//

草木も眠る丑三つ時、からすこし朝に近くなった頃。ぼたりぼたり、気味の悪い音が艦の廊下に響く。擦れ違う人はなく、小言を言われることも、怯えた視線を向けられることもない。実に素晴らしい。帰ってきたのが、こんな時間であることを除けば。暗闇の中、神威は盛大な舌打ちをかました。かさこそと、なにかが隅を逃げていく。


(風呂、面倒だなあ)


しかし、入らなければ明日の朝、詩音と阿伏兎から説教を受けることは避けられない。説教は嫌いだ。のろのろと部屋の鍵を開け、のろのろと返り血だらけの服を脱ぎ(きっともうクリーニングしたって落ちない。阿伏兎から小言を言われることだろう)、手早くシャワーを浴びる。髪は乾かさなくていいか、なんて考える。詩音も寝ていることだし。元々神威の髪を乾かすのは彼女の仕事だ。できるだけ絞って水を散らしてよしとして、眠い目をこすりながらベッドへ向かう。


(・・・あ、)


ベッドの上、やわらかに上下するひとのかたち。詩音だ。大方、帰りを待つうちに眠ってしまったのだろう。若しくは、最初から眠るつもりでここに来たのか。どちらでもいいけれど。過程ではなく、今ここにある事実が大切なのだ。いつだって。
冷房をきかせたこの部屋で、タオルケットにくるまって寝ている姿は単純に愛しい。頬にかかった髪を耳にかけ、よく見えるようになった寝顔をじっと観察してみる。あ、小さなほくろ。
観察に飽きたのと眠気が限界に達したのが重なり隣にもぐりこもうとしたその時、詩音が身じろぎをした。寝ている間に動くなんて珍しい、いつも死んだように眠る、と形容されるのに。ぽってりとした、あかい唇が開いた。


「銀、時・・・」


世界が、息をとめた。音も、色も、一瞬にして消え失せる。詩音の眉根が、くるしそうに寄った。
彼女は神威のもとに来るまで、随分と長い間銀時らと行動をともにしていた。幼い頃から寝食をともにし、攘夷戦争に参加した経験のある詩音の中で、彼らの存在が非常に大きなものであることは、以前からわかっていたつもりだった。
ただ。
こんな風に露骨に目にしたのは、今日がはじめてで。


考えるよりも先に、体が動いていた。掌が、やわくてしろい、皮膚の感触を捕らえる。彼女の瞼が開く。涙を溜め、必死に酸素を求めるその姿に、支配欲が雄叫びを上げて歓喜する。窒息死させるのははじめてだ、と思う。なかなか癖になるかもしれない。
視線が、くちびるの動きにとまる。そこが紡ぐかたちは、最後の言葉か。せめてそれぐらいは聞いてやるべきなのかもしれないと、そのかたちを読む。


「かむ・・・い、」


驚きというか衝撃から、手の力が緩む。確かに、彼女のそこは自分の名前を呼んだ。けほけほと噎せ、やっと望むだけの酸素を肺に入れられるようになった詩音は華奢でちいさく、戦場での無双ぶりは想像できない。頸についたあかい痕が、ひどく痛々しい。涙目で、どうしたの、と尋ねる姿に、罪悪感と行き場の無い怒りを覚えた。
その唇で、あの名前を呼んだくせに。


「詩音は、あの銀髪の方が良いんだろ」
「なんで、」
「寝言で名前呼ぶなんて、一体どんな夢見てたの?不愉快なんだけど。すきなら地球に帰ればいいじゃん」


ねえ、どうして。
確かにあいつはそこそこ強いしみんなの人気者だよ。でも、それだけじゃないか。俺の方がもっともっと強い。もっともっと、詩音のことを護ってあげられる。それとも、俺にはわからなくて詩音にはわかるあいつの良さがあるというの?
結局のところ、詩音も、一番に俺を愛してはくれないの?


「かむい、」


びくり、情けなく肩が揺れた。なんで。俺は怒っているのに。力でも、詩音を圧倒しているのに。いつだって殺せるのに。
俺は、何に、怯えているんだ?


「ごめんね、」
「昔の夢を見たの。不安にさせてごめん」


ぎう、と詩音のほそい腕が神威の背中に回る。こんな力で抱きしめられたってなんてことないのに、何故だか心臓のあたりが締めつけられるように苦しい。瞳を覆う水分の量が、意思に反して増加する。


「私、すきな人はいっぱいいるけど、」
「愛してるひとは、神威だけなんだよ」


ぼろぼろと、雫が頬を滑りおちていった。泣く場面じゃないのに。詩音は涙声でだいすきとあいしてるを繰り返す。その声は嘘を吐く温度ではない。わかったから、もういいからと言おうとすると、鼻がすんとなった。
きっと俺には、ひとをあいすることはできない。強さへの欲の前では、たいせつなもの全て無力だ。
それでも、彼女は全身で愛を叫ぶ。


『神威、だれかを愛するということはね、その人のすべてを許すということなのよ』


ふと、昔、母が言っていたことを思い出した。くだらないと一笑に付した言葉。こんな弱者と父はどうして一緒になったのだろうとさえ、思った。力が全てだと知っていた筈の父は。


許す。
詩音は、俺が彼女を愛せないことさえ、許そうというのだろうか。


「ごめんね、」
「私、神威の足手纏いにならないように、不安にさせないようにがんばるから、」
「ずっと一緒に、いさせてください」


一生、愛されることのない人生だと覚悟していた。愛というものを蔑み、否定し、踏み躙ってさえいた。
それなのに。
こうして自分が大きすぎる程の好意を寄せている相手から精一杯の愛情を伝えられると、心臓のあたりがきゅうっとなって、あたたかいものが身体中に溢れて、


「すきだよ、詩音」


涙が、出た。


アイとはどのようなものですか

このあたたかさが愛ではないことだけは、知っていた




[ 3/7 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -