熟れた月
「・・・、詩音、」
名前を呼ぶ声に連れられて深く沈んでいた意識を浮上させると、目の前に隻眼の男が映った。
「・・・何、晋助」
「月見しようぜ」
「・・・中秋の名月はまだ先よ、それにもう真夜中」
「知ってらァ」
「あたし、眠たいのだけど」
「知ってらァ」
片手にちいさな猪口をふたつ持った高杉は、どうやらここを動きそうにない。睡眠を貪ることを諦め、詩音はやれやれとその辺にあった羽織を被った。
「仕方ない、晋助がひとりじゃ寂しそうだから付き合ってあげる」
「ハッ、可愛くねェ女」
そこもすきだがな、なんてこっぱずかしい台詞を残し、高杉はすたすたと自室へ引きこもってしまった。
今頃あかくなっているであろう恋人を思いながら、詩音も後を追う。
高杉の部屋からは、いつもよく月が見える。
「なんか、いつもと違う月」
いつもよりも橙色に近い月は、辺りを煌々と照らしている。熟れた月だ、とぼんやり思いながら、詩音は猪口に口をつけた。滑らかに喉を滑り落ちるそれは、生温く広がっていく。
「熟れた月、ねェ」
どうやら口に出していたらしい。
高杉がおもしろそうに酒を体内に流しこんだのを見て、詩音は僅かに眉をひそめる。何気なく持ち出してきたが高価な酒なのだ、もっと味わって欲しい。
「んな顔すんな、折角の酒が不味くなる」
「・・・誰のせいだと思ってるの」
「手前と呑むなら安かろうが高かろうが一緒だ」
酔いが回ってきているのだろうか、と詩音はこそりと高杉の顔を窺うが、特に変化はない。
微かにあかくなった頬を隠すために視線をおとすと、猪口に浮かんだ月が目に入った。ゆらゆらと、不安定に揺れている。
「・・・それなら、今度から安酒を用意しようかしら」
「俺に金を惜しむたァいい度胸だな」
「安くてもいいと言ったのは晋助でしょ」
「いいとは言ってねェ、一緒だと言っただけだ」
「我儘な晋助」
「上等だ」
にたりと笑って、高杉が酒を勢い良く口に含んだ。
あ、と思った時にはもう遅く、アルコールの高い、熱い液体が滑り落ちていく。
唇が離れると、さっきよりも酔いが回った気がする。
同じ酒をもう一杯呑んだだけなのに、顔が熱い。
「手前は安酒が嫌いだろ」
「・・・ずるい」
クク、と喉のおくで笑って、高杉がずるりとこちらに近づいた。
猪口に浮かんだ月が、揺れてそのかたちをなくす。
唇があと数ミリで届く距離。じりじりと引き寄せながら、高杉は妖艶に笑って囁いた。
「月が綺麗ですね」
返答する暇もなく、唇が重なる。
猪口の月が再び元のかたちを取り戻した頃、僅かに離した唇から唇に、震える声で零れた言葉。
「あたしは、死んでもいい」
つきのしずく
(ぼとり、滴る)
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さくら様キリリクでした。
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