これは2部ずつコピーして部長に持って行ってもうひとつは保管用、こっちはミスがないか確認して提出、あれは午後の会議の資料だから人数分のコピー。 机に山積みの書類を前に、詩音は淡々とそれらを仕分けていった。 仕事のできる彼女は将来を有望視されており、・・・まあ、つまりはそつのない人生を送っていたという訳だ。
彼女も、今の現状に特段不満は抱いていなかった。 彼女もまた、平穏以上の、「普通の生活」以上の幸せなど無いと信じていたから。
平日は仕事に明け暮れ、休日は惰眠を貪り平日に備える。 遊びの約束もデートも、ばっさりと断ってきた。 ノリが悪いと言われようが「氷の女」と言われようが、知るものか。
「あ、コレ持ってくわ」
「結構ですから坂田さんは自分の仕事をしてください」
まァまァいーからいーから、と何がいいのか全くわからないが、坂田は書類の一山を持って行ってしまった。 はあ、と溜め息をつき、書類を抱えて坂田を追いかけコピー室に向かう。
「戻っててください、私一人でできますから」
態と刺々しい口調で言っても、この男には通じないらしい。 「でも二人の方が効率良いだろ?」なんて言ってへらりと笑われた。
私は、この男が嫌いだ。 へらりへらりと笑って、女の子に囲まれて昼休み(とも限らないが)の職場に喧騒をもたらし、そのくせ仕事もできる為上司からの評価もそれなり。
・・・自分の持っていないものを全て持っているようなこの男が、嫌いだ。
「なァ、詩音ちゃん」
「慣れ慣れしく呼ばないでください。私には坂田さんとそんなに親しくなった記憶はありません」
「今から親しくなりゃいーじゃん」
「・・・それは、」
「という訳でさ、今日上がった後に飯でも一緒にどう?」
「遠慮します」
「つれねーなァ」
坂田は何故か嬉しそうに言って、んー、じゃあどうしよっかなー、と考えこんでいる。 どうもしなくていい、と内心毒づきながら、詩音の中に以前からあった疑問がむくむくと頭をもたげた。
「・・・坂田さんは、」
「ん、何?」
「何故そんなに私に構うんですか」
彼を慕う女の子など、有り余る程いる。 それこそ、甘いものに群がる蟻のように。 いつも女の子たちといちゃこらしているくせに、こんな可愛気の無い女に構う意図がわからない。読めない。
「なんでって・・・すきだから」
「はあ。・・・はあ!?」
「すきだよ、」
コピー機から出てくる紙たちを眺めながら、「コーヒー飲みたい」と言うような軽さで坂田はそれを口にした。 きっと大勢の女の子に言っているであろうその言葉にも、鼓動は情けない程速くなる。
「かっ・・・からかわないでください、たくさんの女の子に同じこと言ってるくせに」
「言ってねェよ。群がってくるから相手してやってるだけだっつの」
とん、と一歩踏み出したかと思うと、坂田は既に詩音の目の前で。
「すきです」
真剣な瞳に、表情に、吸い込まれる。
「なァ、どうすれば伝わる?」
切ない声が鼓膜を振動させて、きっともう、駄目なのだと思った。
「・・・冗談だったら許さないわ」
精一杯の強がりで睨み付けると、坂田はいつものようにへらりと笑い、キスの雨を降らせてきた。
どうやったって戻れない、
(くらくらする程あまい蜜の味を知ったなら)
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