「アンタが俺の御主人様?」
「そうよ、栗屋。栗屋詩音」
「ふーん。まあよろしくネ、せいぜい俺を楽しませてよ」
「・・・それ、どういう意味?」
「あ、言っちゃった。いーのいーの、気にしないで」
気にいらない。 その男への最初の感想はその一言に尽きる。 敬語も使わない、無礼、それにチャラチャラしたオレンジ色の髪に青い瞳。
「俺の名前?神威。まあ適当に神威って呼んでいいよ。俺が許可してあげる」
言われなくてもそうするつもりだ、と言うと、あはは、と笑われた。 何が可笑しいのかわからない。
「なるほどなるほど。ほんとにアレだね、カゴイリムスメ?胃の中のカタツムリ?」
おまけに、日本語も満足に使えないらしい。 爺やは何故こいつを雇ったのか、と首を傾げる。 私を守るには、もっと相応しい人がいる筈。 お金を出せば、いくらでも。
「要は、SPって君を守ればいいんでしょ?」
「そうよ。あたしの盾になってくれればそれでいいの」
「えー、話が違うヨ、我儘娘」
「なっ・・・!」
我儘。 世界有数の財閥栗屋家の一人娘に向かって、我儘などと。 我慢ならなくなって口から毒を吐こうとした、その時。
詩音の隣にあった豪奢な壺が、粉々に砕け散った。
「俺はアンタの剣になれるって聞いて、来たんだけど」
オレンジ色の髪も青い瞳も透けるように白い肌も、綺麗だと思った。
これが、欲しい。
「ねえねえ神威」
「何、そこらへんの女みたいにねちねちした声出さないでよ、気持ち悪い」
・・・我慢よ、我慢。 これはきっとほら、あたしへの照れ隠し。
(おかしいわ、こんな声を出してねだれば、男なんていつもコロッといっちゃうのに)
「神威の髪って、蠍みたい」
「蠍?」
ほらね、乗ってきた。 自分のことを誉めてもらって嬉しくない男なんていないんだから。
詩音は神威の三つ編みを手に取り、その綺麗な形を視線でなぞる。 神威は笑って、毒針は仕込んでないよ、と冗談を吐いた。
「ねえ神威、」
「三つ編みはあげないよ」
「んーん、違う」
「あたしは神威が欲しい」
神威は嫌、とだけ言ってにこにこと笑った。 詩音は更に食い下がる。
「神威が死ぬまで、神威が望むだけのお金をあげるわ」
「嫌」
「、三食栗屋家専属シェフの料理を振舞ってあげる。もちろん毎日、ずーっと」
「んー、嫌」
「・・・自家用ジェットだって高級車だって、豪邸だって別荘だって買ってあげるのよ」
「いーや」
「〜〜〜〜っっ!じゃあ一体何が欲しいのよっ!」
「んーーー・・・詩音が自分の意思でどうにもできない、モノ?」
「・・・・・・ふふ、何、それ。そんなもの、この世に存在する訳ないでしょ」
そう。 あたしに手に入れられないものなんて、あたしにどうにもできないものなんて、この世に存在しない。
・・・それとも。 その「モノ」を、こいつは知っているのかしら。 あたしでさえ知らないのに。 その「モノ」を、こいつは自由にどうにかできるのかしら。 あたしでさえどうにもできないのに。
・・・悔しい。 そんなの、許せない。 お父様が言っていたもの、「自分が持っていないものは、力ずくで奪え」って。
「・・・まあ、いいわ。それって綺麗?」
「綺麗だよ、何回見たって見惚れるくらい」
「ふうん。・・・ねえ神威、あたしそれが欲しいわ。頂戴?」
「俺はアンタの専属SPであって下僕じゃないよ、詩音」
それに、と神威はぱちんぱちんと爪を切りながら付け加えた。 足の爪が、綺麗なまるい形になっていく。
「そんなに急がなくたって、俺がもうすぐ見せてあげるよ」
あら、簡単。 少し顔と顔の距離を近づけて甘えた声を出せば、あとはもうあたしの思い通り。
「本当!?」
「俺は嘘はつかないヨ。・・・凄く綺麗だよ、きっと」
「きっと?」
「あ、言っちゃった。いーのいーの、アンタは気にしないで」
それより、とぐいと端正な顔が近づいて。
「キスがしたい」
色欲にまみれた、掠れた声が零された。
「栗屋詩音嬢、たった護衛一人と買い物など、随分と無用心なんだな」
真昼のショッピングモール、黒ずくめの男達が詩音と神威を取り囲んだ。 その数に怯えて、神威を見遣る。
・・・神威は、笑っていた。
「久しぶりに一暴れできそうで安心安心。全く、我儘お嬢様の子守りほどつまらないものはないね」
「か、むい・・・?」
「あり、まだいたの?まあ、せいぜい怪我しないように頑張ってよ」
「なに言っ、」
瞬間、神威が跳躍した。 それと同時に、血がびちゃりと飛び散る。
「ひいっ!」
お気に入りの白いワンピースに飛んだ返り血に怯えているうちに、辺りは赫に侵食されていった。 つるつるの床も、倒れている男の腹も、ほんの少し離れたところで暴れているスーツを着た化け物も、赫、赫、赫。
(にげ、逃げなきゃ)
がくがくと震える足を奮い立たせ走り出そうとすると、その腕をぬるりと掴まれた。
「ああっ、嫌!離して、嫌あああああああああああ!」
「落ちついてよ詩音、どうどう」
「はなっ、離して!化け物!殺人鬼!」
「酷いなあ、俺詩音の剣になっただろ?」
「ころ、殺せとは言ってないわ!あんなに血、血が、」 「何はともあれご褒美ちょうだいよ、俺はアンタを守ったんだから」
二の句を告げずにいるうちに、詩音の躯を神威の腕が貫通した。 ごぼごぼと溢れる自分の体内を流れていたモノに、目を見開く。
「バイバーイ、我儘お嬢様」
最後に見たのは、にこりと笑った化け物で。 きちんとアイロンのかかったスーツにべっとりと染み付いた赫が、不釣り合いだと思った。
「もしもーし、阿伏兎?目標殲滅。ついでに我儘お嬢様も殺しちゃった。・・・え?やーだなあ、わざとな訳ないだろ。ただちょっとあの子の命はどんな味がするのか、気になっただけ。・・・・・・わかったわかった、わかったから。だから阿伏兎は姑みたいだって言われるんだよ。え、俺しか言ってないけど。・・・あーもう五月蝿いな、あんまり五月蝿いといくら阿伏兎でも、」
「殺しちゃうぞ?」
彼女の味、どうだったかって?
(どうだったも何も、いつもと変わらない血の味がしたよ)
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