世の中は自分が思っている以上に狭いものだ。
今日ほどそれをつくづく感じたことはない。
別に彼はわたしにとって何というわけではないし、彼自身も特に気にしていないだろうと思う。だけど、大学という大きな大きなコミュニティと、立海大から程近いカフェという小さなコミュニティ、そのどちらにも属してしまうというのは、確率で言えば決して高くないはずだ。
しかもよりによって彼は、わたしの一番仲の良い友達の彼氏、いや元彼、だ。

「お前あれだよな、藤堂の友達」
「どうも、みょうじです」
「髪纏めてるから最初気づかなかったぜ」

それにしても偶然だな、と続ける丸井くんにそうですね、なんてぎこちなく笑う。
ああ、丸井くんが働いていると知っていればここに応募することも無かったのに。距離的にも時給的にも好条件だったからよく調べもせず決めてしまった。

「俺、キッチンだから。シクヨロ」
「まあその髪色じゃホールは無理だよね」

何故わたしが今こんなにも複雑な気持ちでいるかというと、それは例の友達がいまだ彼に未練タラタラだからだ。付き合って3ヶ月目に入ったところで突然フラれてしまったのだから、まあそうなってもおかしくはないかもしれない。
見るからに傷心中の彼女とは対照的に、丸井くんのこのケロリとした顔。所詮フった側なんてそんなもんだろう。
丸井くんみたいに引っ張りだこなイケメンなら尚更。

「ときにみょうじ」
「なんでしょうか」
「お前、ケーキは好きか?」
「好きじゃなかったらこんなとこでバイトしないよ」
「だよな。じゃあさ、これ食って感想くれねえ?」

そう言って丸井くんが唐突にガラスケースから出してきたのは、白桃と黄桃のタルト。桃が薔薇の花みたいに配置してあって見目麗しい。
とても素人が作ったとは思えない出来だ。桃がゼラチンで覆われている点が更にプロ感出ている。

「すご…これ丸井くんがひとりで?」
「おう。すげーだろ。ほれ、食ってみろぃ」

丸井くんにフォークを渡され、それを受け取ったわたしはもう一度タルトをまじまじと見た。食べるのがもったいないなと思いながらもフォークを突き立て、土台であるきつね色のタルトを分断する。二種類の桃を一度に味わうべく大口を開けて無理に押し込んだら、お前ひとくちがでけーな、なんて丸井くんはケラケラと笑った。

「うま!えっ、うま!!」
「だろぃ?天才的?」
「天才的!!」
「いーねお前、わかる奴じゃん」

そう言って丸井くんは、すごく嬉しそうに笑った。
もうひとくち、と手を伸ばそうとしたところで、カラランという音とともにお客さんの足音がした。ちゃんと仕事しないとバイト初日から怒られてしまう。残念がりながらもフォークを置くと丸井くんは、後でまた食わせてやるからと笑った。
ホールに戻らねば、と厨房を離れようとするわたしの腕を丸井くんがぎゅっと掴む。何事かと振り返ると、丸井くんは呆れた顔で自分の口元を指差した。そのジェスチャーでタルトのクッキーが付いているのだと気がついて、ちょっとだけ恥ずかしくなる。

「ありがとう、教えてくれて」
「いーえ」

普段やんちゃな感じなのに、時々こんなことをスマートにやってのけちゃうから丸井くんはモテるのだ。いわゆるギャップというやつ。
彼と同じ学部学科の女の子たちは毎日彼の話をしているし、丸井くん自身の周りにもいつも色んな女の子がいて、彼はいわゆる別世界の人間というやつである。こんな形で関わるなどつゆほども思っていなかった。

バイト終わり、丸井くんに連絡先を聞かれた。すぐ聞いちゃうんだな、流石だなと感じつつも、それが彼なのであって、むしろわたし如きが聞いてもらってるんだから感謝しないといけないとさえ思えてくる。

お互いいつもクローズまでいるので、閉め作業をしながら話をすることが多くなった。夜遅いからという理由で毎度家の近くまで送ってくれる丸井くんには本当に脱帽である。悪いから良いよと遠慮しても、「お前んちの近くにあのコンビニあんじゃん?俺はそこのパフェが食いてえの」とか何とか言いながら結局送ってくれるのだ。そりゃモテるはずだ。

わたしがバイトを始めて一ヶ月経ったある日、丸井くんがバイトに三十分ほど遅れてきた。

「やっべ、もうこんな時間経ってるし!」
「あ、おはよう丸井くん。遅かったね」
「おー、友達に捕まっててよ。店長は?」
「ちょっと前に奥に行った。たぶん仕入れの関係で業者さんに電話してるんじゃないかな」
「そっか」

何を気にしているのか、丸井くんはいつもよりそわそわした様子でたまに厨房からホールを覗き込む。何かあるのかと尋ねても、何にもねえよの一点張りだ。
丸井くんがキッチンに入って一時間ほどした頃、お店のドアの鐘が鳴った。お客さんが来店した合図だ。この時間に若い男性が三人とは珍しいと思いつつ、窓際の席に案内する。

「ご注文がお決まりの頃またお伺いします」
「ハーイ!」

お客さんのうちの一人、天パの釣り目の子が元気よく答えてくれる。きっと大学生くらいだろうに可愛いな、と自然と顔が綻んだ。

「あーちょおオネーサン待って」

天パの人の前に座っている銀髪の色気ダダ漏れのお兄さんがわたしを呼び止める。注文の追加だろうかとメモを取り出すと、彼はわたしに視線を合わせたのち厨房の方に視線をやった。

「この店に赤いのがおると思うんじゃけど」
「丸井くんのことですか?」
「おー。今日おるじゃろ?」
「はい、いますよ。お呼びしますか?」
「あー良か。面白いしこっから見てる」

見てると言っても、ここから厨房の中までは見えないし、さっきもう一人のキッチンのバイトが休憩に行ったばかりで丸井くんは厨房から離れられない。せっかくお友達が来たのに可哀想だ。せめて丸井くんに伝えてあげよう。

「丸井くん、友達来てるよ」
「あいつらマジで来やがった…!」

キッチンに入ると、つい先ほどまで作業していたはずの丸井くんが厨房の冷蔵庫の陰に隠れるようにしている。

「ちょっと落ち着いたら行ってあげなよ」
「いやいい、あいつら面白がってるだけだから」
「そう?まあ確かに友達がバイトしてるとこ見るのは楽しいよね。気持ちわかるかも」
「うん…まあそういうことにしとくぜ」

冷やかされるのが苦手なんだろうか。そんなの慣れてそうなのに、ちょっと意外だ。
一番奥に座っていた一組のお客さんが席を立ったのが見え、わたしは急いでレジへ向かう。この時間はホールが一人だけなので、レジ打ちもわたしがやらねばならない。
これで残るは丸井くんの友達三人だけとなった。会計を済ませ客を見送り、ホールに戻ってくると、スキンヘッドの男の子がわたしを呼び止めた。

「すまねぇが、お冷やをもらえるか」
「あっはい、ただ今お持ちします」
「ていうかオネーサン、立海大の人っスか?」

天パの子が間髪入れず質問してくるので、お冷やの入ったピッチャーを持ってくるタイミングを完全に失ってしまった。どうしよう。

「はい。二年です」
「へー!丸井先輩と同い年なんだ。まあ先輩から聞いてましたけど」
「学部は?」
「法学部です」
「ほお、まあブン太から聞いとったけど」
「丸井先輩、いっつもみょうじサンの話してるんスよー!」
「そうなんですか。あっ、お冷やお冷や」

お冷やのピッチャーを用意しながら彼らと会話をする。他にお客さんがいないから出来ることだ。
グラスに注ぐ時に見えた厨房に潜む丸井くんの顔は明らかにイライラしていた。

「あはは、シフト被ることが多いし最近お互い結構入ってるからですかね。どうぞ、お冷やです」
「すまねぇ」
「いやそうじゃないっしょ!みょうじサンって結構鈍いんスね?」
「幸村とかが好きそうなタイプじゃ」
「あーわかる!てか丸井先輩の歴代の系統とは違うっスよね」
「お前らそこらへんにしとけよ、後でブン太に殺されるぞ」

三人(と言っても主に二人)がお互いに好き勝手喋るので、こちらも混乱してきた。とにかく丸井くんが凄い形相で手招きしているので厨房へ向かう。

「あ、ケーキできた?早いね」
「史上最速だっつーんだよ、それよかお前ちょっとここらへんで休憩してて」
「へ、どうして?わたししかホールいないじゃん」
「いや俺が両方やる、今あいつらしか居ねえし」

両方やるって、そんなに何やかんや言われるのが嫌なのだろうかと首を傾げる。とはいえ彼にそこまで任せるわけにはいかない。

「いいよ、わたしやるよ。お給料もらってるし。お友達の話も特に鵜呑みにするつもりないし心配しないで」
「お前ちっとも気にしてないのな…」
「うん、大丈夫だからホールは任せて」

げんなりしている背中を押そうとしたら、丸井くんにぎゅっと腕を掴まれた。今日の丸井くんはイライラしたり憔悴したり焦ったり、とにかく忙しい。

「あのさ、ちょっとは気にしてほしいんだけど!」
「え?」
「だから、俺のこと」

それは、やっぱりそういうことなんだろうか。丸井くんの手は意外と大きくて、わたしの二の腕をがっちりとホールドしている。
そんな風に言われても、彼は引く手数多な恋多き男の子である上に、友達の元彼なのだ。素直に首を縦に振ることはとてもじゃないが出来ない。

「えっとつまり、俺のこと少しは意識してほしいっつーか…あー、だから」
「ご、ごめん丸井くん、わたしそろそろホール行かなきゃ」
「え、あ、ああ。悪い」

鐘の音が聞こえないからお客さんが来店したわけではないし、あの三人組に呼ばれたわけでもない。丸井くんは変に思っただろうか。
お冷やの新しいピッチャーを作って、再びあの窓際のテーブルへと急ぐ。

「あの、お水です!」
「え?さっき注いでもらったぞ」
「そうでした!失礼しました!」

スキンヘッドの人がすっごく不審そうな目でわたしを見ている。天パの子もぽかんとしていて、ちょっと恥ずかしい。けど丸井くんに変に思われないためにはこれしかないのだ。

「のう、お前さん」
「はい、何でしょう」
「ブン太と仲良くしてやってほしいナリ、よろしく」

銀髪の人が整った顔を向けて言う。思い出した、この人は確か、工学部の仁王くんじゃなかっただろうか。彼も女の子から人気がある人だ。類は友を呼ぶとはこういうことか。

結局わたしは三人が帰るまで、ホールで作業をしていた。幸い今日のシフトは18時までで、丸井くんは最後までいるはずだ。
こんなにも帰りの時間を気にしたことは今までない。
そう一人思いながら、規則的に動く時計の針を凝視していた。


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