カタカタカタカタ。
明りもまばらになったオフィス街。
その明りの原因の一人が、この栗屋詩音である。




「うー・・・終わらない・・・」




目をしぱしぱさせながらキーボードを叩く音が、寂しく部屋に響く。
昼間は笑い声や怒声や業務連絡が飛び交うこのオフィスも、しんと静まり返っていた。




(ああああもう・・・今日も徹夜かなあ・・・本気でオールかなあ・・・)




もはや当たり前となってしまった目の下の隈。
人一倍要領の悪い詩音が今年から配属されたのは、運が良いのか悪いのか、出世族の登竜門と呼ばれるエリート部署で。
膨大な仕事量を、当然そこらの同僚たちのように上手く捌ける訳もなく。
残業に残業を重ねる羽目になるのだ。




(うー・・・よし、この会議の資料はできた)




残っている目眩のするような量の仕事に溜め息を吐いて(勿論幸せが逃げないように慌てて吸いこんだ)、取り敢えずコピー機に向かう。
単調な紙の音に危うく意識を飛ばしそうになった、その時。
がたり、と自分以外のなにかが音をたてた。




(えっ・・・故障!?)




まさかとコピー機を見るが、先程と変わることなく紙を吐き出している。
窓が開いているところがあっただろうかときょろきょろしていると、部屋の入り口でごそごそしている人影が目に入った。




「・・・なんだ、山崎さんじゃないですか」




「あれ、栗屋さん?ごめんごめん、驚かせちゃったみたいだね」




「ほんとですよ。心臓止まるかと思いました」




「あはは、ごめんね。まだ仕事?みんなは?」




毒も皮肉も含んでいないその言葉が、かえってちくりと突き刺さった。
自分の無能さを、平凡さを思い知らされたようで。




「・・・今何時だと思ってんですか、私しかいませんよ」




軽く、流せただろうか。
上手く、笑えていただろうか。
言葉を投げた後に、いつもこわくなる。




「ん?ああごめん、出張から帰ってきたばっかりで、時間の感覚が曖昧でさ」「ニューヨークでしたよね、お疲れ様です」




「そうそう。あ、コーヒー淹れてくるね。栗屋さんもいる?」




「あ、お願いします」




「はーい」




山崎が給湯室に入っていったのを見て、詩音は山積みの資料を綴じにかかった。
パチンパチン、とホチキスを使いながら、ぼんやりとこの後の仕事の段取りを考える。
どう頑張ったって徹夜になることには、もう目を瞑ろう。




「・・・さん、栗屋さん」




「へ、あ、はいっ!」




「コーヒー、できたよ」




「あ、ありがとうございます」




「いーえ。どういたしまして」




にこにことコーヒーを啜りながら、山崎は詩音の隣に腰を下ろした。
詩音もそれに倣って、まだぼうっとしたまま、カップに口をつける。




(・・・・・・!)




驚いた。
てっきりブラックコーヒーだと思っていたそれは、詩音好みの甘いカフェオレで。
山崎のカップをちらりと盗み見ると、黒々とした液体で満たされている。




「や、山崎さん、カフェオレ・・・」




「え?栗屋さんもブラックの方が良かった?」




「いや、そういうんじゃないんですけど、なんで私がカフェオレ好きって・・・」




「ああ、だって栗屋さん、いつもそれだから」




なんでもないように言い放って、山崎は自分のブラックコーヒーをぐいと空にした。
そしてまた、当然のようにホチキスで資料を綴じはじめる。




「えっ、山崎さん、いいですよそれ私の仕事ですから!なんか悪いし!出張で疲れてるだろうし!」




「大丈夫大丈夫、俺飛行機の中で寝たし。栗屋さんの方が疲れてるでしょ、さっさと二人で終わらせよう」




「あ、・・・ありがとう、」




礼を言うと、ふ、と山崎は口元を綻ばせた。
詩音がきょとん、としていると、栗屋さんってそういう所がいいよね、と山崎が笑みを含んだ声で言う。




「そういう、適切にありがとうって言える所」




「そ、ですかね・・・」




「うん。凄い美点だと思うよ、俺は」




ここ暫く誉められることがなかったため、ちいさなことでも嬉しい。
ふふ、と笑うと山崎もにこりと笑み、でも、と表情をひきしめた。




「栗屋さんの駄目な所は、」




「は、はい、」




「周りに頼ろうとしない所」




「え、」




てっきり要領が悪い、とか覚えが悪い、と来ると思っていた詩音は、些か拍子抜けした。
山崎は真剣な表情を崩し、微笑む。




「全部一人で抱えこまなくていいんだよ、最初から完璧な人なんていないんだから」




「・・・はい」




「甘えとか、そういうのと頼ることは違うんだから。栗屋さんのペースで仕事をこなしていけばいい。誰も迷惑とか、そんなこと思わないから」




「・・・は、い」




どうしよう。
涙腺が今にも決壊しそうだ。




「ちゃんと見てるよ、栗屋さんが頑張ってるの。みんな、ちゃんと知ってるよ」




限界だ、と思ったその瞬間、あたたかな温度に包まれて。
細いくせに筋肉質な腕が、やさしく背中に回された。




「もっと、皆を・・・俺を、頼ってよ」




「・・・は、い゛」




「鼻水はつけないでよ」




「う゛るざい、ですっ・・・」




ぽんぽん、とあやすように背中を叩かれ、暫くこどものように、ぐじぐじと泣いた。
嗚咽が止まると山崎は体を離し、仕事しよっか、と笑う。




「・・・山崎さんは、やさしすぎです」




「そう?普通だと思うけど」




「こんなことしてたら、女の子はみんなイチコロですよ」




「・・・あのね、」




「はい?」




「いくら記憶力が良いからって、職場の人みんなのコーヒーの好みなんて覚えないよ。好きな人とかじゃない限り」




「そ、なんですか?」




「そうそう。俺、やな奴だから」

「そんなことないです!山崎は良い人ですよ?」




「そう?君が疲れて弱ってるの見て、チャンスだと思ってこうしてつけこんでるのに?」




「・・・へ?」




「泣き顔見られて、ちょっと得したとか思ってるのに?」




「え、え、・・・え?」




「ねえ、詩音」




ぐい、と山崎が近づき、二人の距離がゼロになる。
思考が追いつかない中、山崎さんの瞳に私が映ってる、と呑気なことを考えた。




「すきだよ、」




直後に降ってきた苦い筈のキスは、どういう訳だか腰が抜ける程あまかった。




これが噂のロールキャベツ男子か!


(そんな可愛いもんじゃない、)


(兎の皮被った狼だわ!)


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