、近くに座り直した。
「ど、どうしたの」
「なんか、離れてると一人で花火見ているみたいで」
「ちちち近いよ。こんなところ副長や沖田さんに見られたら……」
目をキョロキョロと泳がしている山崎さんが可愛くて笑ってしまう。
今日は新調した桜色の浴衣に、髪もアレンジして、お化粧だっていつもより気合いを入れて来た。もっと私のことを見てほしい。
「私と居るの見られたら恥ずかしいですか? この浴衣、私には少し若すぎたかな……?」
なんて少し意地悪してみたり。
照れて挙動不審だった山崎さんが、今度は焦ったように声を荒らげる。
「今日の名前さんはいつにも増して可愛いよ!!」
思った以上に大きな声がその場に響き渡って、周りの人が振り返りくすくすと笑われる。
このりんご飴みたいに真っ赤になった山崎さんが愛おしくて、もっと色んな表情を見せて欲しくて、あの手この手でからかいたくなるんだ。私はなんて大人気ないんだろう。
「山崎さんも、いつにも増して可愛いですよ」
「もう、またからかってるでしょ」
その後も何発か花火は上がった。
途中、花火ではなく私の方をじっと見ていた山崎さん。振り返ると彼は恥ずかしそうにまた空を見上げて、今度は私がじっと見つめていると「そんなに見ないで」と手で顔を覆うのだ。可愛い人だな。
「今日は俺なんかと花火見てくれてありがとうね」
他愛のない話をしながら歩いて、屯所の近くまで帰って来ると彼は足を止めて申し訳なさそうにそう言った。
「……俺なんかって言い方しないでください。私、山崎さんに誘ってもらえてすっごく嬉しかったんですから」
本当?と彼は嬉しそうに口元を緩ませる。
帰る場所は同じなのに何でこんなに別れ惜しいのだろうか。思い切って山崎さんの手をそっと握ってみた。
「えーっと……名前さん?」
「少しだけ、いいですか」
「う、うん……酔ってる?」
「今日はひとくちも飲んでません」
山崎さんの手がじわじわと湿っていく。
「あの、そんな事されると勘違いしてしまうんだけど……」
「いいですよ」
「え……」
「私、山崎さんが思っている以上に山崎さんのことが好きですよ」
山崎さんの目が見る見るうちに丸くなっていって、横を通った車のライトが彼の瞳に反射して、私ははっと我に返る。今はきっと私の方が赤いし、手も湿っているのでは。
「ごめんなさい! おっ、おやすみなさい!」
急に恥ずかしくなった私は握っていた手を振り払い、ポカンとしている山崎さんを置いて走って屯所に逃げ帰った。
ドタバタと音を立てながら縁側を走っていると、土方さんにうるさいと怒鳴られるけれど、私今それどころじゃないんです! そう心の中で叫び、雑に部屋の戸を閉めた。
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