金曜日の戦友

 定期的に黄金のクランズマンと備品の調達について打ち合わせをするというのが、私に与えられた仕事の一つだ。
 ウサギの面を被った人物は皆同じにみえ、いつも打ち合わせをしているのが実は違う人でした、と言われても私に見破る術はない。
「備品の方はこれで。あと、こちらが先月までの支出になりますのでご確認下さい」
 言葉を発さず頷くだけの相手と、どのようにしたら意思の疎通が出来るのかと当初は不安に思っていたが、いざ仕事を始めてみれば無駄口で己を武装する人間よりもよっぽどやりやすいという事に気付いてしまった。
 書類に疑問点があれば、相手は軽く首を傾げ問題となる部分を指先で二回叩く。
 何事もなければ私の説明を聞き、頷き一つで仕事は完了だ。
 シンプルすぎる対応は時間の無駄を省き、お互いに利を与えるものであると今なら確信が持てる。
 今月の仕事もこれで一段落だと軽いため息で唇を震わせ、相手が書類を茶封筒に入れるのを見ながら帰りに草薙さんのバーで遅い昼食を摂ろうと心に決めた矢先。
「御前がお呼びです」
「え?」
 いつの間にか入り口に立っていた別のウサギから発せられたと思われる声に瞬きし、今し方まで相対していたウサギへと視線を戻せば、そこは始めから誰も居なかったと言わんばかりの空白が広がっていた。



「お呼び立てとは珍しい事もあるものですね。何か見過ごせぬ不備でもありましたでしょうか?」
 余分なものが一切無い広間は、ワンルームを拠点として日々を過ごしている私にとって居心地が悪い。
「気付いておるのだろう」
「昨日の事件でしたら、ニュースで見ました」
 空を遊泳し続けていた飛行船が、地に足を付けた。一般市民にとってはたんなる墜落事故であるはずの事件は、一部の者達にとっては大きな意味を持つ。
 墜落したのは、第一王権者である白銀の王の拠点となっていた飛行船。
 そして、時を同じくしてセプター4から脱出した赤の王、周防尊。
 異常な事態が進行し続けている現状は、重苦しい息苦しさとなって私の臓腑を凍結していく。セプター4という青の領域に身を置く私にとっても、他人事では済まされない事件の羅列は、いつかの昔、消化したハズの感情を力一杯揺さぶる効力を持っていて、気分が悪い。
「アレをどう思う」
「さぁ……私には」
「数分前まで青の小僧が来ておったわ」
「承知してます」
 これでも、青のクランズマンですから。と言葉を連ねると、黄金の王は眉間の皺を深くし、わざとらしいため息で大気を揺らした。
「懐かしい、と思うことがあります」
 眼前の黄金から視線を逸らし、背後に存在するある一点へと意識を向ける。
 そこに何が在るのかは、説明されなくても理解出来る。
 先の言葉通り、懐かしいと思うような、懐かしいと思えるような存在が黄金の庇護下にある事を理解しているから、不安や不満といった負の感情を抱く必要はない。
 ただ、ひどく懐かしいと。郷愁の念と呼ばれる感情を揺さぶる程度の効力を持ったそれを近くに感じてしまえば、自然と時間が巻き戻ってしまうのも仕方がないというもので。
「あなたには迷惑をかけますね」
「――」
 微かに紡がれた音は聞かなかった事にした。
 今の私は彼女ではないし、それに。
「私は貴方から頂いた名前を気に入っておりますので」
「紗代」
「はい、何でしょうか中尉殿」
 両目を眇め口元に薄い笑みを引けば、眼前に広がるのは懐かしい光景。
 あの頃、自分達の研究が人の役に立つのだと信じて疑わなかった天才達と、戦時中だというのに不思議なまでの穏やかな空間が、たしかにあの場に存在した。
「中尉殿には私達の事でご迷惑をお掛けっぱなしで……上二人に代わり、お礼を言わせて頂きます」
 畳に三つ指を付き頭を下げると「止めて下さい」と、存在しないはずの若い声が聞こえた気がした。
「迷惑ついでに、一つよろしいでしょうか」
「なんだ」
 頭を上げ立ち上がり、数メートル以上離れた場所にいる黄金の王へ向けるのはある種の懇願だ。
 日本という国の頂点に立つであろう存在に対し、礼儀がなっていないと怒られそうだが、これは他の誰でもない、黄金の王である存在にしかお願い出来ない事なのだから、百歩も二百歩も譲って頂くしかない。
「近々、私は眠りにつきます」
「それは、確定事項なのか」
「はい、おそらく」
 自分の胸に片手を当てゆっくりと瞼を伏せると、目の裏を染めているのは混じりっけのない一つの色だ。
「騒ぐんです。全てを、と」
「……」
「だから、もし」
 少ない言葉を何度も吟味し選別して、最後に残った一番大切で重要なものだけを口の中に残し、静寂が支配する間に一つの願いを投下する。
「わたし、に会いに来る人がいたら。対面させてもらえますか」
「紗代に、か」
「はい。わたしに、です」
 予感がある。
 きっと私に会いに来てくれる人こそが、私という人間の止まった時間を動かすのだろうと。
 だから、これは賭だ。
 自分自身をチップにした、勝敗の分からないゲーム。
「他ならぬ貴女の頼みとなれば、聞き入れないわけにはいきますまい」
「ありがとうございます」
「して、勝率はいかほどに」
「そうですね……五分五分……いえ、一割あれば良い方ですかね」
 私の言葉に絶句したと言わんばかりの気配を纏う黄金の王は、どこか幼くも見える。まぁ当然といえば当然だ。誰だって負け戦と呼ばれるものに秘蔵品を賭ようとは思わないだろう。ハイリスク、ノーリターンなゲームに高額投資するのは狂人の専売特許だ。
 だからこそ、これでいいのだと確信する。
 私という人間は真っ当なものではないし、普通に生きることは疾うの昔に諦めているのだから。今更大事だと両手で抱え込んでいても、醜く腐らせていくだけだろう。なればこそ、一世一代の賭だと言わんばかりの狂気を総動員して、存在するかも定かでない霧の向こう側へ戦いを仕掛けるのがオツなのだ。
「まったく、一度決めたら突き進む。あなた方は変わらない」
 どこか呆れたような、苦笑を交えた声色をため息に乗せて吐き出した黄金の王は、あの日よく見た複雑な感情を乗せた瞳をこちらに向けていた。
「不変らしいですからね」
「そうであったな」
 忘れるはずがないのに、忘れたフリをしてくれる黄金の王は、優しい。
「似てますか」
 疑問ではなく断定的な音を相手に向ければ、懐かしい者を見るような視線で私を一瞥し「そうですな」と肯定的な音を王たる存在は紡いだ。



「遅かったですね」
「……室長?」
 先に帰ったはずの青の気配がある事に驚くと共に、まさか青の体現者がいるとは想像もしていなかったので、毒気の抜かれた阿呆面を相手に晒してしまった。
「用事は済んだのですか」
「え? あ、はい。滞りなく。後ほど来月分の備品予算を纏めた報告書をお持ちします」
「お願いします」
 なんだか分からないまま公用車に連れて行かれ、何故か長靴を脱ぎ車の中だというのに畳の間に上がり、これまたどういうわけか室長の点てたお茶を口にしている。
 一体何がどうしてこうなった。
 とりあえず出されたお茶を飲みきってからが質問タイムだと割り切り、舌の上を滑る苦みを味わいながらゆっくりと茶碗を傾けていく。
「天乃くん」
 私が飲み終わるタイミングを見計らって掛けられたような言葉に、持っていた茶碗を畳に置きこちらを見ていた青色に視線を合わせる。
「きみにとって王とはなんですか」
「は……?」
 宗像礼司という男が過程をすっ飛ばしてくる存在だというのは知っていたが、あまりに抽象的すぎる質問を投げかけられてしまうと、返答を模索する暇もない。
 むしろ、それこそが狙いだと言わんばかりに笑みを深める室長は性格が歪んでいると思うのだが、この人にとっては全てが当然のことであり、受け答え一つにも綺麗に舗装された道が設けられているのだろう。
「王、ですか」
「はい。王です」
 常に飄々としている存在の度肝を抜いてやりたいとは思っても、上手い切り返しは先程のお茶と共に流れてしまったような気がする。
 特にコレと言って切り札も用意出来ないまま散在している思考をかき集め、とりあえず見える形にまで構築し相手へ向ける第一投とした。
「面倒臭いもの、ですかね」
「ほう。何故、と聞いても?」
「臣下たる存在を纏めなければいけないのもそうですし、地位というものは何かと自由を束縛しますから」
 中には赤の王のように年がら年中惰眠を貪っている存在もいるが、基本的に立場のある人間というものは規制や規約といった約束事に縛られている事がほとんどだろう。
「興味深い答えをありがとうございます」
「はぁ、いえ。こちらこそお耳汚しを」
「ときに、天乃くん」
 まだ何かあるのかと軽く眉尻を上げた私を見ないまま、室長は慣れた手付きで二杯目のお茶を用意し私の前に置いた。
 これは無言のお代わりを受け取れという意味なのだろうか。
 さすがに茶菓子の無い状態で濃いめの抹茶を飲んでいると、口の中が苦み一色で染められてしまうのだけれど、上司たる人間から与えられたものを拒否する権利は部下にない。
「王とは、なんだと思いますか」
「また王に関してですか?」
「はい、そうです」
 まるで自分の知らない時間に交わされた内容を知ろうと言わんばかりの質問を受け、隊服に盗聴器でも付いているのではと微かな疑念を抱いてしまった。
 私という人間の経歴は至極真っ当なもので、それこそ疑問の発生する余地がないほど完璧に作られたものだ。あまりに完璧すぎて逆に興味を引いたのであったとしても、このやりとりをするのは今でなくて良かったはず。となれば、他の思惑が働いていると推測して良いだろう。
 黄金の王と会話をした事実が何処かから漏れたのか、それとも青の王たる慧眼で私の内面でも読み取ったのか。どちらにせよこちらの切り札を見せるのは未だ早い。
「王とは、全てを捨てられる人間だと思ってます」
「ほう」
 続きを促してくる視線を正面から受け止め、紫紺の奥に潜む「誰か」へ向かい語りかける。
「執着を持っている者は、王になれない」
 この世界、自分を取り巻く、その統べてを。
 ひっくるめて、一纏めにして、呑み込んでしまえる者こそが王に成る権利を有する。
 世界という巨大な代物を動かす権利を、人を超越し、人ならざる力を行使する権利を。世界に監視され、頭上に剣先を突きつけられて、世界の為に動く駒と成る権利を手にするのならば、相応の対価が要求されるのは当然のことだ。
 だからきっと石版と呼ばれる強大な力の源は、自らの駒と成り得る条件を満たした者を選定しているのだと思う。
 宗像礼司が、青の王として自らのクランズマンを選定したように。
「興味深い答えをありがとうございます」
「お粗末様です」
 一語一句変わらない、けれども有する温度の違う音が狭い室内に溶けていくのを見送って、私は差し出された二杯目の茶碗に唇を寄せた。
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