立海大学近くにある落ち着いたカフェ。
友人と何度か来たことはあるけれど、まさかここに仁王くんと二人で来ることになるなんて、誰が思っただろうか。
「俺はブレンドにしようかの。お前さんは?」
「えーと、どうしようかな…」
さっきから頭がうまく回っていない。メニューの文字が見れなくて、それどころじゃないのだ。
程なくして店員さんがやって来て注文を聞いてきた。仁王くんはブレンドをひとつ、と言ってから私を一瞥する。えーと、と煮え切らないまま言い淀んでいると、仁王くんは一言、アイスカフェラテ、と呟いた。
店員さんが行ってしまってから、仁王くんは「で良かったか?」と確認してきた。
「あー、勝手に悪かった。他のが良かったら言いんしゃい。まだ間に合う」
「ううん、アイスカフェラテが良かった。ありがとう」
覚えてて、くれたんだ。
付き合っていた頃、カフェに行く度私はアイスカフェラテを頼んでいた。今も迷うとアイスカフェラテを頼む。
デートの回数はそんなに多くなかったはずなのに、仁王くんは…。
「突然誘ってすまんかった。忙しかったか?」
「あ、ううん。仁王くんこそ平気なの?次ゼミなら準備とかあるんじゃ?」
「準備なんかせんよ。教科書も無いし」
「あはは、ゼミで教科書無いってどうするの?」
大丈夫。普通に喋れてる。
そう安堵しかけたとき、真正面からガッチリ仁王くんと目が合ってしまって心臓が跳ねた。
すぐに逸らしたけれど怪しかったかもしれない。ああー!というか何でこんな流れに!
「久しぶりじゃな、こうやって話すのは」
「そうだね。そのー、大学楽しい?」
「フッ何じゃその質問」
我ながら馬鹿みたいなことを聞いてしまって後悔した。
「みょうじはどうしてた?高校、大学と」
「どうしてた…うーん、強いて言うなら勉強してたかな。ほら、私成績悪かったから」
「おー見た目に寄らずな。特に数学が酷いのなんの」
「うっ、数学は…結局最後まで苦手で…。だから文学部にしたというかなんというか」
「ハハ、丸井と全く同じこと言っとる」
「丸井くんも文学部だもんね。そういえばこの間授業で会ったよ!女の子といた」
「いつも色んな女の子といるぜよ」
丸井くんはあんまり授業に来ないから、姿を見かけるのは珍しい。落とすとヤバい科目だけたまに見かけたりする。
「白状すると、その丸井に言われたんじゃ。みょうじに久々に会ったが、どうも様子がおかしかった、って」
「様子が?どういう意味だろ?」
「なんか男に手酷く振られて相当参ってるらしいって、言っとったけど」
「ええ?!」
丁度注文した飲み物を店員さんが持ってきてくれたところで私が大声を上げてしまったせいか、店員さんがびっくりしていた。
ゴメンなさい、と謝ってから仁王くんに向き直る。
「それ丸井くん、話混同してない?確かにそういう話はしたけど、私じゃなくて共通の友達のことだよ」
「…あいつ」
仁王くんは渋い表情でブレンドに口をつけた。
それって、それって…?
「えっと、じゃあ仁王くんはもしかして私を心配してくれたの?」
「…杞憂だったみたいじゃのう。丸井許さん」
「ふふ、あははは!」
気まぐれでも何でも、あの仁王くんが少しでも私のことを心配してくれただなんて。
もう明日死んでもいいかもしれない。
「はー笑った、ありがとう仁王くん。すっごい嬉しい、ふふ」
「…んな笑わんでも」
「だって…仁王くんが誰かに騙されるとか超レアで面白くて!でも大丈夫だよ、私元気だから!」
そう言って一口飲んだカフェラテは、氷が溶けかけていてちょっと水っぽかった。でも今まで飲んだどんな飲み物よりも美味しいかもしれない。呑気にそんなことを思っていた。
「俺は元気じゃなかった」
カップをソーサーに置いた仁王くんが呟いた。
「え?」
「聞きたくない話って、こういうことを言うんかと思った」
くわえていたストローを離して仁王くんを見る。
仁王くんは真剣な眼差しで私を見つめている。
「なまえ、俺は」
「仁王くん、やめて」
何かを言いかけた仁王くんを即座に制すと、彼は押し黙った。
「それ以上言わないでほしい、お願い」
「なまえ」
「ごめんほんとに…やめて、ごめん」
ここで泣くなんて、何てねちっこい女だろうか、私は。
「ごめん、今日はありがとう。もう行くね」
急いで財布から千円札を出すと、私は足早に店を出た。仁王くんの前であれ以上醜態を晒すわけにはいかない。
高校時代、何度も妄想した。
仁王くんがまだ私を好きでいてくれて、実は私のことを気にしていてくれて、と。
男は名前をつけて保存、とはよく言ったものだ。だから彼が私のことを気にしてくれたのもそういうこと。
もう期待して傷付きたくない。そもそも期待するの傷つくのも、全部自分の独りよがりのくせにちゃんちゃらおかしいけれど。
今傷付いたら一生癒えないかもしれない。いや、かもしれないじゃない、確実だ。
私はなにせ、中学の頃の元彼に6年片想いする女なので。
しばらく走ったけれど、途中で足に力が入らずそれ以上はままならなかった。
ああ最悪だ、明日からどうしよう。
不意に腕を掴まれて、後ろに引っ張られた。振り返ると、そこには息を切らした仁王くんがいた。
「全く…お前さん勉強は出来んが走るのは早かったな昔から…あーキツ」
「仁王くん…!なんで、」
「んで早とちりなのも変わっとらん」
何も言えないでいる私の腕を引っ張ったまま、ちょっと歩くか、と仁王くんは歩き出す。
すぐ目の前に広がる海岸へ降りる階段の前まで来て、仁王くんは「靴」と呟いた。
「脱ぎんしゃい。砂が入る」
「え?大丈夫だよ…というか手放して、今たぶん化粧取れて顔ぐちゃぐちゃで…」
「ダメ。逃げられるかもしれんし」
「も、もう逃げないよ…テニス部には勝てないし…」
有無を言わさず仁王くんは私のサンダルを脱がせて、私の腕を掴んでいる方とは逆の手で持った。
裸足で砂浜を歩くなんて、何年ぶりだろうか。
「俺にもう一回チャンスをくれんか」
夕暮れの砂浜を歩きながら、仁王くんはそう呟いた。
どういう意味なのかわからなくて聞き返す。仁王くんは立ち止まって、私をじっと見つめた。
「もう一度付き合って欲しい、ってこと」
「…本当に言ってる?」
「おー、これでも相当悩んだんじゃが、お前さんのさっきの反応見て心を決めたナリ」
逆光で煌めく仁王くんの髪の毛は本当に綺麗だ。
「放っておくのはもう無理。もう遅いって言うなら、またゼロから頑張るぜよ」
私がブンブンと首が取れそうなほど横に振るのを見て、仁王くんはちょっとだけ笑った。
「どっちの意味じゃ、それ」
「え!?あの、遅くないですよすみませんっていう…首振り。すみません」
「何回謝るん」
「…これ夢かな?今日で運使い果たしちゃったのかな、私」
「ハハ、中学から変わらんな、お前さんは」
「そう?」
「ああ」
そうだよね変わってないよね。
ずっと私、仁王くんが好きだよ。
「あー、いや?外見で言えば、大学入ってからどんどん綺麗になってくから焦った」
「…それは仁王くんもね!!!」
「何で怒っとるんじゃ」
知っとったよ、お前さんが心理学科なのは。だからあの授業取ったんじゃし。
仁王くんのその言葉を聞いて、私は余計に怒りながら泣いた。
6年前より差の開いた身長は、背伸びをしないと唇が届かなくなっていた。
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