//

日差しがぽかりぽかりとあたたかい。もう少しすればそんなにがんばらなくても、と恨めしく思う太陽も、まだ優しい表情をみせている。そんな日差しの中を、やや急ぎ足で歩く一人の青年がいた。沖田である。向かっているのは馴染みの団子屋・・・にいる、一人の少女。詩音は名家の長女で、屡々屋敷を抜け出してはこの団子屋に来ていた。餡子がいっとうすきだという。その次にすきなのがみたらしで、蓬はすこし苦手だと笑っていた。そんな一見普通の少女が、屋敷を抜け出すのはそう難しいことではないらしい。ただ、会えるのは週に一度、団子屋の奥、お得意様だけが使える座敷と決まってはいたけれど。


店に着くと、店長は心得たように彼女の待つ部屋を教えてくれた。襖の前、深呼吸を繰り返す。手汗はかいていない、隊服も目立った汚れはない、よし、大丈夫。
からりと襖を開けると、彼女は読んでいたらしい文庫本から視線を上げた。こんにちは、と言って、にこりと笑う。


「こんにちは。すいやせん、待ちやしたかィ」
「いいえ、私もさっき来たところなんです。沖田さんこそ、大丈夫?お仕事お忙しくないの?」
「だーいじょうぶでさァ、無駄に仕事のできる土方コノヤローに押し付けてきたんで」
「もう、沖田さんたら。お仕事は真面目にしなくちゃ」


窘めるような言葉でも、その声は笑っている。この人は、何だかんだと俺に甘いのだ。俺が、窮屈な世界以外のことを教えてくれる唯一だから。多分。こども扱いされているわけではない、と信じたい。


ふと、詩音の手元の文庫本が気になった。俺の記憶には、彼女が本を読んでいる姿はない。紺色の表紙。「星の王子さま」と、彼女はうたうようにその本の名前を読みあげた。題名だけは知っている。確か、外国人の作家が書いた本だ。それぐらいしかわからないけれど。


「なんとなく、読みたくなって。・・・この王子さまが、だれかさんに似ているんです」
「・・・俺ァ、そんなに弱っちい見た目じゃありやせん」
「ふふ。人間、見た目じゃないわ」
「?・・・それ、その王子さまが襲い来る敵を次々打ち負かす、とかいう話じゃありやせんよね?」
「ええ、まさか。・・・もし機会があれば、沖田さんも読んでみてくださいな」
「そうしやす」


店の者が、盆を持ってきた。大きめの器がふたつ、載っている。「氷善哉に御座います」と、盆を置いて出て行った。いつもなら団子しか頼まないのに。詩音を見ると、「ちょっと奮発してみました」と笑っている。間違いではないらしい。


「私、これを一度たべてみたくて」
「なあんだ。びっくりしやした、いつもみたらしを頼むから。こんな洒落たもの、俺、食ったことありやせん」
「沖田さんも召し上がってくださいな。沖田さんと氷善哉をたべたいと思ったのは、私の我儘なんですから」
「あー・・・じゃあ、この次は俺がなんか奢りやす」
「・・・はい」


詩音の表情が翳った、気がした。ほんの一瞬。見紛うことなんてない。瞳の奥を覗こうとしても、そこにはただ、きらきらとした何かがあるだけだった。いつも通り。
まあいいか、と匙でひとくち掬う。冷やされた小豆が、咽喉につめたかった。ぽてぽてした白玉をゆっくり咀嚼する。うん、美味しい。夏は団子の代わりにこれを頼むことにしても良いかもしれない、なんて、暢気に考える。


「沖田さん、」


だから、すこしの間気がつかなかった。彼女が何回か俺の名前を呼んでいたことにも。その瞳の奥の奥、ゆらり揺れたかなしみの意味にも。


俺たちが、これきりだということにも。
「・・・っ、ああ、すいやせん、ぼーっとしてやした。どうしたんですかィ?」
「わたし、」


「私、結婚するんです」


何を言われたのか、暫く理解できなかった。けっこん。ケッコン。結婚。
・・・嗚呼。
そうだ、結局のところ、彼女は名家のお嬢様で、俺は田舎から出てきた芋侍で。
同い年だからといって、越えられるような溝ではなかったのだ。


「・・・どなたと、ですかィ」


詩音が零した幕府の高級官僚の名前は、沖田でも聞き覚えがある程だった。出世頭だと聞いている。そんな相手に、刀を持っているだけの只の餓鬼が敵うはずがない。
大したことは望んじゃいなかった。たまにこうしてひっそりと逢瀬をして、他愛もない話をして、こうして、誰かと彼女が結ばれることに笑って「おめでとう」と言えるようになるまで。
それすら、贅沢な望みだったのかもしれないけれど。


「沖田さん、最後に我儘ひとつ、聞いて頂いてもいいですか」


ゆっくりと、視線を上げる。詩音の綺麗な瞳は、僅かに潤んでいるようにも見えた。


「あの、私の名前、一度でいいから、呼び捨てて呼んで頂けませんか、・・・私、生まれてから一度も、年の近い方にそうして呼ばれたことがなくて」


伏せられた睫毛が、きらきらとひかった。それが涙なのか、ただ化粧をしているだけなのか、沖田にはわからなかった。
言わなくては、と思うのに、口が思うように動いてくれない。遠いひとになってしまう詩音に、伝えたいことはたくさんあるのに。


「詩音、」
「・・・幸せに、なってくだせェ」


震えた情けない声は、ちゃんと届いただろうか。













はっと気がつくと、沖田は人の行き交う大通りを歩いていた。団子屋から屯所に続く道。あの後言葉を交わしたのか、きちんと勘定を払ったのか、何も覚えていない。ただ、彼女の今にも泣き出しそうな表情が脳裏をちらついて離れなかった。財布を見ても、出かける前より少なくなったとは思えない。きっと何だかんだ理由をつけて、彼女が払ってくれたのだろう。


(せめて最後ぐらい、俺に勘定持たせてくれてもいーのに)


最後。
そうだ、あれが最後だったんだと、改めて思う。
もっと、きちんと言葉を交わしておけばよかった。
もっと、ころころ変わる表情を見つめておけばよかった。
もっと、もっと。


喉に何かがせり上がってくる。屯所までの道を駆け抜けた。だれにもあいたくないしだれにもみられたくない。情けない姿を晒すのだけは、ごめんだった。
しょっぱい液体が、頬を濡らす。屯所に駆け込み、派手な音をたてて障子を閉めた。その場に土方がいたなら、きっと眉を顰めただろう。


「うあっ・・・あっ・・・」


きたない嗚咽が漏れた。隊服にぼたりぼたりと染みができていく。あたまのなかの妙に冷静な部分が、替えの隊服のことを考えた。この間アイスをこぼしてしまったから、この一枚で当分は乗り切らないといけないのに。
ずるずるとへたりこむ。いい加減疲れたのに、涙は止まってくれない。たった今はっきりと思い出した最後の彼女の言葉が、やさしく反響して息をくるしくさせていた。


「・・・攫ってください、総悟、」



その花はとおい、


(触れることすら許されない貴女へ)






[ 4/7 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -