融解する明日
「別れましょう、詩音」
おかしい。
アレンがおかしい。
「なん、で」
「・・・今まで、ありがとうございました」
変に抑揚のない声で別れを告げて、アレンは自分の部屋に戻ってしまった。
一度も振り返らぬまま。
・・・思えば、アレンの様子はあの時からおかしかったのだ。
アレンがノアだと知った、あの日から。
「やだっ、アレン、行っちゃやだっ・・・!」
詩音の悲痛な叫びは、真夜中の教団にしずかに溶けていった。
届くことなく。
「うっわ、詩音ひっでェクマさ!」
「あはは、昨日、あんまり眠れなくて・・・」
ラビは目敏いな、と詩音は内心舌を巻いた。それとも、そんなにひどいクマだろうか。
(あー、頭痛い、ふらふらするー・・・)
それでも、せめて食堂で何か食べなくては。
優しいアレンが、責任を感じてしまわないように。
「ジェリーに頼んで、部屋で食べるさ?」
「ううん、平気・・・」
ぐらりと体が傾いて、あれ、と思った時にはもう遅くて。視界の隅に、目を見開くアレンが映った。
「詩音っ!」
最後に聞こえた声が、貴方のものだったら良いのに。
「・・・、ん・・・?」
目を覚ますと、殺風景な天井。そこが自分の部屋だと認識するのとほぼ同時に視界に現れたのは、白髪・・・ではなく、鮮やかな赤い髪。
「ラ、ビ・・・?痛っ」
「あー詩音、起きちゃ駄目さ。寝不足で熱出してっから」
「・・・マジ」
「大マジさ。お粥つくってもらったけど、食う?」
「・・・ん」
「はい、あーん」
「鼻フックするよ」
「じょ、冗談さ冗談!」
もぐもぐと粥を咀嚼していると、ラビがぽつりと、独り言のように訊ねた。
「・・・アレンと、何かあったさ?」
「・・・・・・振られた」
「・・・は?何で?」
「・・・わかんない。けど、アレンのことだから、ちゃんと理由があると思う」
まああたしが悪いんだろうけどねー、と笑うと、ラビの腕が背中に回りこんだ。
そのまま抱きしめられる。
「ラビー?やだなあ、熱出したあたしがそんなに可愛いからって欲情しな、「無理しておちゃらけんな」
くっ、と喉に言葉が詰まる。そんなことない、と否定しなければいけないのに、その一言が言えない。
「泣けよ、詩音」
「・・・な、ん」
壊れたように涙が溢れて、その続きは言うことができなかった。ただ子供のように、嗚咽をかみころしもせずに泣きじゃくる。
疲れるまで泣くと、泣いているところを見られた仕返しにラビのシャツで涙と鼻水を拭いてやった。
「あーあ、洗濯しなきゃな」
へらりと何でもないように笑って、ラビは詩音の頭をぽんぽんと叩いた。
「詩音は、アレンに対して良い子すぎさ」
「・・・どういう意味?」
「そろそろ反抗した方がいーかもってこと。アレンだってまだ15歳なんさ、考えて出した結論が間違ってることもある」
「・・・・・・?」
「ま、取り敢えずもー一回寝るさ。それから考えてみれば?」
「・・・わかった、色々ありがと」
「ん。じゃあゆっくりな、おやすみー」
「おやすみ」
ラビが出て行くと、再びとろとろと眠気が訪れてきた。いつものようにそれに抗うことなく、詩音はするりと眠りにおちた。
夜。
科学班でこき使われていたアレンがよろよろと部屋にたどり着くと、ラビがベッドで本を読んでいた。
「やっと終わったんさ?おつかれー」
「・・・なんでここにいるんですか?本なら自分の部屋で読めばいいでしょう」
「つめてーなー。今じじいのいびきがひでーから避難してるだけさ、避難」
ラビはいつものように能天気に笑って、「詩音、熱は下がったみたいさ」と伝えてくれた。
心中を読まれたようで、どきりとする。
「・・・そうですか、僕にはもう関係ないことですけど」
「関係ないのに他の男が詩音といるのは嫌なんさ?」
アレンが思わずラビを見つめると、ラビの口元はいつもの様にゆるりと弧を描いている。
ただ、目はつめたく、真剣で。
「アレンは、距離の取り方が下手さね」
ぱたん、と本を閉じて、ラビはアレンをちらりと見る。
(・・・できねーならやめといた方がいいさ、アレン)
傷つけずに離れることなんて、お前がやることじゃない。
「ちゃんと離れたいなら、相手が気づかないように距離取っていかねーと。両方傷つくことになるさ」
「・・・それ、どういうつもりで言ってるんですか?」
心底怪訝そうに訊ねるアレンに、笑い出しそうになる。そんな反応してるうちは、無理だな。
「んー、先輩からの助言?こーいうのは俺の得意分野だから」
誰にも入れこまないように、常に中立でいられるように、一定の距離を取る。
もはや習慣になってしまったこと。
「それじゃ、俺もう寝るさ。おやすみー」
「おやすみなさい、」
ああ、忘れていた。
最後に、とっておきの爆弾をひとつ。
「関係ないなら、俺が詩音のこともらうさ」
「はっ・・・!?」
「じゃあなー」
ひらひらと手を振ってドアを閉め、ラビは表情にくらい影をおとす。
(・・・ブックマンは、誰かに入れこんだりしたらいけないんさ)
それなのに、こんなにも夢中に、必死になっている自分がいる。彼女が幸せになれるように。
(・・・馬鹿、みてェさ)
乾いた笑みを浮かべて、ラビは自室へと戻っていった。
朝。
(頭痛くない、ふらふらしない、よし)
元気になったぞ!とガッツポーズをしていると、ドアノブがガチャリと回った。
「詩音、おはようさー。元気なった・・・ってあり?何してんさ?」
「・・・エ、エアダンベル?」
・・・・・・・・・。
「・・・まーいいさ。腹減ったから食堂行くさ!」
「えー朝とか食欲ない・・・」
「いーからいーから、食べるんさ!」
無理矢理ラビに引きずられて部屋から出ると、見慣れた頭が目に入った。詩音の視線の先に素早く気づいたラビが、ぶんぶんと手を振る。
「アーレーンー!一緒に飯食い行くさー!」
「ラッ、ラビ!」
詩音がラビの袖をくいくいと引っ張っても、もう遅く。
アレンはすたすたとこちらにやって来た。
「ラビ、残念ですけど僕食べ終わったところなんですよ」
やらなきゃいけないこともあるので失礼します、とアレンは足早に去ってしまった。
(目も、合わせてくれなかった・・・)
「つきあい悪いなー。じゃ、行くさ?」
「・・・う、うんっ!」
慌てて笑顔を浮かべて、詩音たちは食堂へと向かった。
「どういうつもりですか」
コムイに呼び出された帰りに廊下をふんふんと歩いていると、アレンに呼び止められた。
「何が?」
呑気に訊くと、アレンの苛立ちが濃くなる。
ああ、わかりやすい。
「詩音のことですよ」
「関係ないんじゃないんさ?」
取り敢えず場所をアレンの部屋に移動して、ラビは訊ねる。
「言わなくてもわかってもらえるっつーのは、傲慢さ」
アレンは明らかに刺されたような表情をした。それでも、まっすぐにラビを見つめる。
「僕は、「アレンっ!」
アレンが話し出そうとした途端、詩音が部屋に飛び込んできた。
「やっぱり嫌っ!ちゃんと理由教えてくれないと、納得しないと、あたしアレンと別れないからっ」
アレンにしがみついて、詩音は駄々っ子のように首を振る。ラビはその様子を見て苦笑し、こそりと部屋を後にした。
(・・・まったく、詩音は間が悪すぎさ)
それでも、どこかほっとしている自分がいる。報われないことには、第三者でいることには、慣れているのだ。自分に主役が似合わないことも知っている。
(・・・よかった、さ)
詩音がすきだと、全てをなくしてもいい程すきなのだという、双方にとって残酷な事実を突きつけずにすんで。
その一方で、突きつけたらどうなっただろうという想像が頭から離れない。
(ほんと馬鹿さ、俺)
「ーだったら」という仮定ほど無意味なものなどないと、誰よりもよく知っている筈なのに。
取り敢えず早く寝よう、と冴えきった頭を無視して、ラビは自室へと向かった。
「・・・ねえ、アレン。理由を、教えて?」
詩音の言葉に、アレンは別れて以来はじめて詩音と目を合わせた。
それからはあと溜め息をつき、アレンは弱々しく笑んだ。
「理由なんて・・・僕が、ノアだからですよ」
「ノア」という単語を強調し、アレンは自嘲する。
「僕が倒すべき相手は、殺すべき相手は、最初から僕だったんです」
そして、アレンは。
詩音が最も口にしてほしくない言葉を吐いた。
「僕が、いなければよかったんだ。教団に、もう僕はいらないんです」
「そんなことないっ」
詩音は、アレンに思いきり抱きついた。
アレンは驚きのあまり硬直して、詩音を凝視する。
「世界がどうなったって、あたしはアレンを必要とする!ノアでもエクソシストでも、アレンはアレンだよ!?あたしの大好きなアレンに変わりはないよっ」
「・・・でも詩音、僕は、」
「ノアとエクソシストのどちらで在るかはアレンが決めることでしょう!?」
涙で顔がぐちゃぐちゃだ。
まだなお溢れる涙をそのままに、詩音はアレンをぎゅっと見つめた。「アレンは、どっちで在りたいの」
「エクソシストです」
アレンの言葉に、詩音はにっこりと綺麗に笑った。
「それなら、何の問題もないよ」
周りが何て言ったって、アレンはエクソシストだよ。
詩音の言葉に、アレンはゆっくりと微笑んだ。
「ありがとうございます、詩音」
「どういたしまして」
「だいすきです」
「そりゃ・・・どうも」
空気が弛緩し、またあたたかな時間が流れはじめる。
それがたとえ、ひとときの夢だったとしても。
融解する明日
(不確かなまま、それでもぼくらは)
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もも様キリリクでした。
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[mokuji]
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