木曜日の好敵手


 数日前からセプター4ではライオンを飼うことになった。
 以前から異能を有する白馬のストレインを保護しているというのは聞いたことがあるが、未だ見たことはない。なんでも道明寺さんが馬のストレインを毛嫌いしているらしく、彼がいる時はあまり話題に出さないのが暗黙の了解となっている。
 ぱっと見はヘラヘラしていて子供が書いたような絵日記のような報告書作成マシーンだとしても、編成前の部署で隊長を務めていたらしい道明寺さんの実力は本物で、彼の下に就いていた日高さん達は今でもちゃんと道明寺さんとの間に一線を引いているようだ。
 といっても、やはり普段のやりとりを見ていると敬っているようには見えないのだけれど、本人達が言うのだからそうなのだろう。
 最近は次から次へと厄介事が舞い込みバタバタしている為、部署内に入り浸っているのは私だけという状態だ。
 一人で仕事をすると普段よりも捗るのが良いのだけれど、やっぱりいつもの騒音が無いのは少しだけ寂しいと感じてしまう。
 早く事件が一段落して皆が戻ってくれば良いのに。決して他人には告げることのない台詞を呑み込んで、後日回って来るであろう大量の請求書に気疲れを抱きながら、ライオンの世話をすべく席を立った。



「今日のお昼はサラダとオムライスにしてみたんですけど」
 牢屋に入っているライオン――赤の王、周防さんに話しかけても、寝ているのかこちらに背を向けたまま振り向く気配がない。
「周防さーん、お昼ご飯の時間なんで、こっち側まで来てもらえませんかー!」
 何度も呼びかけていると、煩いと言わんばかりの雰囲気を纏い奥で眠っていたライオンが身体を揺らす。
「多分美味しいと思うんですけど」
 眉間の皺を三割り増しにして振り返った周防さんに見せるよう持ってきた昼ご飯を見せ、大きな図体を揺らしのそのそとライオンが近づいてくるのを待った。
「冷めないうちにどうぞ」
「……」
 根負けしたと大きなため息を付き、周防さんは差し入れたご飯を義務的に咀嚼しはじめる。
 赤の王ということで最重要扱いされている割には大人しい……といったら違和感があるかもしれないが、私の知る周防尊という人間は前々から緩い雰囲気を纏っていた。
 定期的に攻撃的な欲求が衝動となって襲いかかっているらしいが、それも草薙さんがぽろっと零した事なので、私の中では聞かなかった事として処理されている。
「お前が、連絡を入れたんだってな」
「ん? ああ、十束さんの事ですか? まぁ……どちらかといえば私達の仕事だと思いましたので」
 仕事帰りに息抜きをすべく寄ったビルの屋上で、見知った顔が血まみれで倒れているのに驚いたのは数日前の出来事だ。
 とりあえず病院に連絡を入れて、後から駆けつけてきた八田さん達を宥め……とてつもない疲労を抱えたまま翌朝出勤すれば、室長が直々に現場へ赴いているとの情報を得ると同時に、戻ってきた淡島さんから拘束された周防さんの世話を命じられた。
 目まぐるしいという単語がぴったりの毎日を送っているせいで、寿命がガリガリと削られているような気がする。
 これで赤と青のクランが衝突し、また器物損壊の請求書が大量に送られてくるかと思うと……。
「天乃」
「あ、はい。お口に合いませんでしたか?」
「いや……悪かったな」
「ああ……いえ、お構いなく」
 周防さんの言葉が十束さんの件を差していると察し、「仕事ですから」と割り切った言葉で対応した。
 誰だって見覚えのある人間が無惨な姿で倒れているのを見るのは辛い。それでも、やらねばならぬことはあると己に言い聞かせ、今日もこうして生きている。
「早く見つけますから」
「……」
「だから、野菜もちゃんと食べて下さいね」
「……」
 無言のまま口を動かす周防さんを取り巻く気配が変化したのを感じ取ったのと同時に、ポケットに仕舞ってあったタンマツが小刻みに震え着信を知らせてくる。
「あれ、珍しい」
 己の同僚である不機嫌の塊のような男の名前が表示されたディスプレイを見つめ、周防さんに断りを入れ離れた場所で着信を受ければ、やはり不機嫌で構築されているような伏見さんから「今すぐ来い」と謎の指令を受け取るはめになった。



「学校なんて何年ぶりだろ……」
「チッ……余所見してんじゃねぇよ」
「はぁ、すみません。でも何で私が呼ばれたんですか? 伏見さんは単独行動大好き人間ですよね」
 ゴミを見るような視線を私に向けながら、舌打ちが返事代わりだと言うように伏見さんは言葉を発する事なく猫背で前を歩いていく。
 付いてこいと言われているのは理解できても、やはり良い気分にはなれないと小さな息を吐き出しながら、綺麗に整備された学園内を歩いていると妙に人気が少ない事に気付いた。
 春休みには未だ早い期間だろうし、もしかすると試験休みかなにかだろうか。
 それとも、近頃の学生は授業日数が少なかったりするのだろうか。そんなとりとめもない事を考えながら歩いていたら、いつの間にか伏見さんと距離が開いていて慌てて駆け寄った。
 何処に行くのかとか、何処を目指しているのとか。そういった類の質問を、伏見さんは全て背中ではね除ける。
 仕方なく午前中の出来事を振り返ってみたが、思い出せたのは淡島副長が何かの通達をしている光景だけだった。
「っと、伏見さん?」
 迷いのない足取りで向かった先にあったのは、変哲のない部屋。
 部屋の名前を表すプレートもないし、この中に何があるのか想像も付かないけれど、伏見さんのことだから下調べはきっちりしてきているのだろう。
 元情報課のエリートには何でもお見通しなのだと、脳内でお笑い番組のテロップを付け加えてみたら、何故だか伏見さんがこちらを睨み不機嫌さを全面に押し出した。
「待ってろ」
「はぁ、分かりました」
 見張りの番をさせる為に連れてきたのだろうか。そんな事を考えている間に伏見さんは部屋の中へ入ってしまい、後に残されたのは奇妙な静寂だけ。
 私達セプター4の人間が民間人から好意的な感情を持たれているとは思わないが、やはりこの学園は静かすぎると不信感を募らせても、現状が好転するわけでもなく暇な時間を持て余すだけで終わった。
「こんな事なら他の人にやらせればいいのに」
 わざわざ内勤の自分を呼び出してまでやらせる仕事ではないと考えてみても、伏見さんのことだから嫌がらせの一種という可能性も捨てきれない。一度疑念を抱くと堂々巡りになると分かっているのに、つい考え事に没頭してしまうのは暇だからだ。
 人気の無い廊下にぽつんと立たされている様は、古い漫画に出てくる仕置きの光景を良く似ている。これで両手にバケツを持っていれば完璧だと自嘲の声を微かに漏らせば、己の紡いだ音に呼応するよう室内から微かに物音がした。
「伏見さん?」
 待っていろとは言われたが、入るなとは言われていないと胸中で伏見さんの揚げ足を取り、なるべく音を立てぬようゆっくりとドアを開閉させる。
「あれ?」
 たしかに部屋に入ったはずなのに、伏見さんがいない。
「かくれんぼ……は伏見さんのガラじゃなさそうだしなぁ」
 一体何処に消えてしまったのかと悩みを抱いたのも束の間、外から聞き覚えのある罵声が響いてきたのと同時に、部屋の一番端にあった窓が開けられているのに気が付いた。
「ああ、八田さんが来てたのかぁ」
 赤と青の火花が散る様を見つめながら、どうすべきか考える。
 伏見さんの事だからこの学園に来た目的は既に果たしているのだろう。となれば、邪魔者と認定され室外に放置されていた私に与えられた任務も完了した事になるのではないか。
 あとは余った時間を伏見さんが八田さんとじゃれ合うのに使っていたとしても、私という個人に対するペナルティは産まれないはずだ。
「学食でも行ってみよ……って、ちょっ、伏見さーん! 物壊さないで下さいよ!」
 周囲にあった建造物の破片を捉え慌てて声を張り上げれば、伏見さんよりも先に八田さんが驚いたような声で私の名前を呼ぶ。
「誰が始末書とか購入の手配すると思ってるんですか! これもそれも全部市民の方が支払ってる税金でまかなわれるんですよ!? せめて物理的なものじゃなく被害のでない……そう、口げんか! 口げんかがイイと思いますーっ!」
 窓から半身を乗り出させ主張を繰り返すと、聞こえぬはずの伏見さんの舌打ちが耳朶を通り過ぎ虚空へと消えていく。おそらく水を差されたとか、ヤル気を無くしたとか、そんな愚痴をあとで延々と聞かされる事になるのだろうけれど、今は被害総額を抑える事が私の第一任務だ。
 そうこうしている間に淡島さんが二人の間に入り、事態は収束して本部に戻る事になったのだけれど……。案の定、後処理にとりかかった私を待ち構えていたのは、伏見さんからの途切れない呪詛のような愚痴だった。
「だから、すみませんって言ったじゃないですか」
「謝って丸く収まるなら警察なんていらねぇよ」
「またそういうへりくつを……」
 どこから出てくるのかと思うほど、流暢に私への愚痴を連ねる伏見さん。
 伏見さんの小言をBGMに作業していても効率が落ちるだけだと、液晶画面から視線をずらし横に座っていた伏見さんへ焦点を合わせると、「なんだよ」とバーHOMURAでよく見た仏頂面が胡乱げな瞳をこちらに向けていた。
「伏見さんお腹減ってるんじゃないんですか? ほら、腹が減っては戦が出来ぬといいますし、血糖値とか下がって怒りやすくなってるのかも」
「……紗代」
「はい、なんですか?」
「紗代が作ったのなら食う」
「……作れと」
 偏食大王の伏見さんの為に存在するレシピなんてほとんど無い。それこそ、私が包丁を握ったらごくごくありふれたとことん普通の食べ物しか作り出せないというのに。
「草薙さんみたく料理上手じゃないんですけど」
「煩い、アンタは黙って作ればいい」
「はぁ……横暴」
 仮にも上司にあたる伏見さんにこんな言葉遣いをするのはどうかと思うのだが、今は私達以外の人間がいないので大目に見てもらおう。
「運んでくるの面倒なんで、伏見さんも一緒に来て下さいよ? 私よか権限あるんですから」
「へぇ? 権限とか、そーゆーの気にするんだ」
「社会人として当然でしょう。ほら、食べたいなら早くする」
「命令してんなよ」
「命令させてるのはどっちですか」
 相変わらず呪詛のような文句を垂れ流しながら腰を上げた伏見さんの背に両手をつき、前へ押し出すようにして歩くという行為を催促する。
 普段は他者に触れられるのを極端に嫌う伏見さんではあるが、どういうわけが稀にこうして甘えているようなやりとりを投げつけてくる事がある。
 それは多分、八田さんと何かがあった時で、部内に引きこもり外の情勢になど興味在りません。といった風を貫いている私だからこそ、伏見さんはこうしているのかもしれないが……なにやら、敵外心の強い猫が少しだけ尻尾を振っているように見えて、可愛らしいと思うのは内緒だ。
「伏見さーん、たまには自分で何か作ったらどうですか? どうせ栄養補助食品とか、そんなものしか食べてないんでしょう?」
「煩い」
「はいはい、すみませんね。でも、あまりにツンデレがすぎると攻略したくなっちゃうので、微妙な琴線を揺らすのは控えて下さいね」
「はぁ?」
 私の紡いだ台詞の意味が分からないと、顔だけ振り向いた伏見さんを力一杯押しながら食堂へ向かう。
 時刻はすでに0時近く。人気の無くなった通路を歩きながら、薄明かりの付いている食堂へと足を踏み入れ――。
「チッ」
 間近で聞こえた舌打ちの対象を確認すべく伏見さんの後ろから頭を出せば、何故か食堂の真ん中に突っ立っている我らが王が「奇遇ですね」と見当外れな声を上げ、思わず私まで舌打ちめいた音を漏らすはめになってしまった。
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