水曜日の家族

「そういえばさ、天乃って兄弟とかいるの?」
 たまたま食堂で鉢合わせた、日高さんと秋山さんという珍しいペアを前に蕎麦を啜る手を止め、自然な動作で目の前に腰を下ろした二人組を見遣る。
 昼時の食堂は混み合っており、同席するのも当然といえば当然なのだが、どうにも秋山さんと日高さんというツーショットに慣れない。なんとなく秋山さんの隣は弁財さんというイメージがあるし、日高さんの隣は後藤さんというイメージが払拭しきれない。
 まぁ割り当てられた仕事の関係上、普段とは違うペアで行動するという事もあるだろうけど、それにしても珍しいと本日何度目かの「珍しい」を胸中で唱え、私は蕎麦を啜る作業を再開させた。
「兄と姉がいましたよ」
「いましたって……えっ、もしかして地雷踏んだ系……?」
 やってしまったと眉根を寄せる日高さんと、無言を貫く秋山さん。
 陰鬱な空気を醸し出す二人を前にしていると、なんとなく蕎麦の味が薄まってきたような気がしたので、机上にあった一味を思いっきり振りかけた。
「いえ、別に。姉は亡くなりましたが兄はちゃんと生きてますし……。ただ、ちょっと遠い所にいるので気軽には会えないですが」
「おや、そうなのですか」
 蕎麦を食べる手を再開させながら、何故この二人が自分に対し質問を投げかけてきたのか考える。
 食堂が込んでいるから相席を余儀なくされたのは分かる。同じ部署に常駐していても仕事内容が違いすぎるために、互いに話しかけづらい雰囲気……つまり、若干の苦手意識を持っているという自覚はある。
 身内の構成を引き合いに出すのは、天気に続いて使いやすい話題であるのも分かるのだけれど、何故それが大勢の人間がひしめき合っている食堂なのかと。
 日高暁という人間は気安くて人懐っこく、誰とでもすぐに仲良く慣れる程度のコミニュケーション術を持っている事は知っている。
 だから、忙しくないときに限り私も雑談を交わす程度の仲に収まっているのであって――いや、問題はそこではない。
「宗像室長、どうして隣に座っていらっしゃるのでしょうか」
 いつの間にか空いていたはずの席に腰を下ろし、いつもと変わらぬ食えない笑顔を張り付けた我らが上司、宗像礼司が隣に鎮座しているのか。そしてどうでも良いような私達の会話に入ってきているのか。
 百歩譲って、私の場合食事に夢中で気付かなかったと言い訳をしても許されるだろう。
 だが、現在進行形で彫像の様に固まっている秋山さんと日高さんは、室長が私の隣に座るのが見えていたはずだ。
 なのに、二人とも顔色を変えず、私の声に促されるようにして初めて気付いたといわんばかりの態度をとるのはどういう事なのだろうか。
 分からない、理解に苦しむ。それとも、王という存在は完全に気配を殺して、自分をいないものと錯覚させられるものなのだろうか。
 考えている間にも重苦しい空気は伝染し、気付けば私達の周囲に溢れていた雑音は、自分の心音が聞こえるくらいまで消えていた。
「お昼ご飯を摂りにきたのですよ」
「はぁ……室長も食事摂るんですね」
「おい、日高!」
「あっ!」
 まごうことなき失言を目の当たりにしても、我らが王は薄っぺらい笑みを崩すことなく洗練された動作で割り箸を手にする。
 どこぞのお坊ちゃんや御貴族様。と言われても信じてしまいそうな雰囲気を醸しだしている存在が、きっと十円にも満たない一膳の箸を使って食事をしている光景が妙に面白可笑しい。
「構いませんよ。それで、天乃君にはご兄姉がいらっしゃるのですね」
「はぁ、まぁ」
 なんだか食べる気が失せてしまったと水の入ったグラスに口を付けたら、斜め前に座っていた日高さんが良いことを思いついたと言わんばかりの笑顔で、「天乃の兄姉は何の仕事してるんだ?」とこれまた非常に答えづらい質問を投げてきた。
 特務課に常駐していても、現場に出ない私は寮生活を強いられていないので、二駅ほど離れたマンションに住んでいる。
 日高さんにとってはセプター4に通っている私の生活に興味があるのかもしれないが、事実を口にしてしまうとまたもや場の空気が白けてしまいそうで言いづらい。
「だってよぉ、妹がセプター4で働いてるとなると、色々心配とか不安じゃないのか?」
「こんなご時世ですからね」
「天乃とは違うが、弁財はいつも妹の心配をしているな」
 職業柄恨みを買う場合も多く、身内に被害が出るのではないかという心配は隊員達の心中に根付いているらしい。
「空気が悪くなるのを覚悟で言いますけど、うちの場合は両親が他界してまして。姉は鬼籍に入ってますけど兄は室長と同じで殺しても死にそうにないので、まぁそういった類の心配とは無縁の生活をおくってますね」
「あー……」
「日高」
「スミマセン」
 自分を引き合いに出されたにもかかわらず、室長は音も立てずに蕎麦を食べている。
 制御を司る存在は、蕎麦つゆですら制するのかとどうでもいい事を考えていたら、完全に食欲が失せていた。
 残すのは作り手の人に申し訳ないと思っていても、のびきって温くなった蕎麦を食べていたら余計にテンションが下がってしまう気がする。
 午後の仕事量を考慮しても、最低限のモチベーションは確保しておかないと危険なので、色々許して貰いたい。
「あーあ、それにしても天乃の兄姉なら、きっと美人なんだろうなぁ」
「は?」
「……日高」
「えっ!? だって天乃可愛いじゃん?」
 面と向かって言われると正直困る。
 悪気が無いと分かっているからこそ、面倒臭い。
「室長は」
 日高さんへの対応に困り、わざとらしく主語を抜き隣に座っている存在へと話題を振れば、「兄がいます」と予想外の回答がもたらされ答えに窮した。
「室長にお兄さん、ですか……あまり想像出来ません」
「あーわかるわかる。なんていうかこう……」
「日高」
 さっきから日高さんの名前を呼んでばかりの秋山さんは、胃が痛むのかそっと片手を該当箇所に当てている。
「私とて始めからこうであったわけではありませんよ」
「まぁ、当然ですよね」
 想像出来ねぇ、と天井を見上げながら呟いた日高さんの食器はいつの間にか空になっていて、何気なく見遣った室長の器もいつの間にか黒い汁だけが残されていた。
 昼過ぎの食堂に、王と呼ばれる人間と特別に編成された特務隊の呼称を抱く人間が、合わせて四人。
 なんだか不思議な光景だと今更ながらに認識を新たにする。
 普段、特務隊の人達は宛がわれた部署内で昼食を摂っている事が多い。
 仕事が忙しいせいもあるが、いつ召集が掛かるか分からないという緊張感から、自然とすぐに動ける場所に集まってしまっているのだ。
 その内の二人が食堂に現れた事がそもそも不思議、と称するに値する出来事であるのに、更にプラスアルファで謎が服を着て歩いているような存在まで出現しているとなると、やはりこれは異質と表現するのが相応しいだろう。
 執務室でパズルをしているか、茶を点てているか、はたまたふらりと何処かへ出かけてしまっているか。
 室長のスケジュールを把握しているのは主に淡島さんで、室長に用事があるのは主に伏見さん。
 つまり、この二人以外の人間と室長の間にある関わりは薄く、別に何処で何をしていようが気にもならない……はずであったのに。
「なんか不思議だよなぁ」
「何がだ?」
 私と同じように水を飲みながら、ぼんやりとこちらを見ていた日高さんに隣の秋山さんが先を促す。
「天乃って室長の事あんま好きじゃないよな?」
 日高さんの声が、食堂内に響き渡る。
 まるで水を打ったかのように音が消失した食堂内で、私は言われた言葉の意味を考えていた。
 たしかに、私は宗像礼司という存在に対し、あまり良い印象を抱いてはいない。というか、セプター4の人間ならば宗像礼司という存在に対して、何かしら思う事はあるだろう。
 他の人が抱く感情が、私の場合は「見返してやる」という名の挑戦状になってしまっているだけだが。
「おや、それは悲しいですね」
 自分とは違う存在へ対する畏怖ならば、誰の内にも住み着いている。
 特に、王という呼称を抱き絶対的な力を有する存在に対しては、誰もが一線を引き自らの保身を確保しているだろう。
 だからこそ、腹が立つ。
「試された、という意味合いでしたら、まだ及第点を頂いていないので、こちらとしても気を抜くことの出来ない状態ですね」
「え? それってどういう?」
 隣で薄い笑みを張り付けている室長を見遣り「言っておきますが」と前置きした後、残っていた水を一気に煽って息を付いた。
「私には貴方達の態度の方が意味が分かりません。貴方達……というか、此処にいる人間全員ですかね」
「天乃?」
 自分達の尺度で勝手に測るから、いらないものまで付いてくるのだ。
 原始的な感情を綺麗さっぱり吹き飛ばせ、というのが無茶なのは理解しているけれど、勝手に怖がって勝手に敬って、そうして勝手に距離を置いて理解の範疇を越えると決めつけるのは、相手に対して失礼なのではないか。
「いくらヘンテコな力を持っていたとしても、元は普通の人間ですよ。必要以上に敬う必要も、警戒する必要も無いでしょう。なんで、そんな単純な事が分からないんですか」
 私の兄と姉は頭の良い人だったから、自分達の出した……出しそうな答えを勝手に決めつけて雁字搦めに縛られていた。
 無限に広がっている可能性を自分で狭めて取得選択して、そうして残った答えを前に悲劇ぶるのはたんなる自己陶酔だ。
 だから、王という存在から力を与えられ、王の下で働くことになった兵士であっても、考えることを放棄するのは怠慢だと私は思う。
 言いつけを守るだけなら子供でも出来る。
 でも、私達は分別を弁えた大人だ。異能を取り締まる権限を持つ、大人なのだ。
「そうやって勝手に距離を取るから、独りになるんですよ。独りに、させてるんですよ」
 希望などといった楽な言葉で表現できる感情を押しつけて、自分達の望む偶像を投影して。
「お、おい……天乃?」
「あーなんかイライラしてきました。折角空腹が満たされたのに幸せな気分が台無しです、最悪です。やっぱり私は室長の事があまり好きじゃないみたいです」
「それは残念ですね」
「はい、残念に思っていて下さい。ついでに言わせて頂きますけど、残念だと思うなら一度こちらまで降りてきてみたら如何ですか」
 言うべき事は言ったと、重量の残るトレーを両手に持ち席を立つ。
「お先に失礼します」
「午後も頑張ってくださいね、天乃君」
「言われずとも明日までには全ての書類を完成させてお持ち致しますので、到着後三時間以内に決済完了をお願いします」
 軽く一礼し不穏な空気が漂っていた場所を離れれば、何故だか持っていたトレーの重みが増した気がした。



「日高、失言にもほどがあるぞ」
「すみません……」
 宗像もいなくなり、すっかり人気の無くなった食堂内で、秋山はグラスに半分ほど残っていた透明な液体を喉に流し込んだ。
 一時期はどうなることかと肝を冷やしたが、紗代が席を立ってからすぐに宗像も食堂を後にしたので、秋山が医務室に胃薬を取りに行く事態は避けられた。
「いや、なんつーか俺らって天乃の事あんま知らないじゃないっすか」
「そうだな」
「雑談程度はしますけど、いつもは上辺だけ……つーか、こっちに合わせてるような気がするっていうか」
 歯切れの悪い日高を横目で見ながら、秋山は数分前の光景を脳裏に投影する。
 普段通りの笑みを浮かべたままの宗像と、少しばかり機嫌が悪そうな紗代。
「あいつ、なんなんでしょうね」
「さぁな」
 ある日突然現れた同僚たる人物は、他の隊員達とは少し違う。
 青の王である宗像に対し攻撃的な感情を抱き、あまつさえ王を普通だと言い切る図太い神経。
 たんに考えなしなのか、それとも――とそこまで考え、秋山は脳内の紗代が席を立ったのを切っ掛けに、映像の再現を止めた。
「引いてないっていうか物怖じしてないっていうか……上手く言えないけど、こう……しっくり、くる、みたいな?」
 漠然とした日高の台詞に賛同するのは難しい。
 難しいはず……なのだが。
「そうだな」
 隣同士に座って特に身構えることもせず、普通に会話をし食事を終え席を立った紗代は、どこまでも『普通』なのだ。
 王たる宗像の隣に在っても違和感を感じさせないのは、一体どういった要素が働いているのかと秋山は首を傾げるが、簡単に出てくるような答えならこうして悩んでいないと意識を切り替え、現在時刻を確認する。
「あと十分だぞ」
「げっ! デザート食べてないのにっ!」
「諦めろ」
「ううっ……はぁ。厄日だ」
 空になったトレーを持って秋山と日高は席を立つ。
 不満を口にしながら前を歩く日高を見つめた後、秋山は空席になっている前の席を何気なく見遣った。
 青の王と、女版伏見と呼ばれる存在達が座っていた場所。
 空いている片手を首の裏に当て思考に耽っていたら、「秋山さんー」と間延びした日高の声が秋山を現実に引き戻した。
「いま行く」
 見慣れたはずの空白に何故だが温かみがあるような気がしたが、全ては精神疲労からくる認識相違だと意識を切り替え、秋山は午後の予定を思い返す事により先程の光景を脳内から消し去った。
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