春を逃がした手のひら

 大人の女性と形容するには子供じみており、少女と形容するには豊満な体格を有した女性を初めて目にしたのは何時かと考える。
 これといって劇的な出会いがあったわけでもなく、誰かに紹介された記憶もない。気付けばそこにいたという単語がしっくりくるような自然さで、彼女は何時の間にやら奇異な集団の中に溶け込んでいた。
 自分たちが無意識の内に嫌悪感を持つ存在に良く似た表情を向けられても、不思議と彼女に対する嫌悪感は芽生えない。むしろ共にいて心地が良いとすら思える奇妙さを植え付けてくる彼女を言葉で表現するならば、好ましいという単語が相応しいだろう。
 周囲を見回しながら楽しげに歩く紅白を視界に納めながら、珍しく考え事に耽っていたことにマキナは気付いた。
「あ、いたいた。マキナさん」
 無言のまま立ちつくすマキナの方へと歩み寄ってくる紅白。ふわふわと揺れる髪に遙か過去、両手の隙間からこぼれ落ちていった春という季節を思い出し、マキナは僅かに目を伏せた後、近づいてくる異質な春をはね除けるよう硬質な視線を向けた。
「ちょっとお願いがあるんですけど」
「…………」
 答えぬマキナに気を害した風もなく、ミラは己の用事を眼前の男に告げる。
「マキナさんの拳って硬いんですよね?」
「…………あぁ」
「良かった! ちょっと私一人じゃ上手くいかなかったんで……」
 肩から掛けた軍服の内ポケットを探りながらミラが取り出した物は、収納場所と実寸が比例しない巨大な岩。何をどうしたらただの軍服から目視で直径一メートル以上と思われる岩が出てくるのか。そもそも、何故岩を持ち歩いているのか。
「……岩か」
 脳を掠めた数多の問いを一言に纏め無かったことにし、マキナは床に置かれた物質を確認する発言のみに止めた。
「どうしても上手く割れなくて……一撃必殺! をお願い出来ればなぁと」
 ミラが言うよう置かれた岩には殴ったような細かい傷が付いている。無感情に岩を見下ろすマキナを期待の眼差しで見上げるミラ。 嫌でも何を求めているのか理解させられてしまい、着実に減る選択肢を前にマキナが出来る事といえば重い息を細く吐き出すことくらい。
 時々……というよりもかなりの頻度でミラが黒円卓メンバーに無茶振りをしている光景は、忌みする既知感の中に嫌と言うほど収納されているが、何故か微笑ましいものとして内部処理されてしまうのがマキナの内に巣くう正体不明の感情を助長する。
「…………」
「どうですかマキナさん、ガツンと一発お願い出来ませんか」
 負の感情を引き起こす馬鹿げた内容であるはずなのに、叶えても良いと思えるこの思考はなんという名前なのだろかとマキナは改めて考え、眼前に立つ女を見下ろした。
「ミラ」
「はい、なんでしょう」
 柔らかな響きを伴って返ってくる音を聞きながらミラという存在を前にした時に抱く感情は、歳の離れた兄弟に向けるものではないかと仮説を立ててみると、空いたピースを埋めるようにすんなり胸の内に収まった。
 負の感情を向けるだけ無駄だと分かっているから、叶えるという手段しか残らない。
 ミラが与えてくるものは自己満足を満たすための切欠だと結論づけると、今まで感じてきた総ての感情が一纏めに出来るような気がする。そうして、そのように考える事が初めてではないと気付き、マキナは幾度目かの落胆を腹の底に沈めた。
「離れていろ」
「はい!」
 満面の笑みで岩から距離を取るミラを確認し、マキナは右の拳に力を溜める。無駄のない一撃の後綺麗に砕け散った岩を前に、ミラは改めて歓喜の声と礼を述べた。
「流石マキナさん! 本当にありがとうございます! これで雑巾のぬか漬けが作れますっ!」
「……ぬか漬け」
「ご存じないですか? ぬか漬け」
 喜々として東洋の調理法について語るミラの声を遮るタイミングを伺っていたら結局最後まで聞くはめになってしまい、マキナは喉の奥に引っかかったままの「間違っている」という単語を持て余した。
「雑巾とは」
「掃除用具の一つですけど、ご存じありません?」
「いや……知っている」
 知識として有してはいるが、雑巾という呼称を持つ物質とミラが言う用途が結びつかない。
「一年くらいぬかに漬けて、良い感じに発酵……はしないだろうから耐久度が落ちたところで、顔面アタックしてやりたいですねぇ」
 誰にとは聞かない。ミラが一人の存在に対してのみ攻撃的な行動を取っているのも、見知った光景の一つだからだ。
 だが、とマキナは口の中で呟き、未知の一つである可能性を脳裏に浮かべる。もしミラの行動が成功し、薄笑いを貼り付けた影法師の顔面にぬか漬けにされた雑巾が当たったとしたら。
 万に一つの望みも薄い結果を馬鹿馬鹿しいと切り捨てながらも、見てみたいと思わせるのは彼女の手腕なのだろうかと考え、幾度となく去来した謎の感情が胸中を占めるのを容認する。
「おめでたいことだ」
 ミラの計画に対してか、彼女自身が纏う色彩に対してか。
 凍結した身の内に渦巻く感情を音に変換し、どちらともとれる言葉を向けながら、マキナは無意識の内に口角を上げていた。
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