「むっちゃええやん!!」

フロアに、白石さんの大きい声が響く。
数人がこちらを振り向いた気がする。

時刻は夜の21時すぎ。フロアに残っている社員はまばらだ。それもそのはず、今日は金曜だから。
こうやってわざわざ、人が少ない日を選んで残業しているというのに。

「あのー白石さん、打ち合わせから直帰じゃなかったでしたっけ」
「少しも来週に持ち越したくない性分やねん。さっきデザイナーから連絡来たから戻ってきた」

私と白石さんは、出版社のライフスタイル誌編集部員だ。
月1ペースで雑誌を、さらに不定期で書籍を発刊している弊誌は、プロパーの編集部員が6人しかおらず、若手は私と2つ上の白石さんのみである。

来月発刊予定の担当書籍に巻く帯のラフを数枚机に並べて悩んでいたら、背後から白石さんに冒頭のように声をかけられたのだ。

「すまん、驚かせてもうた?帯のデザイン、めっちゃ良くなってて興奮してしもて」
「びっくりしましたよお!今月イチびっくりしたかも」
「いやいや今月イチは、昨日の会議で副編集長が、『明日から1週間、俺休むからー』言うたことやん」
「いやーもうほんとですよね!1週間有休とかもっと早く言ってほしかった!!校了どうすんだよって感じですし!」
「せやんなあ、せめて他の校了者立てて話つけといてくれな」
「それも含めてお前らで頼むな!ってことですよね?ハァーーふざけんなよな」
「みょうじさん、疲れすぎて口悪なってんで」

白石さんが自分のデスクに座って苦笑する。白石さんから振ってきたくせに。

「白石さんが普段言わないから、代わりに私が言ってるんですよ、悪口」
「そら、教育係が後輩の前で悪口言えんやろ」
「そんなの、入社するときの規則に書いてなかったです」

屁理屈や、と白石さんが笑う。

デザイナーにデザインの決定と進行予定を送り、デスクで伸びをする。
白石さんは、PCのモニターに視線を落としたまま私に話しかける。

「そういえばみょうじさん、こないだのPR記事に載せる商品もう撮影したんやっけ?物撮りやけど結構デカいやつやったし、まだやったらそろそろスタジオ抑えなあかん。大きいスタジオは埋まるん早いで」
「わっ、そうでした!!まだ空きあるかな…」
「今見たら空いてそうやったから、来週月曜で予約しとくわ」
「えっすみません!ありがとうございます…」
「なんも」

こうやっていつも白石さんは、私が忘れてそうなことを先回りしてやってくれる。
自分も仕事めちゃくちゃ抱えているくせに、ほんと何者なの?

「よっしゃ、もう仕事だいたい終わりやろ?メシ食うた?」
「食べてません!私中華食べたいです、豆板醤とかそういうの」
「ええな、ちょっと距離あるけど、新宿に薬膳のうまい店あんねん。そことかどうや?」
「えーいいですね薬膳!さすがは健康オタク」
「キノコもどっさり出てくるし、お腹にも優しいで」

正直今は、お腹に優しい系よりジャンクな感じのが食べたかったけど。私は帰る支度をしながら頷く。

白石さんと中華食べられるなら、どこでもいい。




会社を出てタクシーに乗り込み、新宿御苑付近で降りる。
白石さんが電話してくれておいたおかげで、スムーズに入店できた。別に後輩とちょっとご飯行くくらい適当でいいのに、ほんと律儀だ。


「この赤いやつ、クコの実?好きなんですよねー」
「おっええやん。クコの実は冷え性にええでぇ」
「へー、かき集めて食べちゃお。まあ私冷え性じゃないですけど」
「クコポイント貯めとき、10年後効いてきそうやん」
「あは、ポイント制じゃないと思います」

料理の話や仕事の話、当たり障りなく会話を続け、気がついたら2時間が経っていた。

「みょうじさん、最近仕事詰め詰めやない?しんどかったりせえへんか?」
「そんなことないですよ!白石さんこそ、書籍の刊行予定表見ましたけど働きすぎじゃないですかぁ?」
「そうか?もうあの量がデフォルトやし慣れてもうたわ」
「社畜なのにいつも爽やかだから錯覚します」
「いやいや、みょうじさんこそやで?まだ3年目なのにシュッとした感じで仕事こなすから、たまに心配するん忘れてまうわ」
「えー」

今日のこれも先輩としての業務のうちなんだろうか。後輩の働き方を把握しておく、という。


しっかりデザートの自家製杏仁豆腐まで食べ、お会計をして店を出た。
厚手のコートを着てはいるが、吹きつける夜風はかなり冷たい。

「さむー!」
「せやな。みょうじさんどうする?まだ電車あるけど寒いし、タクシーでもええんとちゃう」
「そうですねー、さっき中国茶しか飲んでないので、ちょっとお酒飲みたい気はしますけど」

白石さんがご飯中にあまりお酒を飲まないので、私も引っ張られて東方美人茶ばかり飲んでいた。一度頼むとお湯さえ追加すればずっと飲んでいられるから、結局切り替えどころがわからなくてずっとお茶飲んでる人になっちゃうんだよね。

コートの襟元を押さえながらそう言うと、白石さんは「あー」と視線を宙に浮かべる。

「ほな、近くに知り合いがやってるバーあんねん。そこでちょっと1杯飲もか」
「何でも知ってますねぇ、白石さん」
「いや、たまたまやで」

ゲイバーなんやけどな。かまへんか?
そう尋ねられ、私は頷く。珍しい、白石さんのことだからどうせ、アカンでぇあんま遅なってもよくないし帰ろ、とか言うと思ったのに。秋口くらいに、こんな感じの流れでご飯を食べに行ったときは、そう言って解散になった気がする。




雑居ビルの狭いエレベーターに乗り込み、7階で降りる。
防音の重たい扉を開くと、煌びやかなカウンター。

「いらっしゃー…あらっ、蔵リンやないのぉ!久しぶりやねぇ!」

メガネをかけた店員さんが嬉しそうに声を弾ませる。奥にいたバンダナの店員さんも、「おー白石やん!」と嬉しそうにしていた。

「何ぃ、女の子連れてきたの初めてやない?」
「おー、たまにはええやろ?会社の後輩のみょうじさんやで」
「こんばんは!白石さんにはいつもお世話になってます!」
「お、噂のみょうじさんやん…ってイテ!小春ぅ何すんねん」
「ユウくんが野暮なこと言うからぁ」

メガネの、小春さん?につねられ、ユウくんと呼ばれたバンダナの人がしおしおとグラスを拭きに戻っていく。

白石さん、一体私の何話したんだろう。配属早々ミスしたことか、それともこないだのうっかりか……だめだ、心当たりがありすぎる。やめよう。

何飲む?と小春さんに聞かれ、「んー」と酒瓶が並ぶ棚に視線を移す。

「白石さんのキープボトルとか、ありますか?」
「あるわよぉ!グランブルーでよければ♪」
「やったー!じゃあそれもらってもいいですか?ウーロン茶割りで」
「……ごっつい後輩やで」
「白石さんなら許してくれるかなぁと!」

胡散臭い笑顔を向けると、白石さんは「まぁ全然ええけどな」と少しだけ眉を下げて笑った。

あー、好き。
その仕方ないなぁっていう顔。好きすぎる。

「白石さんってー、ほんと優しいですよね」
「そうか?」
「やー、きっと何万回も言われてるとは思うんですけど。やっぱり、直属の後輩って気遣うものですか?」
「別にそういうわけやないで。単純に、来てくれてめちゃくちゃ嬉しいと思っとるしな。長らく若手は俺一人やったし、心強いわ」

当たり障りのない、しっかり線引きがされた返答。
それはよかったです、と笑っておく。

まあ、たしかにうちの局は全体的に、あまり新人が配属されないところではある。
白石さんが、今年は珍しく隣の部署に新入社員入ったな、とグラスを傾けながらつぶやいた。

「そうですね、たしか早稲田の子ですよね」
「そう。なんか大阪出身って言うとった」
「へー」

白石さん、私あの子あんまり好きじゃないです。
だって白石さんのこと狙って私を遠ざけようとしてるのが丸わかりだから。

白石さんは、私たちごときが狙うとか狙わないとか、そういう人じゃないんです。
会社はあくまでも仕事をする場所であって、調和を好む白石さんにとってそれがとんでもなく野暮なことだということくらい、理解しているつもりです。

白石さんには、すこやかに仕事をしてもらえたらあとは何でもいいんです。そりゃあ私も人間なので、ほんとは一人でカウンターで中華食べるほうが気楽で好きなのに、こうやってたまに誘ってもらえたら喜んでついていくんですけど。

「小春さん、もう一杯ください。ジャス割りで!」
「やだぁ、蔵リンより早いやないのぉ」
「なんやみょうじさん、酒飲みたかったん?一軒目で頼んだら…あーすまん、もしかして俺に合わせてくれたん?好きに飲んでええねんで」
「東方美人があるとつい頼んじゃうんですよね。美人になりたいんで」
「みょうじさんはもう充分美人やん」

うわっ!

「白石さん。はい、飲んでください」
「末恐ろしいわぁ…蔵リン」

小春さんが私のジャス割を作りながら意地悪い笑みを浮かべる。

「そういうのよくないです、はいどうぞ、蔵リン先輩!」
「ちょっ、みょうじさんに呼ばれんの何かすごい嫌やわ…」

そのあとは、小春さんとユウジさんと白石さんは同じ中高だったとか、部活まで同じでしかも全国大会まで行ったことがあるとか、キープボトルの残りをすべて空けるまでそんな他愛もない話をしていた。

「みょうじさんは何部やったん?」
「私もテニスしてました。ちょっとだけですけど」
「そうなん?ほな今度一緒にテニスしようや」
「ええー!全国大会行ってた人たちとテニスはちょっと…」
「ええやん、見てみたいわ。みょうじさんがボール追いかけてちょこちょこ走ってる姿」

やー、完全に妹じゃん。

笑うしかない私は、一気に手元のジャスミン割を飲み干した。


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