果ては無いと笑う夢を見た

 温度を感じさせない体にそっと寄り添ってみる。温度どころか実体があるのかすらも怪しい存在を前にし、全ての音や感情は無意味なのだと理解しているけれど、不可視な線引きを壊してやりたいといつからか願い始めた。
 頭一つ分高い身長、白磁のような肌。死人と形容しても過言ではないような存在を真横に捉えながら、眼下に広がる光景に目を眇める。
「秋は別れの季節なのですって」
 様々な赤が舞う空間を黄昏が染め上げ幻想的な風景を創り出す。
 同じように景色を眺めていても彼が考えているのはきっと女神のことで、隣に立つ私など気にも留めていないのだろう。世界の全てを抱く女神の愛は、生きる者全てを等しく包み込む。それが例え、世界から爪弾きにされた者だとしても。
「貴方の存在が無くなったら、私も亡くなるのかしら」
「さて」
 相変わらずの返答しか寄越さぬ影法師に苦笑を浮かべ、告げたかった言葉を口の中に押し戻した。
 分かってる、理解している。私達の間に男女の方程式を当て嵌めるほうが間違っていることくらい、嫌というほど分かりきっているのに。それでも、脆弱な人を真似たいと思ってしまう私は愚かなのだろう。
「元に、戻るだけ……かしら」
 小さな呟きは風に攫われるが近い距離にいたメルクリウスには届いたようで、気付かないほどの僅かな振動が触れた部分から伝わってくる。
「欠けることが許されるとでも?」
「気付かなかったくせに」
 都合の良い時ばかり思い出すのだから、忘れられていた身としてはたまったものではない。
 気付いて欲しい。忘れたままで良い。
 でも、逢いたい――。傍にいたいと思い、願う。
 独りで時を重ねる姿を見ているのは辛いし、なにより飽きてしまったから。
「メルクリウス」
 彼という存在を表す一つの名で気を引き、挑戦者の瞳で影法師を見上げた。
「離してあげないわ、貴方のこと」
 冷たい風に溶かすよう、極力温度を抑えた声色で告げる。
 無かったことになんてしないけれど、ほんの少しの逃げ道を確保するのは許されるでしょう?
「随分な言葉だな」
「宣戦布告よ」
「これはこれは、怖ろしい」
 思ってもいないことを言葉に変換して喉を鳴らす存在はいつだって逃げ道を確保していて、こんなところまで同じでなくていいのにと思ってしまった。
「たまには貴方から何か言ったらどうなの?」
 いつだって攻めるのはこちらからで、メルクリウスが率先して動く方が珍しい。元々傍観者の気質があるから仕方ないのかもしれないが、こういう場合男性の方が率先して動くものなのではないだろうか? そこまで考え、自分がまた普通の男女関係を脳裏に描いたことに苦笑を漏らす。
「私は、貴方とどういう関係になりたいのかしら」
 零れた音にメルクリウスの気配が少しだけ変わる。
 独りにしたくないと、傍にいたいと強く願うこの想いはどこからきているのだろうか?
 メルクリウスが女神に向ける想いの残滓が、私の感情となっているのだろうか?
「私が欲しいのは、なんなのかしら」
 根底を同一とする存在であるがゆえの悩み。
 私は私であるし、もうメルクリウスの残滓ではないけれど……それでも、落としどころのないこの感情にどう説明を付ければ良いのだろう。
「私は、貴方にとって……なに?」
 聞きたくて、でも聞けなかった単語を、一時の気の迷いと割り切って吐き出す。
「ミラ」
「私は『本当』がほしいの、メルクリウス」
 知りたいと願うことは許されるはずだ。
 用意されている答えがなんであろうとも、宙ぶらりにされているよりはずっと良い。
「つまらぬことを聞くのだな、君は」
「だって、つまらない女ですもの」
 同じ刻を生きることが可能な者として、一つの答えが欲しい。
「教えてよ、メルクリウス。それとも……求めることすら、許されないの?」
 近い距離にいるのに、吹き抜ける秋風が冷たい。結局私達の間には埋められぬ溝があるのだと見せつけられているようで、少しだけ悲しいという気持ちが胸を締め付けた。
「私が君をどう思っているか、か。なかなかに愉快なことを問うものだ」
「馬鹿な質問を投げてすみませんね」
「構わぬよ。それが他の誰でもない、ミラ。 君からの問いであれば、意味もある」
 今まで見たことのないような色を両の瞳に滲ませながらメルクリウスは薄い唇を開き、全てに飽いたと言わんばかりの声をもってして結末を紡ぐ。
「正直予想外であり予定外の存在であるという認識は今も変わらぬ。駒となりえぬ存在に意義は無く、邪魔でしかないという考えも変わらぬ。ただ――面白いと感じているのもたしかだ。君は私の予想を裏切り続ける存在であるがゆえに、私の目を引く」
 淡々と語るメルクリウスに感情の起伏は見られない。事実のみの述べる存在に、少しでも好ましいと思えるような感情を向けて欲しいと考えた私が馬鹿なのだと分かりきっていたのに。
 これ以上聞いたところで虚しくなるのは私の方で、聞かなければ良かったと後悔するのは目に見えているから、これ以上惨めな思いはしないようにとメルクリウスの言葉を遮ろうと思って。
「なればこそ、認めよう。私にはミラしかいないのだと」
 一瞬何を言われたのか理解出来なかった。
「どうした、求めた回答とは違うかね」
 揶揄するように上がる口角が、してやったりと笑う瞳が、近づいた距離が――。
「……遅いわよ」
 漆黒の腕の中にいるのだと気付いた頃には掠れた声しか紡げなくて、自分の情けなさに泣きたい気持ちに陥った。いつから私はこんなに弱い存在に成り下がったのだろう。あてのない旅をしている間に摩耗してしまったのだろうか。
「まったくもって面倒な存在だな、君は」
「貴方に言われたくないわ」
 外気に晒され冷えているのに温かい。
 今だけは、この温もりが私のためだけに与えられているのだと信じていいだろうか。
「メルクリウス」
「ご要望のままに」
 喉を鳴らしながら強められた拘束に安堵の息を付き、薄い背中に両手を回す。初秋の風が吹き抜けるビルの屋上で何をしているのかと思わなくもないが、今はただ与えられた答えを満喫したい。
 この物語に果ては無く、悲喜劇は今でも続いている。
「私としては大団円が良かったのだけれど」
「君の愚かさは称賛に値するな」
「一応ありがとう、と言っておくわね」
 未来が閉ざされていても、楽しむ事は出来る。
 だから、今は笑っていよう。
 終わりなき物語と終わりなき旅に敬意と畏怖の念を込めて、回した腕に力を込める。


 そんな、夢を見た。
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