春中旬// 3、オセロ




狛枝凪には、友人がいない。
遙か昔には居たのかもしれないが、同年代の子供たちには傷つけられた、気味悪がられた記憶しかない。
狛枝凪には親族もいない。
遺産を得たり宝くじを当てたりするたびにどこかから湧いて出る自称親族はひっきりなしだったが、彼女はそれらをすべて排除した。
なので、情報収集もコミュニケーションらしいコミュニケーションもインターネットと紙の本がそのほとんどだった。
PC越しでは彼女の「才能」が発動することもごくまれであったし、感情ぬきに情報だけが手に入るインターネットはとても彼女にとって気安いものだった。
「超高校級の希望」「希望ヶ峰学園」について調べるのは入学前からの習慣だ。
なにをどう間違ってか彼女本人もその本科生となったので、今はあまりその調査に意味はない。内部に入ればネットの情報は推測に基づいたガセだらけであることに確信を持ったし、校舎の中を歩いていたほうがよほど発見が多い。それに校舎の間取りや壁の色を脳に刻みつけていくより、日向の声を聞いて、顔を見ているほうがずっと満たされる。
それでもこうして就寝前に専用ブラウザで収集しておいたログをひととおり閲覧してしまうのは、習慣でもあり、その日向が原因でもあった。
彼にはあまりにも隠し事が多すぎる。
「超高校級の普通」として選ばれた理由も、その生い立ちも、予備学科までもが全寮制を義務づけられた希望ヶ峰学園においてただ一人入寮していない理由も不明のまま。
巨大掲示板の膨大なログを探っても、彼の情報だけが見つからない。関係者ぶったガセ話すら出てこない。入学前の経歴がほとんどわからない。ミステリー小説で言うならば、犯行現場のあらゆるものから指紋がふき取られている、そんな、きれいすぎる不自然さ。なんらかの情報統制がされているのは確実だった。
狛枝凪には興信所をダース単位で雇って調査を実行する財力もあったが、それをしなかったのは、結局そこらの興信所程度では偽の調査結果をつかまされて帰ってくるだけなのが目に見えていたからだ。もし狛枝に警察内部へのコネクションがあり、そちら経由での調査が可能だったとしても、やはり同じ結果だっただろう。それが希望ヶ峰学園だ。
日向本人にももちろん問うたが、「守秘義務があるから」とすまなさそうな顔で頭を撫でられれば、それ以上は追求できなかった。下手に彼が口を滑らせたせいで彼がいなくなるようなことがあれば、それはどれほど悔やんでも悔やみきれない。
「日向クンは、超高校級の普通で、ミナサンのクラスメイトでちゅ。それだけじゃいけまちぇんか?」
担任はそう言っている。学園が隠し通すならばそれなりの理由もあるのだろう。
(でも、ボクは彼の正体を知りたい)
それが掲示板なんかに落ちているとは思わない。なのにこうして探してしまう。
才能について語るとき、日向がかすかに痛みを感じているのを知っている。閉じたはずの傷に爪で触れる痛み。
彼が言えないのならば、自分が偶然、幸運にもその傷の場所を知ってしまえば。そっと撫でてやることも痛みを分け合うこともできるんじゃないかと、消極的に願っている。彼の手が、狛枝凪を癒しているように。



「希望と絶望とは、つまり同じものなのです。人類にとって都合のよいものを希望、悪いものを絶望と呼んでいるにすぎません。だから希望ヶ峰学園で「超高校級の絶望」が存在するのは、いわば必然ともいえるわけです。この二つを完全に見分ける術なんてありませんからね。ええ、同じものですから。なぜそれを知っているかって?当然です、僕は才能に愛されていますからね。この程度のことは前提知識です。
それでですね、まあ、編入するんですよ。「超高校級の絶望」が。この希望ヶ峰学園に。
今までだって何度かあったことですからね、それだけなら僕も執行部に任せて放っておくところなんですが。
今度のは、ちょっと、大物でして。結局そいつは自害するんですけど、人類の文明を原始時代にまで突き落とします。文明が現代の水準に戻るまでの期間は、おおよそ千年。これは確定した未来です。この僕が予知したことですからね。どんな「希望」を用いたところで、あらゆる「希望」を全てぶつけたって止められない。
けれどただひとつ覆す策がある。それを授けに来ました。
人類が有する、唯一の対抗手段です。史上最悪の絶望である、「彼女」への」




江ノ島盾子はデコケースにより重さが二倍以上になったスマホをごてごてのデコネイルでいじりながら、鼻歌交じりに授業中の廊下を歩いていた。
高いツインテールにはクマの髪飾り、真っ黒なアイメイク、終里なみにはだけた、しかし終里よりもやわらかさを感じさせる胸元、頭の悪いくらいに短いスカート。読者モデルもつとめる彼女はお人形よりも整った容姿とスタイルを持ち合わせ、輝くようなオーラもまとっていた。
「今の時間は、男女別に体育かぁ…… うーん、どっちから見にいこっかな?」
にやにやと笑うその笑顔は、大人が見ればかすかな違和感を持つだけだっただろうが、子供が見れば泣き出しただろう。そこに潜む悪意のようななにかを察して。





希望ヶ峰学園、本科用武道場は戦火と震災を生き延びた堂々たる建造物である。白い漆喰に焦げ茶色の梁と板がコントラストを添え、青銅色の瓦まで乗っている。
そのへんのご近所の道場が裸足で逃げ出す面構えであり、重要文化財にも指定されているとかいないとか。
その武道場に、大きく小気味よい音が響いた。左右田が日向の大外刈りで畳に叩きつけられた音である。

「日向クンかっこいい〜〜!」
武道場の入り口に固まっていた女性陣のなかで、ハートマークをまき散らして喜んでいるのは狛枝だ。道場内の男子生徒は全員柔道着に裸足、外の女子生徒は運動靴にブルマである。
狛枝の歓声で彼女らに気づいた日向は、胴着の袖で額の汗を拭ってそちらにのんびり歩いていった。
武道場は初夏のような陽気と生徒の熱気で、窓という窓をすべてあけはなっているにも関わらずむっとしている。
「狛枝? と、みんなも。おまえらも授業中じゃないのか?」
「もう休憩時間だよ。で、日向クン見に来たの」
そしたらなんだかんだでみんな来ちゃった、と続ける彼女の周囲には、なるほど女子生徒がそろっており、つまり男女別の体育の授業のはずが結局全員集まっている。
デジタル一眼の液晶をチェックしている小泉に、狛枝はいそいそと話しかける。
「ね、ね、小泉さん。さっきの日向クンのかっこいいの、撮れた?」
「ん、いい感じに撮れてるよ。ごめん日向、つい撮っちゃった。あんまりきれいだったもんだから。イヤなら消すよ」
「きれ……? いや、小泉の被写体なら光栄だ」
「やったあ!日向クンの胸チラ写真ゲットだよ!」
「ちょっと狛枝さんやめてよ!あたしの写真はそういうんじゃないから!そういう、下心とかやらしいのとかは一切あたしの」
「パネルに引き延ばして机の前に貼るねっ」
「やめてよ!」
話し込むうちに、狛枝の背後でバトルアニメの効果音が繰り広げられた。終里と弐大がトレーニングだかバトルだかを開始したようだ。音の原因が知れると、クラスメイトたちはそのまま興味を失ってそれぞれの雑談に戻る。人類離れした異常な戦闘の光景も、もうすっかり日常である。破壊とけが人さえなければそれでいいし、そのあたりは級友たちも彼らを信用しているといえた。
「終里のやつ、女子に混ざってバレーとかよくできたな」
「みんなの練習のためにずっとボール出ししててくれたんだよ。ボクはじめてレシーブ打てたよ!」
あのねえ、手をこうして指をこうすると痛くないんだよ、と実演する狛枝に、日向は感心してみせている。たぶんそのくらい日向は知ってるだろうなあ、と小泉は西園寺にシャッターを切ってやりながら思った。
バトルアニメの効果音に混ざって、大きく畳を打つ音が響いた。そちらに目線をやれば、再び左右田が畳に叩きつけられていた。九頭竜が「見たかオラァ!」と得意げである。
「……ぼっちゃ…… 九頭竜が、一本背負いを……!?」
わなわなとふるえているのは辺古山だ。こちらも同じくきちんとブルマを着用し、しかしいつものように竹刀袋をたすき掛けにしている。
「九頭竜さんかっこいいですー!」
ソニアのほがらかな声援は完全に左右田への当てつけだ。その隣で田中が「九頭竜はわしが育てた」と言わんばかりの腕組みと首肯をしている。ソニアの前で投げられた左右田が今度はいいところを見せようと九頭竜に勝負を挑み、返り討ちにあったようだ。
「いい足裁きじゃ。九頭竜のやつ、根は素直なんじゃのう。教えたとおりの姿勢で覚えよった」
「……弐大が教えたのか?」
辺古山の声がかすかに震えている。
「応。まあ、日向がいなければああはいかんかったじゃろうがの」
「そう、なのか?」
そうなの?と狛枝も見上げると、日向は渋々といった様子で認めた。
組み手の稽古は身長順だ。
だから九頭竜は本来なら花村か左右田と組むところで、花村と九頭竜を組ませることには九頭竜以外の男子全員が反対した。そうして花村を弐大に押しつけ、いや、託し、残る候補は左右田だったのだが、彼は拒絶を隠そうとして隠しきれない態度に表した。つまりバレバレだった。
下手に関わって九頭竜組に恨みを買うようなことになったら怖い、面倒くさい、そういう考えが手に取るようだった。
言い合いになるかと思えば、九頭竜は慣れた様子で、舌打ち一つで武道場から去ろうと背をむけた。
辺古山は目を伏せる。
「家業が家業だ。もとよりクラスで浮いていただろうし、……あの体格だろう? 体育に、あまり楽しい記憶が無いんじゃないかな」
辺古山の推測はかなり正しいだろうと狛枝は察する。机に固定される授業と違い、実技科目は日頃の交友関係が反映される時間だ。プライドの高そうな彼は、おそらく不愉快な思いを何度となくしただろう。体育の授業は、ほとんど受けてこなかったのかもしれない。
「そこを呼び止めたのが日向じゃ」
さすが日向クン、と笑いかけた狛枝から日向は目をそらす。アンテナがそわそわしている。照れているらしい。
組み手の相手を買って出て、練習時間のほぼ全てを九頭竜に投げられる側へ費やした。そうして投げる間合いと感覚を習得した九頭竜は、ああして左右田を地へたたきつけることになったわけである。
「そうか。……そうか。 九頭竜、楽しそうだな」
左右田と九頭竜がごちゃごちゃともみ合っているのを見つめる辺古山には、どこか母性のようなものがある。狛枝には楽しそうとは別のものに見えたが、彼女がそう言うならそうなのかもしれない。
「ところで日向よ、お前さん、武道の心得があるようじゃのう」
唐突に話題を変えてきた弐大に、日向がかすかに身構えた気配がした。
「畳の上での振る舞い、素人の九頭竜への投げられかた、あの大外刈り。名のある道場で稽古を受けた経験があるな」
それは問いかけではあったが完全に確信したものだった。狛枝が見上げると、アンテナがゆらゆらと落ち着かなげに揺れている。空を見て、頭の中で答えを組み立てている。言ってもいいことといけないことを選んでいる顔だ。
「ん……まあ、そういう時期があった」
「ほう。実家には大会のトロフィーがひとつふたつ転がっていると見たが、どうだ」
「ああ、まあ、そこそこ」
肯定である。
(……へえ。日向クン、そうなんだ)
チャイムが鳴ったので、女子一同(と左右田)は別れを惜しみながらもバレーコートに戻っていった。
彼女たちは一人の女生徒とすれ違ったが、誰も彼女に注意を払わなかった。
派手なツインテールに大きなクマの髪飾り、さらけ出した胸の谷間、短いスカート、くまどりめいたアイメイクという自己主張のかたまりのような出で立ちの、江ノ島盾子に。だから江ノ島の「あーあ、ゼツボー的」というつぶやきも、誰も拾わなかった。
「仲良し学級ってやつ? 本科生はトモダチいない奴の寄せ集めだし、毎年そうなるもんだけど。それにしたって……ゼツボーすぎる」


「狛枝さぁん!」
狛枝は目をすがめてボールを注視する。それから教えられたとおりの手の形で、緩い放物線で打ち返した。なかなかうまくかえせた。
「罪木さんっ」
「ひゃぁああっ」
包帯だらけのクラスメイト、罪木が手をレシーブの形にそろえたままおろおろその場を回って、えい、とボールを跳ね上げる。
ほとんど真上といっていい角度で高く高くあがったボールの落下点にあたりをつけて狛枝が駆け寄る。落ちてくるそれを顔を上げて待っていたが、太陽を正視してしまった。
「っ、と、ごめ、」
なんとかボールは弾いて罪木の方角へレシーブしたつもりだったが、直前で目を逸らしたのでややあさっての方向へ飛んでしまったようだった。大きな胸を揺らしながら罪木はボールを追い、腕をボールと地面の間に滑り込ませようと飛び出した、が、あと一歩のところでボールはバウンドしてしまった。べしゃ、と罪木が倒れる。
「罪木ィ!」
腕を組み仁王立ちで見守っていた終里が駆け寄る。びくんと体をこわばらせ、罪木は両手で顔をかばう。がし、と終里はその両手首をつかんだ。
「ひぃ!?ご、ごめんなさいごめんなさいわたしのせいで」
「やるじゃねえか!今の調子だ、ボールにくらいついていけよ!」
「ふぇっ? え、え」
バレーボールの授業が始まったときは、ボールが自分の方向に緩い放物線を描いてやってくる、それどころか近くで誰かがパス練習をしているだけで縮こまって硬直していた罪木である。狛枝も二人に駆け寄った。
「うんうん、さっきの罪木さんかっこよかったよ。ていうかボクが変なパスしたからだよね、ごめんね」
「かかかかっこいいだなんて狛枝さんそんななにいってるんですかあぁああああ」
「狛枝も、だいぶ動けるようになってきたな!さっきので新記録だ、5往復!二人ともえらいぞー」
がし、と右腕で罪木を、左腕で狛枝を抱きしめて終里が男前に豪快に笑う。
球技慣れしていない罪木と狛枝に、黙々とボールを出す練習台になってくれた終里である。好敵手のいない体育の授業で彼女は早々と、世話役になると、いう立ち位置を直感で見いだしたらしかった。指導には語彙が足りなかったが、意外な気長さを見せて二人の練習につきあった。弟と妹がたくさんいると言っていたから、ちいさなこどもの面倒を見るお姉ちゃんモードだったのかもしれない。
「……ふ、うふふ。うふふふふ」
へなへなとした遠慮がちな笑い声が終里の胸の向こう側から聞こえる。胸ごしに罪木を見れば、彼女はぽろぽろと涙をこぼしていた。
「うお!?どうした罪木、どっか捻った?打ったか?どうした?」
やっぱりお姉ちゃんモードだったか、と密かに確信する狛枝である。罪木はばらばらの髪を左右に揺らした。
「た、たのしい……たのしい、な、って…… わたし、体育がこんなに楽しいなんて、知りませんでした、だから、うれしくて……へ、へんですよね、うれしいのに、なんで涙が出るんでしょう、ボールたくさんぶつけられたときは泣かなかったのに、ふ、ふえ、っふ、ふえええええ」
とうとうちいさなこどものように泣き出した罪木に、終里は困ったように頭を撫でている。
泣き笑いの罪木に狛枝も笑顔を返す。泣き虫の罪木なのに、なぜか九頭竜を思い出した。楽しそうだ、と言っていた辺古山も。
「終里さん、狛枝さん。ありがとうございますっ……」
(ボクも、日向クンみたいにできてるかな?)
少しくらいはできてるといいいな、と思った。
ふと視線を感じた狛枝がそちらを見れば、カメラを持った小泉が迷っていた。フォトグラファーとしては撮影したいのだろうが、友人としては撮影できない、そんなところだろうか。狛枝が眉を下げた笑顔で「撮らないであげて」という意思表示をすれば、小泉も安心したようにうなずいてカメラを提げた。
(ていうか小泉さんもさっきまでパス練習してたのに、あんな一眼レフどこから出してどこにしまったんだろう。それも超高校級の才能の一つなのかな)
日向もよく、どう考えてもポケットに入らないものを突然出してくる。趣味らしい趣味は無いと言っていた彼だが、購買部のあやしげなガチャガチャがお気に入りらしく日をおかず通い詰めている。とはいえ収集は目的ではないようで、当てたものはたいていクラスメイトに渡していた。
小泉は西園寺と澪田の練習風景をファインダーにおさめている。
(練習中に何度か感じた視線は、小泉さんのカメラ、だよ、ね?)
もちろんそれもあったが、それだけではないだろうという嫌な予感、不幸の前触れとして訪れた際にははずれたことのないそれを感じながら、狛枝は罪木の涙を拭いてやった。
よく泣く罪木だが、この涙はきれいな涙だ。
日向に伝えたい。どんな言葉なら伝わるのかわからないけれど、今のこの気持ちを、彼はきっとわかってくれる。




最後まで残って道場の畳の点検をしていた日向は、入り口に立つ少女の姿に「げ」と眉間に皺を寄せた。
「なあにぃその顔?ハジメちゃんひどーい」
「またなんか悪巧みでもしてるのか盾子。ていうかお前部外者だろうが、制服も希望ヶ峰じゃないってのにどうやって……ああいや、やっぱ説明しなくていい」
「どーせ来年ここの生徒になるもんアタシ。てか、部外者でいるつもりもないし?悪巧みとかシツレーしちゃーう、楽しいお祭りを指くわえて見てるだけってそりゃないっしょ。今日はちょっとした下見★」
「下見?」
「そ。死神センパイの」
「は? なんだそりゃ、そんな奴いたか?」
「うぷぷぷぷ。……おっと、そろそろ撤収しないとね。死神センパイがもうすぐここに来ちゃう。まだ顔会わせるには早いのよ、ドラマ性ってだいじっしょ?今日は予備学科ひやかしてかーえろっと」
「おい、本当に何しにきたんだよ」
「じゃあねーハジメちゃん」
ぎりぎりまで切り詰めているくせに決して中身の見えない鉄壁のスカートとツインテールをひるがえした彼女の背中を、彼は追わなかった。彼女につかまるつもりがなければなにをどうしたってつかまりはしないのだ。
(それより、死神センパイって何だ)
もうすぐ来る、と言っていた。
わずかに緊張しながら道場の入り口を見張るように凝視する。
やがて、ひょい、と白いふわふわがその戸口の陰から現れた。
「日向クンっ」
狛枝凪だ。
知らずつめていた息を、ふうっ、と大きく吐き出した。
(何が死神だよアイツ、おどかしやがって。昔っから大げさなんだよ、文明の存亡がどうとか世界の運命とか人類の意志とか。ギャルのくせに中ニ病か)
制服に着替えている狛枝は、入り口できちんと上履きを脱いでとことこと歩いてくる。
(こんなかわいい死神がいてたまるか)
腹の底では江ノ島への苛立ちを抱えながら、それでも狛枝が目の前にいれば、知らず頬がゆるんでしまう。再現なく甘やかしたくなるこの感覚が、どこから来るのかいつも不思議だ。小さな子供や生まれたての動物にむけるそれに一番近いと彼は思っているし、おそらく狛枝も男女のそれではない感覚で彼に身を寄せている。
クラスメイトらは理解できないと考えているようだったが、互いにわかっていればそれでいいだろうと日向は思っている。
「あの、あのね、日向クン」
きゅっと柔道着の二の腕のあたりをつかんで、銀緑の瞳が見上げてくる。
「体育ね、女子はバレーだったんだけど。みんなで円陣バレーやってね、たくさん続いたんだよ、ボクと罪木サンもいっしょに。チャイムが鳴らなければもっとできたよ。罪木サンもボクもバレーボールやるの初めてでね、それで、えっと」
そこで目を伏せた。長いまつげが揺れている。
「……すごく、楽しかったんだ。みんな。だから、ありがとう」
日向は優しく問いかける。
「俺が、なんかしたか? 楽しかったなら、いいけど」
「うん、えっとね、そうなんだけど、そうじゃなくて」
ああもうごめんね、ボクあたまわるくて。一秒でも早く伝えなきゃって走ってきたのに、ぜんぜんうまくいえないや。そう続ける狛枝のその続きを、日向は待った。
「日向クンに会えてよかった、てこと。あと、大好き!」
日向と狛枝のあいだに流れる感情は、男女のそれではない。
けれど、そのときに愛しさのあまりに骨がきしみかけるまで彼女を抱きしめた彼を、責められる者はおそらくどこにもいないだろう。
「俺も。狛枝に会えて、よかった」
「……えへ。えへへっ、うれしいな!ボク、希望ヶ峰学園に入ってほんとによかったよ!」



狛枝凪には、友人がいない。たぶん、いない。
今日も寮の女子たちとなんだかんだとお菓子を持ち寄って夜のお茶会に興じてしまったが、たぶんいない。
なので日課の巨大掲示板めぐりを今日も行っている。
(……もう別にいっかなー)
目新しい情報なんて結局ないのだ。こうしてブラウザをスクロールさせていても、今日の授業のことと日向のことばかり考えている。
今日は他に調べたいこともあるからもうやめよう、とウィンドウを閉じかけたところで、なにかひっかかる書き込みがあった。
オセロの定石について書かれた妙な長文は、その掲示板らしからぬ長文だ。ただの誤爆だろうと前後にレスがつくこともなくスルーされているが、狛枝の直感に訴えかけてくるものがある。
一行目から縦読みしてみたが、意味のある言葉には思えない。
(気のせい、かな?)
ウィンドウを閉じて、もうひとつ、気になっていたことを検索してみた。
小学生の柔道の、大会の記録だ。都大会と県大会のいくつかの記録を残したページをクリップすると、入賞者の顔写真入りのそれを頭から目視していった。
目当てのものはすぐに見つかった。
五年前の、とある大会の小学生の部、優勝者。
そこにあった顔は狛枝の予想通りであり、しかし予想とは違うものだった。
日向創をそのままミニチュアにした少年がそこに写っている。クラスメイトの誰が見ても小学生時代の日向だと断定するだろう。
だが、それは顔立ちだけだ。狛枝の好きな意志の強さがその瞳からは感じられない。それだけならば、写真撮影で緊張していたからともとれるだろう。だが。
(『日向 出流』……? 誰、これ。日向クンじゃない。ボクの知ってる日向クンじゃない)
足元が抜けたような感覚。床の裏側がからっぽで、少しでも間違えたら、そのまま落ちて行きそうな。
何と読むのか、考えた。そのまま読めばデルだが、たぶん違うな、と思い直す。
(……イズル?)
おそらく正解だろうと感じた。それから、妙にひっかかったオセロの書き込みを思い出す。
該当スレのウィンドウを開いてログをスクロールするが、確かにあったはずの書き込みが消えている。
「え…… え? なんで?さっき、確かに」
おそらくここだったと思えるレス番には、購買部のメニューについて書かれている。狛枝凪は急いで引き出しからメモ帳を取り出して、記憶のままに書き込みの内容を鉛筆で書き出した。一字一句正確に書き出せる程度の記憶力は持っていた。それから、再び一行目から縦読みにしていく。
四行目をなぞって、ぞっとした。
その、オセロの定石についての書き込みの、4行目。一瞬だけ書き込まれて、もう消えた書き込みのその四行目を縦読みすると、こんな文章になった。
「ハジメはイズル」。
青ざめた狛枝は、とっさにメモ帳をむしりとるようにして、ぐしゃぐしゃに丸めた。どくどくと鼓動が肋骨の内側を、耳の奥を叩いている。部屋の温度が急激に下がったような気がした。
「な……に、これ。なにこれ、なにこれ?え?なに?なにそれ?」
両手でぎゅっとメモ帳の残骸を、堅く握りしめた。けれどそれは消えてなくなりはしなかったので、ゴミ箱へ投げつけた。
(……ボクは、何も見てない。何も見なかった)
知れば彼はいなくなるかもしれないと考えたことはあった。それが、まるで予想していない方向から、現実感のある重みでやってきた。
ベッドに潜り込み、このまま意識を失ってしまいたいと考えた。そうして何も考えずに朝がくれば、また日向に会えるのだ。


オセロ/おわり。 



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2013/03/03



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