次のボトルを開けたところで、白石さんがお手洗いに立った。

扉が閉まったのを確認した小春さんは、声を落として私に話しかける。

「今日二人が来てくれて良かったわぁ。蔵リンの様子気になったっとったんよ」
「様子?何かあったんですか?」
「蔵リンね、前来てくれたとき珍しく思い詰めとったんよ。たぶん仕事が原因やと思うんやけど」
「……それって2ヶ月くらい前、ですかね?」
「そういえばそのくらいやったかなぁ。みょうじちゃんが心配や言うてたで。俺のせいでもっと追い詰めたかも、って」

それを聞いて、私は先刻注がれたばかりのジャスミン割を一気に飲み干した。
氷がカラッと音を立てる。
次の瞬間には目から涙が溢れるのを見て、小春さんが慌てて私におしぼりを渡す。

「ただいまー…って、え?!な、ど、どうしたん?!」

お手洗いから戻ってきた白石さんが、席に座るなりわたわたと焦りだす。
そりゃあそうだ、さっきまであっけらかんとしていた後輩が、3分後にはこんなことになっているんだから。

「白石さんんん…」
「なに、どないした!?ユウジに嫌なことでも言われたん!?」
「おい白石、なんで俺限定やねん!」

2ヶ月前といえば、ちょうど私が仕事で大きなミスをしてしまった時期だった。

新卒配属1年目は、わけもわからずひたすらしがみつくだけの一年間だった。2年目はてんでうまくいかなくて、怒られることも増えてきて、それでもなんとかやりきっていた。
3年目になって半年、一度取材先相手に大きなミスをしてしまい、私って向いていないのかもしれない、と思った。編集部も皆忙しく、フォローする余裕がないのはわかっていた。
全部自分でリカバリーしなきゃいけないんだろうか?でも、どうやって?一度ミスした相手に。

そんなときに、白石さんだけが助けてくれた。

先方に平謝りしながら、編集長に怒ってくれた。「ここで忙しい言うて知らんぷりするんやったら、管理職としてアカンのとちゃいますか」と。

白石さんに助けてもらって嬉しかった。
だけど、後輩なのに何言ってんだって感じだけど、そんなみっともないところを白石さんに見られたくなかった。恥ずかしかった。
それに、編集長はそれ以来明らかに白石さんに対する対応が冷たい。私に対しては変わらないというのがまたムカつく。白石さんには図星を指されたからって気持ち悪い。

自分の問題に、白石さんを巻き込んでしまった。一番嫌な思いをしてほしくない人に、損な役回りをさせてしまったのが、やっぱりどうしても許せない。

大人ってなんなんだろう。
みんなこんな思いをして社会人やってるのだろうか。

「もしかして…この間のことか?」
「蔵リン、私余計なこと言ってもうたみたいで…」

ごめんなさい、はもう散々言ったのだ。
「みょうじさんは悪くない」とまた白石さんに言わせてしまうだけ。だから私はアホみたいに泣くしかない。

オロオロする小春さんとユウジさんをよそに、白石さんが少しだけ私に近づく。

宥めるような声で、私に囁いた。

「泣かんといてや。みょうじさんが泣くことないんやで」
「……はい」
「つっても、みょうじさんは泣くよなぁ…。責任感強すぎやっちゅーねん」
「……お酒の、せいです」
「はは」

白石さんが、私の頬を伝う涙をおしぼりで拭く。

「じゃあ俺も酔うとるし…一つ白状してもええかな」
「はい?」
「みょうじさんは真面目で器用で、なんも言わずにしれっと大量に仕事こなすタイプやろ」
「…そうです、かね」
「そやで。ずっと、すごいなあと思う反面、寂しいとも思っとった。だからみょうじさんがあれをきっかけに俺になついてくれて…その、ちょっと嬉しいなと思うとるんやで?」

顔を上げると、少し頬が紅潮した白石さんと目が合った。顔が近い。
泣いて腫れた目なんて見られたくない。二重が無くなってるかもしれないし、マスカラが落ちてるかもしれないし。
でも吸い込まれる。やっぱり、私は…。

「あの」「あんな」

白石さんと私の声が重なった。
お互い固まっていると、ユウジさんがカウンターから出てきて伝票を白石さんの目の前に置く。

「ほれ、ツケといたるから早う出てけや」

えっ、と白石さんがユウジさんを見る。
小春さんもカウンターから出てきて、私たちはあっという間に店から出されてしまった。


「…ユウジは気ぃ利くのか利かないのかわからへんな」
「…ですね」
「あー、どないしよか」

雑居ビルを出てすぐ、立ち止まってスマホの画面を確認する白石さん。

ああ、帰っちゃう。

明るく光る白石さんのスマホ画面を咄嗟に手で覆うと、白石さんはこちらに視線を移した。

「帰っちゃいますか?」

うわ、もっとうまい言い方あったよね。
狙うとか狙わないとかじゃないなんて言っておいて、結局私って頭悪い。

でももうさ、当たって砕けろしかないんだよ。その先は望まないから。白石さんの好きなようにしていいから。

白石さんの顔が見れず、大通りのほうへ行こうと一歩踏み出すと、腕を掴まれた。

「タクシー、乗ろか」






アホなんでしょうか、私は。

「はい、コート貸してや。このへんにかけとくから」
「あ、ありがとうございます…」

四谷三丁目の交差点から少し入った場所に佇む、白い外壁の綺麗なマンション。
白石さんの部屋は、想像通り整頓されていて要らないものなど一切ない、1K10畳のシンプルイズベストな部屋だった。


白石さんは私をベッドに座らせて、床に跪く。

「みょうじさん」

私の手を取り、目を合わせてくる白石さんはちょっと酔っ払っていつもより目が潤んでいてカッコいい。
王子様か何か?

「みょうじさん、俺と付き合うてくれませんか?」
「……えっ」

予想だにしない言葉に、思考が停止する。

俺と付き合ってくれませんかって、言った?いまこの人…。

「え、白石さんって私のこと好き、なんですか?」
「えっ?気づいてなかったん?」

気づいてないもなにも。

「えと、てっきり一夜の思い出をくれるってことなのかと思いました」
「はっ?お、俺ってそんなふうに見えるん?」
「なんか、次の瞬間にはもうここに来てたので…」
「あー…」

私の手を握ったまま頭を垂れた白石さんは、聞いたことのない声を漏らす。

「えーと、すまん。先走りました。可愛いなと思ったらつい、連れて帰ってきてしもた」
「えーっと…?え?夢……?」
「ここでボケんでええねんで」

眉を下げたまま、白石さんが笑う。

「俺、結構一人の時間が好きなタイプやねん。好きじゃない女の子をわざわざ自分から飯に誘ったりせえへんで」
「…だって、私のこと完全に後輩扱いって感じで」
「それは…会社の先輩やしあんまりグイグイいくとキモいかなー思て、出さないようにしててんけど。みょうじさんこそ、脈なしなんかなーと思うたで。早稲田の子の話してみても知らん顔で」
「…私も、白石さんそういうの嫌かなと思って平静を装ってたので」
「はは、おんなじやな」

白石さんが隣に座った。
唇が近づいてきて、触れるだけのキスをした。

「……私お酒くさい、ですよ」
「そんなん俺もや」
「あとあの、えっと、シャワー浴びたい、です」
「後でな?」

着ていたニットとインナーはあっという間に脱がされてしまって、回された白石さんの手が下着のホックを外す。
圧迫から解き放たれ揺れる胸を掴まれて、手の冷たさに体が揺れた。

「…手、冷たかった?すまん」

首を横に振ると、白石さんが微かに笑った。
緊張してガチガチになっている私が面白いのかもしれない。
白石さんの指に乳首を捏ねられ、キスをされて、それだけで体が熱くなるのがわかった。

白石さんの左手が背中を這うたびに体を震わせていたら、可愛い、と白石さんがまた耳元で囁いた。

「そういえば、さっきの告白の答え聞いてへんな」
「…もうわかってる、じゃないですか」
「ちゃんと聞きたいんや。男心やん」

下着脱がせながらそんなこと言う!?

「好きです…白石さんのこと」
「おおきに。ちゃんと俺の目見てや」
「……ムカつく」

悪態をつく私に、白石さんが目を細めて笑った。

「あっついな、首」

首筋にキスを落とした白石さんが耳元で囁く。

「みょうじさん、好きや」



白石さんの前戯はものすごく丁寧だった。

もう体中から水分が抜け切ったんじゃないかと思った頃、ようやく挿入された私はもう息も絶え絶えだ。

「白石…さ、もう、だめ…」
「もうちょっと我慢してや。ここからやで」
「あああ……っ」

何これ、とろけて死んじゃいそう。
挿れられただけでまたイキそうになった私を見下ろして、白石さんが意地悪く笑う。

あ、この人結構Sだ。

「……気持ち良くてしゃーないって顔で泣いてるみょうじさんもええなぁ」

……そんでド変態なんだ。

私、とんでもない人好きになっちゃったのかも。
そう思った頃にはもう遅くて、私は白石さんによって何度も意識を飛ばすほどに弄ばれていた。





「お疲れー。休み中任せてすまんなー、ハイこれお土産」

1週間後の金曜日。
休み明けの副編集長が、お土産のパイナップルケーキを各々の机に置いていく。

これ定番だけどめっちゃ甘くてあんまり好きじゃないやつだ。

「あれ白石ぃ、お前なんか良いことでもあった?」
「お、そう見えますかぁ?」
「いやー前から男前だけどさぁ、なんか五割り増しじゃねえか?なぁ、みょうじ」
「…そーですね」
「何、お前は元気ないじゃんみょうじ」
「んなことないですよ?」

はは、と愛想笑いをした白石さんが私に視線を送る。苦虫を噛み潰した表情の私を見て、さらに笑顔になった。

「なんや今なら、編集長にも勝てそうですわ」
「おっいいなーその息だぞ!」
「ちょっ、白石さん!副編集長も面白がらないでください!」
「みょうじは冗談が通じんなぁ」

その後しばらく白石さんは絶好調で、編集長もたじたじなくらいのオーラで皆を圧倒しておりました。

「白石さん」
「ん?」
「見過ぎです」

廊下を並んで歩きながら釘を刺すと、白石さんは「そうか?」と悪びれもなくニッコリ笑う。

「周りに気づかれちゃいますよ。あの人たち、噂大好きなんですから」
「俺は別にええねんで?バレても。何やったら拡散されてフロア越えて、なまえちゃんの同期の…名前何やったかな、営業の男の子。彼の耳にも届いたら、事あるごとになまえちゃんをランチに誘ったりせんようになってくれるやろか」
「えっ白石さん、嫉妬とかするタイプ?」
「……そうでもないで?」
「…何ですか、その間は」

みょうじなまえ、25歳。
改めて、とんでもない人を彼氏にしてしまったみたいです。


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