奇妙な夢を見た。私は見知らぬ街の見知らぬ通りを銀時と歩いていた。暖かな日差しが降り注ぐ陽気だ。通りの両側には、木枠の窓を取った古めかしい店が立ち並び、車はなく、飛行船と歩行者だけが道を埋めていた。江戸時代のようだが、それにしては風変わりだ。猫の頸を持った人間や、耳が異様に尖った人型の生き物がいる。第一、銀時は変な着物を崩して着ており、腰には木刀まで差している。私も着物を着ているらしい。しかし夢の中では不便もない。

私にとっては初めての道も銀時にとっては初めてではないようで、彼は私の右手を握って半歩先を歩く。夢だからか、手のひらに伝わるはずの体温は感じられなかった。

「        」

銀時は少し歩調を緩めて振り返り、優しい笑みを浮かべた。唇が動いているのはわかるのに、なにを言っているのかはわからない。夢の中は無音だった。

「     」

今度は私がなにか言ったようだった。それに応えて彼も唇を動かし、ゆっくりと私の項に手を添えて抱き寄せた。周りに人や人らしいものがいることなどお構いなしだ。普段なら恥ずかしいながらも嬉しいはずなのに、なぜか胸の奥がざわつく。銀時には温もりが感じられないのだ。いつもと違う感覚に不安になり、その腕に手を添えようとする。しかしその手は空を切り、自身の肩に触れた。あるはずの彼の腕をすり抜けたかのようだった。怪訝に思って見ると、彼の手首から先がほろほろと崩れている。崩れた先から桜色の花弁になり、風に消えていく。私は色を失い、手を引っ込めた。彼自身は驚くこともなく、身体を離してただこちらを見て、目元に笑みを滲ませているだけだった。見たことがないほど柔らかな笑顔だ。花弁になって消えていく身体を抱き締めようとするのに、虚しくすり抜けてはまた花弁になる。指の間を、桜が零れ落ちていく。

(待って、銀時、)

言いたいのに、声にはならなかった。彼の笑顔すら消えそうになる。悲鳴を上げる。そこで目が醒めた。


手のひらひとつ分開けた窓から吹き込む春風が、先程の夢のせいか変に汗ばんだ体を冷やした。身震いをして布団を口許まで引き上げる。自分の体温で温んだ毛布に包まり、深く息を吐いた。厭な夢だった。銀時が私の手をすり抜けて消えていった。寝起きのぼやけた頭を冴えさせるほどの焦燥感を感じる。彼が花弁になるなんて有り得ないことだが、彼が私の手の届かない処へ行ってしまうことは、充分に有り得ることだった。たかが夢の恐怖だが、胸の中の空白が身体の内側から私を圧迫しているような気がする。

時間を見ようと、枕元のコードに繋がれた携帯を手に取る。コンタクトレンズを外した状態では、視界の全てがぼやけている。強く瞬きをして液晶のバックライトをつけようとしたところで、黒い鏡のようになっている画面に映る自分の顔に首を傾げた。唇になにかついている。指で摘まんでみる。一枚の桜の花弁だ。今度こそ悲鳴をあげた。一秒と間を置かずに部屋のドアが大きく開く。

「ひっ……」

入ってきたのは銀髪の男だった。いきなりの侵入者に飛び上がるほど驚いたが、銀時だとわかって脱力する。彼には合鍵を渡してあった。

「なんだよ、人の顔見て驚きやがって」

銀時は片手に提げたコンビニの袋をキッチンに置きながら眉をひそめた。

「……来るなんてしらなかったから」

今日は日曜である。朝に弱い彼が、こんな時間(と言っても、携帯を見てみれば八時近かったが)に訪ねてくるのは珍しい。

「この前言っといただろうが」
「そうだっけ」
「そうだった」

彼は部屋の中で一番大きな窓のカーテンを開け、朝陽を部屋に取り込んだ。銀時が目の前にいる。そのことにこんなにも安心したのは久しぶりかもしれない。

銀時は思い出したようにコンビニの袋を手に取り、冷蔵庫へ向かった。アイスを買ってきたのを忘れていたらしい。袋の中身を冷蔵庫や戸棚にしまう後ろ姿をぼんやりと眺める。彼は淡い小花柄のシャツを着ていた。ふざけた格好だが、この男の華奢な骨格の上に着てみれば案外下品にはならず、不思議と似合う。些細な仕草や姿勢のひとつひとつが、憎らしいほど洗練されている。吊り戸棚に手を伸ばした時に袖から覗く手頸は私のお気に入りだ。

銀時はビニール袋を手早く三角に折り畳んで片づけてこちらにやって来る。少し怒ったように唇を結んでいる。

「お前、どうしたのこの布団は」

言われて枕元の眼鏡を掛けてやっと気付いた。布団に桜の花弁が散っている。驚きで言葉が出なくなるのは本日二回目だ。一度目は夢の中ではあるけれど。

彼は徐にヘッドボードに右手を置き、下に私がいることなどお構いなしに私の頭上を越えてベッドのすぐ横の窓に左手をかけた。その間も、私はこの男が本当に生身の人間かを信用できずにいた。夢と現実に重なる部分がありすぎる。

「桜か?」
「うん」

アパート沿いの道には大きな桜の木がある。二階の角部屋である私の家は、ちょうど風下になったのかもしれない。昨日の朝の時点では散りそうには見えなかったが、昼間の暖かさで一気に開いたのだろう。銀時は窓の隙間から腕を出し、花弁をつかまえようとしているようだった。しかし風に煽られて不規則に揺れ動くそれを追うのは案外難しいようで、数秒試みた後に諦めた。

「なかなか穴場だな、此処」

窓枠に手を置いたまま、銀時は私に笑いかけた。その笑顔は、花弁になって消えてしまう直前の表情に似ていた。またいなくなってしまうのではないかと、思わず横になったまま手を伸ばし、銀時の腕に触れる。彼は小さく瞬きをし、私の目を覗き込むように身体を下げた。

「どうした?」

こんな時に限って、いつになく柔らかく慈しむような顔をする。やっと届く範囲に入った銀色の髪に指を潜らせ、言葉を紡ぐ。

「銀時が、いなくなる夢を見たの」
「……おー」
「花弁になって、消えちゃう夢」
「なんだそりゃ」

突飛な夢の内容に、薄く唇を開いて笑った。春の陽射しは銀色の髪に吸い込まれては溢れ返る。美しい夢を見ている気がした。視線が交わっても、絵画の中の人と見つめあっているような、神聖な人を外から眺めているような心持ちだ。しかし、やっぱり目の前にいる銀時は生身の人間だった。彼は不意に手を伸ばし、私の眼鏡を取り去った。そして髪に潜らせた私の指を絡め取り、視線を合わせたままベッドに乗り上げる。覆い被さるようにぎゅうと私の身体を抱き締め、なにも言わずに静かに呼吸している。それに合わせて揺れる肩や髪には、薄淡い色をした桜の花弁が何枚か乗っていた。夢の中とは違い、触れ合う胸や頬には温もりが感じられる。泣きたくなるほど安心するのに、泣きたくなるほど切なくなった。風が枝を揺らし花が擦れる音がする。それに混じって、銀時と私の息遣いが密やかに耳を撫でた。

「怖かったか、その夢」
「……うん」
「ふうん、かわいい奴だな」

私の肩口に額を埋めたまま呟いている。唇を緩ませているのは声音でわかる。銀時は夢の外でもシャツと桜のせいで花まみれだが、私に触れる身体は華奢に見えてもやはり強いもので、そう簡単には消えそうにない。生地の上から背骨をひとつずつ指で触れて数えると、銀時は耳のすぐ横で微かに色づいた吐息を吐いた。

「おれは、お前の傍から消えたりしねーよ」

声を張り上げなくても、低く肌の上を滑る声は不思議に力強かった。この人が言うのだから本当にそうなのだろうと、自然と思わせる力を持っているのだ。口から生まれたと称される銀時は、他の人といる時に比べて、私といると口数が少ない。心なしか口調も静かになる。それが私を不安にさせることもあったけれど、今では深い信頼があるからこそ、彼は言葉をあまり要さないのだと思える。私の焦燥を埋めるのは、彼の温もりでなければならない。

「……もう、あんな夢は厭だからね」
「わかったよ。今度は夢の中でもがんばるわ」

銀時の顔に浮かんだのは、花が淑やかに綻ぶような笑みだった。私の胸の中でも、春を待ち望み、たっぷりと温風を孕んだ花が静かに開いてゆく。銀時が咲かせる花だ。



きみを愛おしく思う理由を僕だって知りたいよ
thanx*言葬