「・・・栗屋、・・・・・・」
懐かしい声が、耳を擽った気がした。 宵闇が空を侵略しはじめる頃、駅に向かう人でごった返す交差点。 珍しく定時に上がることができた詩音は、ここ最近の自分へのご褒美にケーキでも買って帰ろうか、とご機嫌でそこを横切っていた。 そして、冒頭に遡る。
(・・・気のせい、か・・・)
大体あの人は地元の大学に進んだ。 こんなところで就職している可能性は低い。 詩音が再びケーキに思考を戻そうとした、その時。
「栗屋っ・・・!」
幻聴なんかじゃない、確かにその声が、鼓膜を揺らした。 振り返ると、人波をかきわけ、こちらにやって来る蜂蜜色。
「っ、おき、た」
「久しぶりですねィ」
本当に、久しぶりだ。 高校を卒業して以来。
(・・・少し、背が伸びた・・・?)
「何ぼけっとしてるんでィ。こんなとこで立ち話もアレだし、どっか入りやせんか?」
返事もきかずにずんずんと進んで行く強引さは、あの頃と変わらないようで。 呆れたふりをして緩む口元を隠しながら、詩音もあとを追った。
入ったのは、高校生の頃は外から見ているだけだったであろう喫茶店。 2人分のコーヒーが来たところで、詩音はふ、と笑みを零した。
「何でィにやにやしやがって気持ち悪い」
「ひどっ!・・・いや、沖田とこんなとこ入るなんて、なんか変な感じだなって」
「まあ、高校の時はファミレスとかそんなんばっかだったしねィ。俺が大人になって栗屋が老けたってことでさァ」
「ちょ、私も大人になったって言ってよ」
「いーじゃねェですか。スーツが様になってきたってことで」
「良くないし!・・・あ、そういえば沖田のスーツ姿見るの、はじめてかも」
改めて見ると、やっぱり綺麗な顔だと思う。 仕事帰りだからだろうか、僅かに緩めたネクタイが目に留まった。 それを見て、沖田がにやりと意地悪く笑う。
「もっと緩めてほしいんで?」
「なっ・・・!ち、違うし!馬鹿じゃないの!」
「どーだかねィ」
にやにやと笑いながら、沖田はアンタもスーツ似合ってますぜ、とさらりと言った。 「も」って何だ、「も」って。 確かに似合ってると思ったけど。
「そういや沖田、どこに勤めてるの?」
「俺?俺はーーー・・・」
沖田が口にしたのは、なんとも馴染みのある会社で。 詩音はぽかんと口をあけた。
「何間抜けなツラ晒してんでィ。もともと間抜けヅラだから更に間抜けに見えやすぜ」
「・・・私も、そこ」
「・・・・・・マジでか」
聞くと、沖田の部署と詩音の部署は離れたところにあるらしい。 それにしたってすごい偶然だ。
「へェ、こんな偶然もあるもんですねィ」「ね。じゃあ一緒に働くってことも有り得るってことだ」
「栗屋と一緒とかご免被りまさァ」
「その台詞そのまま沖田に返すよ」
ああ、素直じゃないのは相変わらず。 どれだけ後悔したって、沖田の前では素直になれない。
ふいに訪れた沈黙に、詩音はぽつりと言葉をおとした。
「私さあ、」
「ん?」
「高校生の頃、沖田のことすきだったんだよ」
言ってから、はっとした。 自分はなんてことを口に出したのだ。 こんな、自分の弱味を自ら晒すような真似を。 ドSな沖田が、これを見逃す筈がない。 今頃悪魔の笑みを浮かべているであろう沖田を、そろそろと盗み見る、と。
(あ、れ)
沖田は顔をまっかにして、口をぱくぱくさせていた。 見たことのない表情に、詩音は自分の状況も忘れて吹き出した。
「ぶはっ・・・沖田、あんたすっごい間抜けな顔!」
「う、五月蝿ェ!何でんなこと、突然、」
幾分赤みのひいた顔で、沖田はコーヒーを啜った。 詩音も笑いがおさまり、カップを口に持っていく。
「はー・・・馬鹿みてェでさァ」
「ん?何が?」
「俺もすきだったんでィ、アンタのこと」
「へー・・・うええうえ!?」
「変な驚き方すんじゃねェや」
「いや、そりゃ驚くよ!・・・はー、なんか惜しいね、両想いだったなんて」
「そーですねィ」
それきり黙りこくってしまった沖田を不思議に思いながら、詩音は携帯を取り出した。 あ、丁度メールが来てる。
「ねえ、丁度ヅラからメール来てるよ。近いうちにクラス会しませんかって」
「・・・へえ」
「どこでするのかな、銀八先生の家?まさかもうファミレスってことはないよね」
「・・・そーですねィ」
「ああでも、神楽とか焼き肉がいいって言いそう。そういえば卒業式の打ち上げも「なァ」え?」
目を合わせると、沖田はやけに真剣な瞳をしていて。 心臓がどくん、と大きく音をたてる。
「今でもすきなのは、俺だけですかィ」
「・・・え、」
「すきでさァ、過去形じゃなくて、ずっとすきだったんでィ」
なんてことだ。 こんな、べったべたの恋愛ドラマみたいな展開、本当にあるのか。 ドッキリとかじゃないだろうか。
「わた、私も、」
「私もずっと、すきっ・・・!」
フィナーレを飾るのは、彼女の告白と塞がれた唇で。 店中の注目を集めながら、沖田は大胆不敵に、にやりと笑った。
「ま、アンタに拒否権なんてありやせんけど」
二人の時計が動き出す、
(それは甘く、軽やかに)
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